ウィッチ・ウィズ・アス
水沢 士道
第1話 テバナシの魔女(てばなしのまじょ)
『かなしいって、なんだろう』
もし仮に世界に存在する『かなしい』に基準を付けたとして、最後に残るものは一体何なのだろう。そう、頭の中で声がした。
だが彼女には『かなしい』という言葉の意味がわからなかった。『うれしい』や『たのしい』は知っていても、『かなしい』とは一体何なのか見当もつかない。
だから、彼女は自分の中に生まれた疑問を〝繰り返す〟。何度も、何度も、白一色の部屋の中で彼女は思考を巡らせ続けた。
ある日、何気なく手に取った子供向けの
ミシリ。普段から遊んでいた玩具であるがゆえに、それが突然なくなったことで、彼女の胸の部分が少しだけ軋む。生まれて初めて感じたその感覚に戸惑うが、不思議と涙が出ることはなかった。
普通であれば泣くだろう。彼女はまだ生を受けて数年であり、年端の行かない子供が自分の感情をコントロールすることなどできるはずがない。
然し、本来なら涙を零す筈の瞳に写ったのは、小さな輝き。
今までこんなことはなかった。何一つ変わらない真っ白な
『〝これ〟があれば、〝かなしい〟がわかるかも』
その日から彼女は、自分の周りにあるいろんな物を消していった。
機関車の形をした玩具であったり、クレヨンで描いた花の絵だったり、お気に入りの絵本だったり、積み木だったり、それで遊ぼうと手にとるたびに、触れた先から消えていく。
よく分からない感情――きっと『かなしい』と呼ばれるそれ――が彼女の胸を締め付けたが、同時に『かなしい』というものが何なのか、少しずつ彼女にも分かってくる。何が消えれば悲しくて、何が消えれば悲しくないのか。最初に触れたときに消えなかったものが、次に触れたとき何故消えたのか。
好奇心から始まった小さな遊びは、悲しみを積み重ねる分だけ進んでいく。少しずつ重なっていく感情を仕舞うたび、小さな感情が大きなものへと変わるたびに、彼女の笑顔は消えていった。
いつの間にか、彼女の周りに沢山あった筈の玩具が全て消えていた。であれば、“次”を求めるのも極々自然なこと。
それが例え、“自分の母親を消してしまう”という結末につながっているとしても、自らが持つその疑問――――猫すら殺す感情に任せ、彼女は丁度姿を見せた母親に“触れてしまう”。
次の瞬間にはもう、母親はいない。まるで部屋の隅に溜まったほこりを吐いて捨てたときのように、真っ白な部屋の中には彼女だけ。
そこでようやく彼女は、自分の得た“魔法”の事を理解する。触れたモノに二度と出会えないよう“手放して”しまう“手離”の“魔法”。
母親という存在を消して初めて彼女はその本質を理解し、確認し、そして〝彼女〟は――――まるで幼子のように。
『おかあさんは、どこにいるの?』
――――〝同じセリフを繰り返す〟。
――――
彼女は外の世界を知らない。
全てが白く染まった場所で生まれ、何もかもが病的なほどに清潔な場所で育った。埃なんて落ちてないし、母親は何時も口元を布のようなもので覆っていた。
不思議に思ったことがないと言えば嘘になるが、そもそも彼女にとってはそれこそが普通であり、真実である。『疑問に思うこと』自体に疑問を持っていた。何故、この白い部屋の向こうが気になるのだろう。と。
只の好奇心だった。だから、口に出した願いが無碍にされてしまうことで『欲』が生まれ、溢れ出した感情は彼女の一部を代償にしてその〝機会〟を与えた。与えられて、しまった。
消えた母親はきっと、白い部屋の外にいるのだろう。何時も時間が来ると〝其処〟に帰っていったのだから。多分、あの扉を開けるとベッドがあり、母親が眠っているはずだ。
そして勝手に部屋を出てきてしまった彼女を怒りながら、自分のベッドに寝かしつけようとするだろう。
だから、そう。
彼女の脚がゆっくりと動き出す。目指すのは白に塗られた扉の向こう。
余り運動してこなかったせいか、床に足をつけて立ち上がる時にふらついた。同時に、足の裏から感じる熱がこんなにも〝熱い〟のは初めてで、ゆっくりと目的の場所に近づいて―――――ドアを開け放つ。
――――
アン、ドゥ、トロワ。
アンで街灯が姿を隠し
ドゥで車が消えていく
トロワで近づく〝優しい人〟が
服を残して空気に溶けた。
そして、出会ったアナタに吐き出す言葉は―――――
『おかあさんをしりませんか?』
なんて、蕩けたような微笑みで。
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