第160話 マグナの覚悟
――マグナ視点
「……使者殿、よく聞こえなかった。もう一度言って貰えるか?」
「はい陛下。何度でも。勇者ブレイブが姿を変えた人物、ラピスとその仲間達は、我が国の城を破壊したばかりか、国境沿いの街への襲撃を繰り返し、魔物を操って近隣諸国へ被害を与えているのです。現にゼルビスの国境周辺は被害が拡大していますし、我が国も同様の被害が出ています。これ以上あの極悪人を放置するわけにもいきませんので、ボルドール王国にも協力していただきたいのです」
先の内乱を裏で操っていたと思われるレブル帝国から訪れた使者。それが理解しがたい内容を話し始めたのだから、私の頭痛は仕方のないことかもしれない。我が国……いや、特に私とルビアスに力を貸してくれたラピス嬢。彼女の正体が、あの伝説の勇者ブレイブだというのだ。それだけでも驚きだというのに、彼女達はレブル帝国の帝都に侵入し、皇帝の居城を破壊し尽くしたらしい。
無意識に組んでいた腕に力がこもり、自分の眉間に深い皺が刻まれていることを自覚する。どこまで信じて良い話か判断がつかない。まず、ラピス嬢と勇者ブレイブが同一人物というのが信じがたい。多少年齢を誤魔化す程度ならともかく、性別までがらりと変わる魔法など聞いたことがない。
そして……私の妹を含め、彼女達が城を破壊する経緯がわからない。いったい何がどうなって帝都襲撃などという事態に陥ったのか。本人達が目の前に居たら何時間でも問い詰めたいところだが、今はないものねだりをしても仕方がない。
「すまないが使者殿。使者殿の話がどこまで本当なのか、私には判断がつかない。今の所なんの証拠もないのでな。仮にレブル帝国を襲撃した犯人が実際に存在したとして、それが我が妹やラピス嬢達だという明確な根拠を示して貰えないか?」
「証拠ですと!? 城が破壊された時、皇帝陛下自らがラピス共と交戦しているのです! これ以上の証人が存在しますか? それともボルドール王国は皇帝陛下のお言葉を疑うのですか?」
使者は不機嫌さを隠そうともせず、高圧的にそう言った。一国の王に対してこの態度。決して褒められる物ではないし、普通ならありえない態度だ。いったいこの強気はどこから出てくるのか。レブル五世の狙いは何なのか、疑問が次々に浮かび上がってくる。
「レブル五世殿の言葉が正しいと、いったい誰が証明してくれるのかな? 私は客観的に誰もが納得出来る証拠を示してくれと言っているだけだ」
「皇帝のお言葉、それはつまり、何ものにも代えがたい証拠です!」
「……話にならんな」
レブル五世は何を考えてこんな無能を使者として送り出してきたのだ? これでは関係が拗れるだけではないか。まったく……念願の王座に就いた途端問題ばかりおきるなんて、私はとにかく運がないらしい。
「とにかくだ使者殿。話は証拠を持ってきてからだ。そうすれば我が国としても、実際に――」
「これはレブル帝国に対する宣戦布告だ!」
私の言葉を遮り突然絶叫した使者を、その場にいた誰もがポカンと口を開けて凝視していた。空気が固まっているのがわかる。この阿呆は、いったい自分が何を言っているのかわかっているのか? 宣戦布告だと? 今の話の何処がどうなって、そんな結論が出てくるのだ? だが、冷静さを失ってはいけない。レブル帝国の目的がハッキリしない内に、迂闊な行動をとるわけにはいかないのだ。
「落ち着かれよ使者殿。貴殿は――」
「レブル帝国はおろか、その周辺国にも被害を与える極悪人を庇うなど言語道断! もはやボルドール王国は世界の敵となった! レブル帝国は世界の秩序を守るため、こんな悪に屈するわけにはいかない!」
「貴様!」
「陛下に対して何と無礼な!」
近衛騎士が一斉に剣を抜き、今にも飛びかからんばかりの剣幕で使者を睨み付ける。そんな彼等を手で制し、私は内心の憤りを抑えつつ、静かな口調で使者と話を続ける。
「……今の発言は看過出来ない。ボルドール王国が世界の敵になったとはどう言う意味か? そして、レブル帝国が秩序を守るとは具体的にどのような行動に出るつもりか。お答えいただこう」
自らの言葉に興奮したように、使者の顔は真っ赤になっている。対照的に、彼に同行してきた護衛や文官は涼しい顔だ。この異常な状況にこの態度。正気とも思えない。
「言葉通りの意味である! 我がレブル帝国は世界の秩序を乱す敵を悉く討伐せしめるだろう!」
それだけ言うと、使者は懐から一本の短剣を素早く取りだした。他国の王と謁見中に武器を取り出すなど、暗殺を狙って行動していたと言われても文句を言えない暴挙だ。近衛騎士が数人私を守るように前に出て、残りは使者に飛びかかっていく。しかしそれより早く、使者の腕が動いた。
「ぐ……!」
使者の手にした短剣は、近衛騎士が飛びかかるよりも早く振り抜かれた。喉を切り裂き、溢れる鮮血はあっと言う間に床を真っ赤に染めていく。ただし、その血は使者本人のものだった。驚くことに、彼は自らの手で喉を切り裂き、この場で自殺を図ったのだ。流石の近衛騎士も取り押さえるのが間に合わず、使者の行動を阻止出来なかった。
「傷口を押さえろ! 治癒士を早く!」
「いや……もう間に合わない」
既に使者の顔からは血の気が完全に引いている。誰がどう見ても事切れる寸前だし、治癒士を呼びに行っている間に絶命するのは明らかだった。
「陛下はお早く」
近衛騎士に周囲を固められ、私はとりあえず私室に戻ることになった。突然の凶行による謁見の中止。使者に同行してきた者達は捕らえられ、一人一人身体検査と薬物検査をされた後、拘束されることになる。
「困ったことになったな」
深くソファに腰掛けながら、使者が自殺に走った理由に考えを巡らせる。ともと私の暗殺だけを狙うなら、もっと腕利きを集めていたはずだ。ラピス嬢程とは言わずとも、我が妹と同格の者が数人集まれば、あの場で討たれていた可能性もある。だとしたら狙いは暗殺ではなく、別のところにあるのだろう。
「つまり……個人ではなく、ボルドール王国そのものが狙いか?」
経緯はともかく、使者が訪れた先の国で死んだとなれば、外交問題に発展するのは想像に難くない。あのレブル帝国のことだ。使者が私に殺されたと断定し、戦争を仕掛けてくる可能性もあるだろう。
内乱が終結してから、まだそれほど時間が経っていない。国内の戦力は激減し、経済の回復にもまだまだ時間が必要だろう。レブル帝国からすれば、目の上のこぶである大国ボルドールを潰す絶好の機会と言うわけだ。となると――
「こちらがいくら否定したところで、相手は攻めてくる気というわけか。ならば覚悟を決めねばなるまい」
仮に、レブル帝国に対して妹達を人身御供として差し出せば、あるいは戦争は回避出来るかも知れない。しかし、私やボルドール王国の国民は、その多くが彼女達の恩恵を受けている。我が身可愛さで彼女達を差し出そうものなら、あっと言う間に人心は私から離れ、私は第二のスティードになってしまうだろう。そんな愚を犯すわけにはいかないのだ。
「緊急会議を始める。大臣と軍の幹部を全て招集しろ。急げ」
部屋の前で待機していた近衛騎士の一人にそう命じると、私は護身用として持っていた短剣を手に取り、そっとその刃を抜いてみる。あの使者が何を考えて自らの首を切り裂いたのかはわからない。純粋に国を思っての行動なのか、それとも薬物で洗脳でもされていたのか。今となっては調べようもないが、その最後を思い出すと、私は背筋が寒くなる思いだった。
「狂信者ほど相手にしたくない人種は居ないのだがな。奴等には理性がないから話し合いが通じない。落としどころすら見つからんから、全て殺すか、こちらが殺されるかだ」
出来る限り回避したいが、レブル帝国との戦争が始まれば、内乱どころではない程厳しい戦いになるのは間違いない。妹達に力を借りようにも、行方不明で連絡も取れない有様となっている。そもそも生きているのか死んでいるのかもハッキリしない。悪態をつきたいのを我慢しながら、私は再びソファに腰掛けた。
「戦う以上は勝つ。だが、もしもの時は……」
手元にある短剣へと目を向ける。私の首一つでボルドール王国の民が助かるなら、私は迷わずこの刃を自らの首に突き立てるだろう。それが、国王として最低限の義務だと確信しながら。
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