第二章

第10話悪魔

  


「なあスフレ。お前はもうちょっと天使らしい振る舞いをしようとは思わないのか?」


 ベッドに寝転がり、魔導書だか異世界の書だか訳の分からない本を読んでいる、すっかり堕天してしまった同居人に向けて言う。


「邪魔しないでよ。今集中してるんだから」


 文句を言ったつもりが、言い返された。


「いや、楽をさせてもらおうなんて図々しいことじゃない。だが、もうちょっとまともにならないのか? だってお前自分のやりたい事しかやっていないじゃねえか」


 何も答えないスフレ。


「いいか、お前がいる分、生活費が増えるんだよ。このままじゃ、俺のバイト代と実家からの仕送りだけでは生きていけん」


 実際のところは嘘であるが、そうでもしないとこの堕天使を動かすのは無理と悟ったからである。だが、その思考は自称天使にすべて筒抜けであった。


「ともきの考えている事やはったりなんかは、すべてお見通しよ」


 と、興味も関心もない口調で答える。

 ぎくりと声に出してしまいそうになる。天使っていやなやつだなあ……。

 どうにかしてこいつからベッドを取り返してやりたいのだが、どうにも上手くいかない。


 誰か、この堕天使を引き取ってくれないかな……。




 ――悪魔の囁き。スフレ曰く、『悪魔とは天使と相反するもの』を信じるならば悪魔の囁きというものは、とても危険なものになる。


 と、思っていたのだが。現状を見て信じようとは思わない。スフレと出会ってから、一週間を過ぎたところだが、だんだんスフレのぐーたらぶりが滲みでてきた。

 料理こそは作るものの、一日の大半を読書やゲームにつぎ込んでいる。まあ、修行の身である故、おお目には見ているものの、生活費は嵩むばかりである。それに加え、スフレは掃除がとてもじゃないほど下手くそであった。以前の自分を見ているようで何か悲しい。


 どうして調理の段取りは良いのに、掃除ができないのか……矛盾していないよな。結局、料理以外の家事は全て俺が引き受けることとなり、人数が増えた分余計に仕事が増える結果となった。


 ……この堕天使め!


 これが天使というなら、悪魔はきっと俺にとっては素晴らしい存在だと思いながら、ベッドに寝転がる天使を見つめていると。



 ――突如外からの明かりが遮断された。



 蝉の唸るような声や横断歩道の音響信号、車のロードノイズやクラクション。都会の日常という音が遮断されたのか、一切の沈黙が包み込んだ。


 何かが来る!


 この勘が働いたのは、きっと以前にも同じような事を体験したからであろう――。俺とスフレの間に大きな亀裂が奔り、金属を引き裂くような、耳を塞ぎたくなるような、不快な音を零しながら、空間が裂かれる――地獄が覗く。


 二つの白い光がこちらを窺っているのが分かる。金縛りにあったような恐怖に囚われ、瞬きをすることもままならない状況に二人は息を呑む。光は囁きだす。


 亀裂から這い出た冷たい風は、黒いブーツに包まれた白い脚を連れてやってくる。

 地獄と現実世界の狭間に摑まれた指先は、白く、細く、冷ややかで物寂しい。

 心臓が縛られる恐怖に、俺の脳味噌は働こうとしない。


 地獄から這い出てきたのは、スフレと同じくらい白い肌を持つ少女であった――。


 ゴシック調の服に身を包んだ少女は、背中から黒いハネを生やし、頭には鋭い角を携えていた。猫の様な黒く丸い縫いぐるみらしき体系に、背中からハネを生やした生物を連れて。


 漆黒に塗られた床に届きそうな程長い髪は、冷酷そのものであり、灰のように煤けた瞳は、引き込まれるようだった。


 そんな少女の容姿に魅了されていると――囁きが聞こえた。



「あ、あんまり……見ないでください……」



 頬を赤らめた少女は、見た目によらず恥じていた。

 俺はというと、先ほどまで抱いていた恐怖から手放され、茫然と立ちすくむことしか出来なかった。


――またも、膠着状態だった俺を救ってくれたのはスフレの声だった。


「しゅぅぅぅーぜぇぇぇ―」


 いきなり背後からスフレに抱き着かれた少女は、驚いたのか目に涙を滲ませ、怯えた表情のまま固まってしまった。相当、身に応えたのか、背中のハネと角は消えてなくなっていた。


「おーい、スフレ。お前の知り合いかは知らないが、その子すごい怯えているぞ」


 その声が聞こえたのか、スフレは少女の正面に回り、また抱き着いた。


「しゅぜぇぇ、会いたかったよおぉぉ」


 わんわん泣くスフレ。それを見て苦い顔をするしかない俺。

 しばしの時間が経ち少女が落ち着きを取り戻し始めた。


「え……! スフレちゃん⁉ どうしてここに?」


 どうやらスフレの知り合いだったようだ。


「どうしてって私も修行よ」


 少女は泣き止まないスフレの頭を撫で落ち着かせる。


「ほらほら、落ち着いて。どーどー」


 少女はスフレの扱いに慣れているようで、次第に泣き止んだ。それにしても泣きすぎだ。相当この少女に会えたことが嬉しかったのだろうか。

 スフレを落ち着かせた少女は俺の前で立ち上がり、こう囁いた。


「あ、悪魔の見習いとして……主のもとにお降りしました……しゅ、シュゼット・アルマスです。……ど、どうぞよろしくお願い……します」


 悪魔と名乗った少女は、俺と目が合うと頬を赤らめそそくさと目線を逸らした。


「ああ、シュゼットな、俺はともきよろしくな」

「あ、あんまり……驚かないんです……ね」

「ああ、こいつがいる所為でな。驚くことか最近はこれが当たり前に思えてきた」


 俺の話を聞くと少女はスフレの方を向き、なにやら問い詰め始めた。


「スフレちゃん……一体何をやったの?」

「あー、えーと、と、ともきが魔法をみせてって言うから、異世界に行ってちょっと魔法を……」


 目を逸らしながら問うスフレに少女は叱りの言葉を連ね始める。


「あれほど、天界では無理やり信じさせるのはダメって言われていたでしょ? なんでそうしちゃうの?」

「うぅ―だってぇ、そっちの方が手っ取り早いんだもん」

「そういうことやってると減点されて、いつまで経っても修行終わらないよ? それにもしお姉さんにバレたら」


「だってぇ……」

「だってじゃなくて」


 さらなる追い打ちを掛ける悪魔。


「子供みたいなこといっていると、いつまでも信じてもらえないよ?」

「そ、そっちのほうは大丈夫だからぁ、け、喧嘩もたまにはするけどさ……」


 いいぞー。もっと言ってやれ。涙を浮かべながら助けを求めてくるスフレ。少しは反省しているかと思い、助け舟を出す。


「おーい、シュゼットさん。もーそこらへんにしといてくれよ。スフレも反省しているみたいだし」

「いっつもそうやって門……だいを……は、はい」


 俺に話しかけられ熱が逃げたのか、少女は萎んだように大人しくなり、自信のない口調に戻った。


「じゃ、とりあえず自己紹介からだな。俺は霧乃智樹。こっちは知っていると思うが、天使のスフレ。わからない事があったら聞きやすい方に聞いてくれ」

「は、はい……。わ、私はシュゼット・アルマス……しゅ、シュゼとお呼びください。こ、こっちは使い魔のマロンです……よ、よろしくお願い……します……ますたー」


 マスターと言う呼び名に突っ込もうとしたが、スフレが先に言ってくれた。


「ああ、シュゼこの人はマスターって呼ばれるのが恥ずかしいのよ。だから、トムって呼んであげて」

「ちょっと待て、何でお前が俺のあだ名知っているんだよ」

「あ、これあなたのあだ名だったの? あなたに似あうような可愛い名前考えていたら、浮かんできちゃって。これ考えた人と私気が合うかもね~今度紹介して!」


 助けてやったからって調子に乗っていやがる。別にお前の是非を認めたわけではないぞ。


「しねぇよバカ。……とまあ、こいつの言っていることは放っておいて、俺のことは好きに呼んでくれて構わないぞ」


 そう言うとシュゼは少し悩む表情をみせ。


「では、智樹さん……だめですか?」

「おう、いいぞ」


 始めてスフレに会った時に感じたような魅力があった。


「それじゃあ、仲良くなるついでに行きましょう!」

「い、行くって何処に?」

「もちろん、決まっているじゃない! さぁさぁれっつごー!」



 俺とシュゼを掴み、スフレは転移魔法を使った――。

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