第150話 悪巧み

――ディエーリア視点


ゼルビスに入り込む魔物の目撃情報は広い範囲に点在していて、これといって何処からという地点がないのが現状だと言うのが、レブル方面の防衛を担当する武官の言葉だった。彼はエルフにしては体つきがゴツい上、体に大きな傷跡がいくつもあるため、歴戦の戦士を思わせる風貌をしていた。


「国境を全て見張れば可能なんでしょうが、軍の全てを見張りにつかせるわけにもいかないのです」


そんな事を、ゴツイおっさ……いや、おじさんが申し訳なさそうに言った。ゼルビスは国王や貴族が強権を使えるわけでもない共和制の国なので、一般人を無理矢理徴兵して軍人に仕立て上げるなんて真似はできない。だから慢性的な軍人不足はあるのだけれど、今はそれが仇になっていた。


「義勇兵を求めたりはしてないのですか?」

「募集はしました。しかし数としては微々たるもので、とても満足いく数字ではありません」


ラピスちゃんの質問にも期待したような答えは返ってこなかった。つまり、軍は限定的な見張りと事後対処に手一杯で、原因に究明には何の当てもない状態。大勢の人間を裂いてもできていないことを私達だけで調べ尽くさなきゃならないとわかって、自然と全員の顔が曇っていた。


「何かあったらすぐにお知らせします」


そう言ってくれたおじさんに別れを告げ、私達は今夜宿泊予定の宿に向かった。ここはゼルビスの西端にある街バラデロ。レブル帝国との国境間近にある、交易の盛んな街だ。場所が場所だけに多くの商人達が各地から集まり、西のレブル帝国や南のボルドール王国、そして更に東へと進んでいく人々が立ち寄る中継地として栄えている。各地から様々な人種や国籍の人間が集まる場所だけあって、エルフが大半を占めるゼルビスの街と思えないほど、街を行く人々の顔はまとまりがない。


そんな街の大通りを歩いていると、様々な客引きが声をかけてくる。


「そこの美人な姉ちゃん達! この首飾りを見てくれよ! きっと似合うよ!」

「コメール牛の串焼きだよ! 是非食べていってくれ! 今なら一串銅貨一枚だ!」

「今日の宿が決まってないなら家に来ておくれ! 食事付きで一人銅貨五枚だ!」


あちこちで客と商人の熱意のあるやり取りが繰り広げられている。そんな光景を横目に見ていると、シエルが感心したようにつぶやいた。


「街の周辺で結構な人が魔物の被害に遭っていると聞いたんだけど、そんな事まるで関係ないみたいね」

「人の不幸を気に病むより、自分の儲けの方が大事なんじゃない? 商人てそれぐらい逞しくないとやってけないでしょ」

「うむむ……私にはよくわからない感覚だな……」


もともと下町暮らしのカリンは彼等に肯定的だけど、王宮暮らしのルビアスは理解出来ないという風に頭を振っていた。でもそこに嫌悪感は感じられない。彼女は純粋に、考え方の違いに対して困惑しているだけだ。


適当に取った宿は平凡な作りになっていて、一階で食事がとれるようになっている。宿泊客や商人ぽい人達がテーブル席を占拠していたため、仕方なくカウンターで横一列になって昼食を食べ始めた――が、すぐにみんなで首をかしげる。


「なんか、パンが固くない?」

「パサパサしてるね」

「混ぜ物特有の味だね。小麦が少なくなってるのかな?」

「あらら、やっぱりわかっちゃう? これでも美味しくしようと努力してるんだけどな~」


突然会話に割り込んできたのは、カウンターの向こう側で仕事をしていた宿の娘だった。歳は私と同じぐらいに見えるけど、エルフだから実年齢はどれだけなのか不明だ。その彼女は愛嬌のある顔で申し訳なさそうに頭を下げる。


「最近は小麦の入荷が少なくなってきててね。数を増やすために混ぜ物してるのよ。その分値段は安くなってるから勘弁してね」

「それは別に良いんだけど、小麦が減ってるってのはどういう事?」

「それがねぇ~、なんか、レブル帝国の商人が高値で買い漁ってるんだって。ゼルビスで売られる小麦をあちこちで買い集めてるらしいから、市場に流通する量が減ってるらしいのよ」


またレブル帝国? それにしても、小麦を買い占めに走るって、どういう理由だろう?


「もしかして……」

「ルビアス、なんかわかったの?」

「いや、可能性の段階だからな。後で話そう」


何かわかったっぽいルビアスは言葉を濁した。人に聞かれたらマズい話なのかな? 何かを察したらしいシエルとラピスちゃんの雰囲気に飲まれて、私とカリンは黙って食事を終わらせた。


「で、さっきのは何だったの?」


今日宿泊する部屋に入って、念のために人の気配が周囲にないのを確認してから、私はルビアスに問いかけた。彼女は一つ頷くと、確証の無い話だと断った上で話し始めた。


「誰もが知ってることだと思うが、小麦は私達の主食であるパンに始まり、ケーキやクッキーといった様々な料理に使われている、大事な必需品だ」

「そうね。家畜の肉はそんなに毎日食べないし、パンほど値段が安くないもの。多少の差はあるでしょうけど、何処の国でも小麦は重要だわ」


それは誰でも知ってる常識的な事だ。そんな事を改めて確認する必要って何?


「だが、仮に……市場から小麦が姿を消したらどうなる?」

「どうって……みんな食べるものがなくなって……!」


そこまで言われてハッと気がついた。


「レブル帝国による買い占めは、ゼルビスに対する攻撃ってこと?」

「その可能性が高い。もちろん、レブル帝国が大国だからと言っても、他国の小麦を全て買い占めるなんて真似はできないだろう。しかし、数は減らせる」

「兵糧攻めを狙っているの?」

「それもあるだろうが、本来の目的は別だと思うぞ」

「と言うと?」


ルビアスは一旦言葉を止めてから、少し眉を寄せて口を開いた。


「……軍事侵攻の可能性がある」

「!」


レブル帝国が攻めてくる? そんな事があるのか――と考えて、その可能性が高いことを思い出した。この大陸にある国の中で、一番国力のある国は間違いなくボルドール王国だ。帝国主義で、事あるごとに周囲へ口を出すレブル帝国から見れば、ボルドール王国は自分達の頭を押さえ込む邪魔者でしかない。軍事力でぶつかったところで良くて互角。悪くすれば周辺諸国を巻き込んで集中攻撃をされかねないのだから。でも、そのボルドール王国は今弱っている。内乱で多くの兵を失い、国内は魔物が溢れる状態だ。とても他国に助けを出す余裕なんてないだろう。


「ボルドール王国が力を失っている今だから、ゼルビスに手を出そうって言うの?」

「ゼルビスだけですむかどうか……。一度話しただけだが、あの皇帝は野心の塊のような男だった。大陸制覇なんて馬鹿げた目標を本当に目指しているかもしれん。大軍を動かそうと思えば大量の食料が必要になる。その前段階として商人達が動いているとなれば、今回の事態も納得出来る」

「…………」


レブル帝国に比べたら、ゼルビスの軍事力は圧倒的に劣っている。それでも今までは周辺の国と協調してたから戦争なんて起こらなかったけど、あちこちで魔物が溢れ、魔族が暗躍する状況だと一国だけで対処しなければいけなくなってしまう。蹂躙される祖国を想像して、私の顔は自然と青くなっていた。


「だけど、まだそうと決まったわけじゃないよ」

「ラピスちゃん……」


彼女は安心させるように私の肩にポンと手を置いた。


「幸い、今のゼルビスには俺達が居るんだ。仮に戦争が起きたとしても、普通の軍隊相手なら、かなり持ちこたえる事が出来る」


確かに。みんなの力があれば、数千ぐらいの兵ぐらい押し返せそうだ。


「たぶん、レブル帝国と魔族が協力してるのは間違いない。今回の魔物も奴等の先兵なのかもしれない。だったら、俺達のやることは一つだけだな」

「……魔物の殲滅?」

「そう。奴等が戦力として魔物を当てにしているなら、こっちから乗り込んでやっつけてやろう」

「師匠、それは!?」


驚くルビアスにラピスちゃんは悪い笑みを浮かべる。


「やられっぱなしは癪に障るだろ? たまにはレブル帝国で暴れてやるのも悪くないよ

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