第138話 騎士団長の憂鬱

――タナックス視点


私の名はタナックス。ボルドール王国の主力である第一騎士団を束ねる者だ。国王陛下の若い頃からお仕えし、歳は今年で五十ちょうど。そろそろ後身に立場を譲って引退しようかと思っていた矢先に今回の政変に巻き込まれ、なし崩しでスティード殿下に使われるようになってしまった。


国王陛下は人間として冷たい部分はあったものの、それは為政者として仕方のない決断をする時に限っていた。非道なことは極力避け、犠牲を出すにしても最小限に抑える努力をなさる方だ。名君と呼んで良い政治手腕を振るっていたし、現に陛下が国王になってからボルドール王国の国民は豊かな生活を送っていた。


しかし、それももう昔の話だ。陛下が病に伏していると言う理由でスティード殿下が政治をやり始めてから、この国は無茶苦茶になってしまった。殿下に敵対する勢力は貴族や兵士、身分の差なく王都から遠ざけられ、彼に味方する貴族達の専横は目に余る。治安を守る兵士や騎士が激減したことで国中に盗賊や魔物が現れて、それを倒すのに冒険者頼みになっているのが現状だ。


それを改善するため、私も何度か我等騎士団を各地に派遣するようスティード殿下に願い出たものの、ご自分の身を守ることを優先せよと叱責されるだけだった。


この人は駄目だ――そう思ったのは私だけではないだろう。しかし、私はあくまでも騎士。どのような主であれど、それを補佐してお守りするのが役目。そういう人生を歩んできたのだから、今更生き方を変えて、殿下の下を離反する気にもなれなかった。


「出陣の準備を始めろ!」


今まで戦場とは無縁だった殿下が突然放った言葉に、その場の誰もが驚いた。


「お、お待ちください殿下! 軍の指揮は私に任せ、殿下は王都で――」

「黙れ! お前達が不甲斐ないから逆賊共がつけ上がるのだ! 良いから言われたとおりに準備せよ!」


剣の稽古を嫌い、体を動かすことすら嫌う殿下は、今まで軍に近寄りもしなかった。それが突然の方針転換なのだ。日々放蕩三昧の殿下が軍の指揮をとるなど無茶も良いところだろう。お飾りのまま同行するならともかく、この人の性格から言って黙っているとも思えない。素人の指示に従って戦うなど悪夢でしかない。こう言っては何だが、この人に指揮させるぐらいなら、そこらの騎士見習いにやらせた方がいくらかマシに思えた。


なんとか止める手立ては無いものかと手を打ってみたが取り付く島もない。いったい何が理由でこうなったのか頭を抱えていたところ、親しい文官が理由を教えてくれた。


「……侮辱された?」

「ええ。しかもこっぴどく。聞くに堪えない罵詈雑言を一方的に浴びせられたのです。私も偶然居合わせましたが、その場にいた全員、生きた心地がしませんでしたよ」


遠話の魔道具で殿下を罵ったのは、ルビアス殿下と行動を共にするラピス嬢らしい。一度御前試合で見かけたことがあるが、貴族にもいないような美しい容姿と圧倒的な戦闘能力で、この国の首脳陣に強烈な印象を残した娘だ。


その彼女が口汚く殿下を罵った結果、普段から我慢するという事を知らない殿下を激怒させたのだった。端から見れば安い挑発だとわかるし、冷静な指揮官なら無視するか、同じように相手を罵り返すぐらいに留めただろう。しかし殿下に限っては違う。王族に生まれ、次期国王候補として育てられた彼を止められる者など、数が限られている。それはつまり、我慢するという誰もが得ている経験を、彼がしてこなかった事を意味していた。


そんな彼に対して、挑発に乗るなと言っても無駄だろう。ラピス嬢の狙い通り、簡単に戦場へ引きずり出されようとしていた。


(マズいな……これは)


私は彼女が使っていた魔法を頭に思い浮かべていた。地面を融解させるほどの熱を放つ火炎魔法。あの御前試合でみせたのはそれだけだったが、彼女ほどの使い手が他の魔法を使えないとは思えない。城の中ならまだ守りようがある。しかし、野外で魔法による奇襲など受ければ守り切れない。正面から戦えばこちらの魔法使いが数で勝るし、なんとか彼女の魔法を封じ込めることも可能だろう。しかし、少数の敵がわざわざ正面から戦ってくれるはずがないではないか。


その日の夜、一応命じられた出撃準備を整えつつ、私は最後の説得を試みようとスティード殿下のもとへ足を運んでいた。彼の私室の前には親衛隊の他、黒騎士が何名か控えている。黒騎士は最近王国の各地で乱暴狼藉を働いていると耳にしている輩だ。それが事実なら真っ先に排除するべき存在だが、スティード殿下が味方扱いしている者達を攻撃するわけにもいかず、忌ま忌ましく思うに留めていた。


「殿下」

「またお前か。準備は進んでいるのだろうな?」


私の顔を見るなり殿下は顔を歪ませる。お小言の多い私はどうやら嫌われているらしい。


「明日には出撃できるでしょう。ですが殿下、最後にお願いがございます」

「また城に留まれと言うつもりか? なら却下だ。私は自らあの女の首を取る。これは決定事項だ」

「ですが――」

「くどい! 奴は次期国王である私を侮辱したのだ! それを捨て置けるわけがなからうが!」


殿下はあくまでも国王候補であって、陛下がハッキリと次期王だと決めたわけではない。そんな事を指摘しても更なる勘気を呼び込むだけなので、あえてその部分は無視し、私は言葉を続ける。


「討伐させよと言うなら私にお任せください。なにもわざわざ殿下が危険な前線に出る必要はありません!」

「王自らが戦場に立たずに何とするか! 下々の者に対する示しがつかんではないか!」


その言葉が挑発される前なら心に響いたことだろう。しかし、今この時では、白々しい空気が漂うだけだった。


「ラピスの力は侮れません。殿下も彼女の力はその目でご覧になったはずです」

「あの程度の力、数で押しつぶせば何とでもなる! それに、こちらには黒騎士とあの男がいるのだ! 負ける通りがない!」


あの男――殿下が頼みとする最強の戦力。どこからともなく現れた黒騎士を統べるその男は、個人で軍を圧倒する猛者であった。黒騎士と同じ黒い全身鎧を身に纏っているが、奴等と違うのはその面だ。表情が少しも見えない黒の兜で頭を覆い、滅多に口を開くことの無いあの男。すれ違っただけで鳥肌が立つような気配を持ち、一切の感情を抱かせず、淡々と敵対する騎士や兵士を斬り捨てていた。いったい何者なのか……その正体が気になるが、今は殿下の説得が優先だ。


「あのように素性のハッキリしない者を重用するのはおやめください。いつ殿下に危害を加えるかわかったものではありません」

「なんだ? さては貴様、自分の無能を棚に上げて奴に責任転嫁しようというのか?」


スティード殿下の目に侮蔑の色が浮かんだ。なぜそんな結論に至るのか心底理解出来ない。拳が血の気を失うほど握りしめ、なんとか怒りを飲み込む。


「そうではありません。私は殿下の身をお守りする者として……」

「ええい五月蠅い! そんな事より貴様は――」


殿下が私に対して怒鳴りつけようとしたその時、城全体に衝撃が走った。まるで地響きのような衝撃は二度三度と連続して続き、窓の外には火の手が上がる。突然の事態に城の内外が一気に騒がしくなった。


「な、何事だ!?」

「殿下をお守りせよ! 状況の確認を急げ! 騎士団には臨戦態勢を取らせろ! 間者が紛れ込んでいるかもしれん、灯りを増やすのだ!」

「承知しました!」


私の支持を受けた部下が急いで駆けだしていく。近衛隊が狼狽える殿下の周囲を固め、引き摺るように城の奥へと避難していった。私はバルコニーへと身を乗り出し、何事が起こっているのか周囲の様子を探る。


「ん?」


一瞬、視界の端に何かが横切った気がした。慌てて目で追うが、それは凄まじい速さで空中をあちこち移動している。


「まさか……人か?」


過去に失われた飛行魔法。私が知る限り、それの使い手はあのラピス嬢ただ一人。しかし空中を自在に飛び回る影は二つ確認出来た。その人影は移動しながら魔法で作った炎を地上に向けて放っている。地上の兵士は避難と消火、そして反撃のために右往左往するばかりだ。


「まさか、もう王都までやってきたのか? 早すぎる!」


ラピス嬢が殿下を挑発してから、まだ二日と経っていない。スーフォアの街から王都までやって来るのに、馬車でも最低二週間はかかるはずなのだ。それを考えると尋常じゃない移動速度だった。


「こうしてはおれん……!」


空中を移動する敵に対して出来る事など限られている。矢や魔法を放つか、こちらも空に飛び上がるかの二択だ。しかし、夜の暗闇の中で跳び回る人影を補足するなど困難だろう。ここ王都に駐留する空戦力を全て使い切らねばならない。


この非常時に対処すべく、私は城の外へと駆けだした。

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