泣き方を教えて……

美瞳まゆみ

第1話  口の悪い女



気持ちの良い、結婚式だった。

いかにもあの二人らしく、けっして派手ではなくシンプルな式であったが、清楚で高貴な印象さえ受けるようなそれだった。

年代を感じさせる小さな教会での式は、これまで出席したどの結婚式よりも感銘を受けたと思う。


花田はなだ薫子かおるこは、同僚で尚且つ数少ない友人の一人、神田かんだ朱音あかねの結婚式に出席した帰り、ゆっくりした足取りでどこへ行くともなく歩いていた。

新郎の田島たじま ゆうとも、去年仕事を通じて知り合った。

朱音と田島は大学時代恋人同士だったのだが、若さゆえの気持ちのすれ違いで別れ……偶然にも、仕事相手として運命的な再会を果たした。

まぁ、今日の日を迎えるまでには、かなりのすったもんだがあったのだろうということは、朱音を見ていたら察しが付いたが、彼女は誰かに頼ってというタイプではないし、自分も人の事情を聴いて親身に相談に乗る様な器用なタイプでもない。

だから、本当のところの成り行きや事情は、殆ど知らないままだ。

だが、朱音にとっても自分にとっても、その付かず離れずの関係が逆に心地良く、お互いの繋がりを深めたのかもしれない、とは今になって思うことだが。


珍しく清々しいこんな気分の日に、すんなり帰ってしまうのはもったいない気がした。

このままどこかで幸せな二人に乾杯でもしたい気分だった。

でも、自分はそういうものを分かち合えるような友人を持ち合わせてはいない。

いや、持ち合わせていないというよりは、あえてそういうベッタリとした人間関係は作らないで生きてきた、というのが本当のところかもしれない。

そんな中で、こういう時に誘えたり誘われたり出来る唯一の友人が、今日結婚した彼女だったような気がする……そこで、薫子はクスッと笑った。

じゃぁ、無理じゃないの!

今頃二人は、新婚旅行の為に空港へ向かっている筈だ。

ギリシャ……いやローマだっけ?まぁ、そこんところはどうでもいいけど。

旅行業務を仕事にしているプロが一緒なのだから、彼も大船に乗っていられる筈だ。

そう、薫子もその朱音と同じ旅行会社で働く、4年目のツアーコンダクターだった。


完全に日も落ちて、昼間には息を潜めていた寒さが一気に襲ってきた。

薫子はコートの前をしっかりと掻き合わせて、足早に最寄りの駅へ向かいながら、ふと、ある店を思い出していた。

そうだ、あそこへ行こう。あそこなら、今日の二人に乾杯も出来る。

なぜならその店のマスターも、結婚式には一緒に新婦側で出席していたのだから。

披露宴には出なかったらしいが、それも開店準備の為だと言っていたから、かえって好都合だ。薫子は軽く頷くと、駅には入らずにタクシー乗り場へ足を向けた。


「こんばんは。」

薫子が向かった先は、『リュージュ』という市内のマンションの中にあるバーだった。

「おぉ!珍しい人が来たで。その様子やと、披露宴は無事済んだみたいやな?」

関西出身だという陽気なマスターが、ニコニコ迎えてくれた。

他に誰もいないところを見ると、自分が一番客らしい。

二ヶ月ほど前に、マスター主催で開かれた朱音と優の婚約パーティーの際、朱音の招待でここリュージュを初めて訪れていた薫子だった。

その後、もう一度やはり朱音に誘われて来ていたから、今日が三度目になる。


「あぁ~寒い!まだまだ夜は寒いわね。花冷えってやつだわ」

薫子はコートを脱ぎ、肩から胸元にかけて大きく開いた黒のフォーマルドレスの上から薄手のショールを羽織ると、ホットウイスキーを注文して煙草を取り出した。

「で、披露宴はどうやった?良かったか?」

薫子のくわえた煙草にスッとライターで火をつけながら、マスターが尋ねた。

「そんなに気になるんだったら、出席すればよかったじゃない?」

「ああいう場所は、根本的に苦手なんや。見ず知らずの人混みの中に居ることが、だんだん、居心地悪うなってしまうんでな」

マスターはそう言って苦笑いを浮かべる。

「自分はバーのマスターなんかやってて、接客はお手のものでしょうに、見ず知らずの人が苦手って、説得力ないわね?」

薫子が眉を上げて、即座にそう切りかえすと、

「えらいはっきりと物言うお嬢さんやなぁ!」

マスターは目を丸くしながら、あらためてマジマジと薫子を見た。

「……その上、なかなかのべっぴんさんと、きてる」

「マスターが大阪弁でそんなこと言っても、冗談にしか聞こえないんですけど!そんなことより、乾杯しましょ?その為に来たんだから」

薫子はきっぱりと首を振ってから、目の前のグラスを持ち上げた。

「……何に乾杯するんや?」

「今日、乾杯することがあるとしたら朱音達の結婚でしょう!?今ここでマスターとあたしの共通点っていったら、それしかないと思うけど?」

マスターは自分にも水割りを作ると、グラスを持ち上げながらニンマリと笑った。

「元鞘に収まって、今頃はよろしくやってる二人に乾杯なんていらんやろ!そんなことより、俺たち二人に乾杯した方が実があるとは思わんか?」

薫子は自分のグラスをマスターのそれにカチンと合わせながら、呆れ顔で笑う。

「それ、口説いてるつもり?残念ながら、売約済みですから」

「やっぱりかぁ!おもろないなぁ~、世のべっぴんは、みんな人のもんやねんから!!」

大袈裟に両手を上げて天を仰ぐマスターに、薫子はキョトンとなった。


「凄いテンション……テレビで見る芸人みたい……」

「そうやろ?俺と付き合うと、おもろいで?どうや、乗り換えんか?」

やはり芝居がかった素振りで身を乗り出すマスターに、薫子はわざとらしく微笑んだ。

「いいわよ、付き合ってあげても。ちょっと歳は取り過ぎてるけど、まぁ、退屈しのぎには面白いわね。で、マスターって何歳なの?」

「……歳は取り過ぎてるけど、退屈しのぎに付き合ってあげてもいい、やって!?そういうあんたは幾つや?態度だけなら、30過ぎの口達者なおばはんみたいやな!」

今度は薫子がマスターの真似をして、天を仰いだ。

「おばはんなんて!25年間生きてきて、初めて言われたわ!甥っ子にだって、おばちゃんなんて呼ばせたこと無いのに!」

カウンターを挟んで、一瞬睨むようにお互いを見詰め合った二人は、次の瞬間同時に吹き出した。

「あんたのその気の強さと口の悪さは、関西向けやな。なかなか名古屋では少ないキャラやろ?」

マスターが笑いの滲んだ目差しでそう言うと、薫子は興味なさげに肩をすくめた。

「さぁ?自分のキャラなんて考えたこともないから、よくわからないわ」

「いいねぇ、そのドライな感じ。朱音ちゃんとは正反対やな」

薫子の為に、二杯目のウイスキーを作りながら、マスターは満足そうに笑った。


その後、薫子が朱音達の披露宴の様子を掻い摘んで話して聞かせた。

一般的な披露宴とは異なり、雛段に二人で座ることも無い、立食パーティー形式だった。

食事もビュフェスタイルで、田島と朱音が皆のテーブルや招待客の間をまんべんなく挨拶、歓談をして回っていた。

勿論定番のお色直しなども無く、田島はシルバーグレーのタキシード、朱音はシルク地のタイトなマーメイドスタイルのロングスカートのドレス、という出で立ちだった。


「朱音ちゃんは、派手に着飾るよりもシンプルでシックな方がかえって綺麗に映るわなぁ。そう思うやろ?」

優しい表情でそう言ったマスターに、薫子は苦笑いを浮かべた。

「まるで、父親みたいね!まぁ、たしかに朱音は和風美人だから、今日のドレス選択は完璧だったとは思うけど」

「おいおいおい、父親みたいっていうのは聞き捨てならんなぁ!俺を何歳やと思ってるんや?そこまで歳食ってないで?」

「……そうなの?じゃぁ、幾つ?」

マスターの苦笑いに、薫子は素直に聞き返した。

「こう見えて……まだ40やで?まぁ、滲み出る渋さは隠せんけどなぁ」

「まだ、40歳ね!厄年の男ともなると、そりゃぁ渋味も出るわよねぇ……」

その明らかに馬鹿にしている薫子の言い様に、マスターは眉を上げる。

「ほんまに、口の減らん娘やなぁ……」

「悪かったわね、朱音とは正反対で!あたしはあんなに優等生じゃないから」

「朱音ちゃんが?いやいや、そうでもないで?俺の知ってるあの娘は結構生意気な口も利いたし、ここではそんなに優等生でもなかったしな」

その言った彼の口調の端々に、なんともいえない優しさを感じ取った薫子は、首を傾げて意地の悪い笑みを浮かべた。

「ふう~ん……なんだ、そういうこと!そりゃぁ、父親気分なんかではない筈ね。マスターも朱音に男として惚れてたんだ?違う?」

マスターはその質の悪い問いには答えずに、口元だけを歪めて笑った。

「あんた、さっき売約済みとかなんとか言ったけど、ほんまにか?あんたみたいに毒の強い女、手なずけるのは骨が折れるやろうになぁ」

薫子は突然何を言い出すのかとでも言いたげに、鼻先で笑う。

「お生憎様!あたしは誰にも手なずけられたりしませんから」

「まぁ、それがほんまやろな。あんたの方が手なずけてる口やろ?」

まるでそうだと決めつけられたかの様なマスターのセリフに、薫子はムキになった。

「あたしは、男女間において上下関係は作らない主義なの!対等であることが何よりの条件だわ。別れる時にすがりついたりすがりつかれたり、なんて面倒臭いことはご免だもの!」

「じゃぁ、なにか?あんたはいつでも別れることを前提に、男と付き合ってるんか?」

「用意周到と言って欲しいわ。二度と顔も見たくないような醜い別れ方はしないってことよ。次にどこかでバッタリ会っても、笑っていられるような綺麗な別れ方にこだわっているの。間違ってないと思うけど?」

得意気にそう言った薫子に、マスターは小さく首を振るとボソッと言った。

「なんや、要は、口先だけ強気の実は怖がり屋さんか……」

その呟くような短い一言は、薫子の怒りのラインをいとも簡単に踏み越えた。


「臆病者に、怖がり屋呼ばわりされるなんて、心外だわ!!」

突然、怒鳴る様に言い放った薫子に、マスターは驚き顔で慌てて口を開きかけたが、薫子はその隙を与えなかった。

「本当は、惚れこんでたくせに理解者みたいなふりをして、朱音を奪うことも自分のものにする勇気も度胸も持てなかった人に、そんなこと言われる筋合いはないわよ!意気地なしのくせに!」

その一言は、それまでにこやかだったマスターの顔を、真顔にさせた。

浅く息を吐き出すと、彼は突然薫子の方に身を乗り出し、伸ばした両手で彼女の口元の頬を左右に引っ張ってつねった。


「ええか!昔から口は災いの元って言うんやで?あんたの場合、口が過ぎる。思っていることならなんでも言っていいわけがないことくらい、25にもなればわかるやろ」

恐ろしい位静かに、真っすぐ睨まれた薫子は、頬のあまりの痛さに彼の手を振り払った。

「痛いっ!痛いじゃないの!何するのよ!?」

「大人でも、子供でも、無礼な奴にはお仕置きをするのが俺の流儀でな」

真っ赤な顔でキッと睨みつける薫子に、マスターはニッコリと笑った。


「あたしだって、そこまで馬鹿じゃないわよ!そんなこと朱音の前で言うわけがないでしょう!?何よ!ちょっと痛い所突かれたからって、つねるなんて信じられない!そもそも、最初にあたしを臆病者呼ばわりしたのは、あなたじゃないの!」

怒りに任せてわめき散らす薫子に、マスターはやれやれと肩をすくめた。

「そういう意味で言ったんやなかったんやけど……まぁ、気に障ったんなら謝るわ、すまんかったな」

だが、気性の激しい薫子が一旦怒りだしたら、そんな謝罪を受け入れられる筈も無く……立ちあがってバックから五千円札を引っ掴むとカウンターに叩きつけ、残っていたグラスのウイスキーをマスターの顔目掛けてぶちまけた。

「冗談じゃないわよ!!」

吐き捨てる様な捨て台詞を残し、薫子はコートを掴んで店を飛び出した。


真正面からウイスキーを浴びせられ、唖然とした表情で薫子の後姿を見送ったマスターは、彼女の気性の激しさに、思わず口笛を吹いた。

「なんと、あんなに感情をむき出しに出来る娘が、まだおったんやなぁ!」

カウンターの後ろにあったタオルで顔を拭いながら、自嘲の笑を浮かべる。


「勇気も度胸も持てない臆病者、ね……まんざら外れでもないわな……」

もちろん、薫子が言ったことが、真実ではない。

朱音に関しては、確かに大切だと思う存在ではあったが、幸せになって欲しいと心の底から願っていた、という意味でだ。

自分が彼女を幸せにしよう、もしくは、してやりたいなどと思ったことは、ただの一度も無いし、その力も自分には無い。

尤も、朱音が初めてここへ来た時から、彼女の心の中には誰か特別な男性が棲みついていたことも理解してのことではあるが。

カウンターの上をダスターで拭きながら、薫子が肩をいからせて飛び出していったドアを、思わず見つめた。

「いまどき、おもろい素材やったなぁ……」



「なんなのよっ!!クソおやじ!!あったまにくる!」

薫子は収まりきらない怒りを暴言に代えて、街中を足早に歩いた。

マスターに引っ張ってつねられた両頬がまだ痛い。

口は災いの元?、口が過ぎる?、あたしは言い過ぎてなんかいない!ただ、的を得たことを言ったまでだ。

正直に思ったことを言って何が悪いの?あたしだって、T.P.Oくらいはわきまえているし、朱音を混乱させる気もないに決まっている。

ただ、無性に気に食わなかった。年上ずらして、なんでもわかっているように涼しげな顔をして、人を“怖がり屋”扱いした。

あたしのことなんて何一つ知りもしないのに、まるで見抜いたような言い方が、許せなかった。


薫子は、徐々に歩調を緩め、気を取り直してバッグから携帯を取り出す。

だが、密かに期待していたメールも着信も、入ってはいなかった。

「そうだよねぇ……今日は日曜日だもんね。メールなんて出来っこないか……」

さっきまでの怒りが潮のように引いていくと、今度は侘びしさのようなものが押し寄せてきた。こういう時が一番たまらない、と思う。

逢いたい時に逢えない、声が聞きたいからといって電話も儘ならない。

薫子が、現在進行形でしている恋とは、そういう道ならぬ恋だった。

そして……道ならぬ恋人を持つということは、不自由さとも上手く付き合わなければならないのだ。

はじめから承知の上、とはいっても、なかなか呑み込めない事も多い。

薫子は、こういう時の癖になってしまっている、頭を左右に振る仕草をして、駅に向かった。

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