第一章
第2話これが始まり
「――――――」突如、脳に直接言葉が囁かれたような気がした。
体を起こし、あたりを見回すが誰もいない。
気のせいだったのだろうかと体の力を抜き、寝そべりかえる。
するとまた、囁きが聞こえた。
「……――」
微かに聞こえてくる音に耳を澄ませる。
「霧野智樹さん」
聞こえた――。
確かに聞こえた。自分の名前を呼ぶ声が。
ベッドから飛び起き、アパートの一室しかない暗がりに目を凝らす。
蒸し暑い夏の夜に憎たらしいほどの蟲の声。
「なにもない……」不安に思いあたりを見回し、存在を確かめようとする。
金縛りに似たような不安が、身を縛り上げていた。
暗く静まり返った部屋は、物音立てず日常(いつも)を演じている――。
勘違いだと疑いたかったが、視界に入ったものが疑いをなきものにした。
天井から小さな光がゆっくりと舞い降り、頭のすぐ先で停止した。浮かんでいる光は大きく膨らみ、やがて閃光を漏らし、弾け飛んだ。
それと同時かドスンと鈍い音が部屋に響き。
「あいっ……たたた」
と、痛がる女の子の声が聞こえた。俺は今起こった事情を把握出来ずに、ただただ茫然としていた。だれか、説明できるやつがいたら教えてくれ、クリスマスには早いぞ。
「初めましてマイマスター。あなたの元で修行に明け暮れるべくお降りしました。天使ちゃんです」
やっぱり、説明できるやつ誰か来てくれ。夢でも見ているのか。寝ていたら突然女の子が降ってきて、宗教の勧誘をするとか聞いたことないぞ。明日一限なのに、こんなことで遅刻して単位を落としたらどうやって説明したらいいのだ。
ありのままを説明しようにもむりがあるだろ。
理解不能であり且つ寝起きドッキリを喰らわされたが、頭の回転はそれほど悪くなく、こういう時であるというのに、屁理屈ばかり思いつく。
どうでもいいことを考えている間にも言葉が続き、最後に。
「ということですので、しばらくお世話になります」
その言葉だけ理解したのか、反射的に理解を始める。
つまり、同居するということか? それはいろいろと不味い状況になりうるのでは。
「初めましてのまえに俺はあんたが見えないのだが……」
「おっと。これは失礼」
と、思い出したような口ぶりに続いたのは「パチッ」という指を鳴らす音だった。
「――……!」周囲が明るくなった。
目の前には、今までの声の持ち主であろう少女がいる。
背丈は日本人女性の平均ほどで、白い肌に白い髪、青い瞳に小ぶりな顔立ち。
全体の容姿は人形の様に整っており、赤いドレスから覗く鎖骨と首筋のラインは華奢といえよう。そんな少女に魅了されていた俺は、はっと思い出したかのようにドア枠の隣にあるスイッチを見遣る。
――オフにされたままだった。
瞬きを繰り返すが元には戻らず、目の前にいる少女が囁き始める――。
「では、もう一度。初めましてマイマスター」
青藍のような瞳を持った少女はニコリと微笑んだ。赤いドレスのスカートをつまみ、白く長い髪を翻らせ会釈をした。
「ど、どういうことだ? まったく理解できないのだが」
「天使になるための修行の為、あなたの元にお降りいたしました」
「天使? 修行? どういうことだ。まず、そこを理解させてくれ」
訳が分からず動揺する俺に、少女はそっと微笑みうなずいた。
「それではお教えいたしましょう。天使というものは、人の心の善の一部なのです。人の心は千差万別ゆえ様々な形で天使は存在しますが、あなたの心によって作り出された天使は、わたしであるといえばいいでしょうか。人によって天使というものが異なってしまうので、一概にこうであるとは言いづらいかもしれませんが。主に天使の囁きとか言うアレです」
アレってなんだよ。宗教の勧誘にしては話にまとまりがないし、口調もそれほど強引ではない。とりあえず、宗教勧誘による遅刻の事態は免れそうだが、まだことは済んでいない。
「信じる者は救われるみたいな?」
「はい。そんな感じでとらえていただければ幸いです」
「じゃあなんでそんな天使さんが、見えるようになって家に?」
「そこが修行にかかわってくるんですよ。一人前の天使になるために修行を行わなければいけないのですが、そこは後程ご説明いたしますね」
なんとなく流されたような気もするがいいことにしよう。
「じゃあ、天使がいるってことは悪魔もいるのか?」
その単純な質問に明るい笑顔で答える少女。
「はい。もちろんです。悪魔は私たち天使とは相反するもの、ととらえていただければいいでしょう。天使と悪魔では色の好みも違いますし、おっとりした子が多いようです。稀にそれに反するものもいるようですが……」
少し目を逸らした少女は、ため息をつき話の続きを進める。
「ほかに違うところと言えば、魔法とかですかね」
「魔法?」
「はい。天使は様々なものを造りだす故、魔法に長けているのです。ですが、悪魔達は古典的な魔術から離れようとせず、その点で天界ともめているのです」
「へー。魔法と魔術の違いってのはなんだ?」
「そうですね。たとえ話をしたほうがいいですね」
と言い、あたりを見回し手ごろなものがないか探す。――そのたびに翻る髪や顔に、不覚にも魅力を感じる。
「例えば、あちらにあるぬいぐるみの腕や脚などを動かすことは魔法でも可能です。ですが、魔術はあのぬいぐるみに魂を吹き込み、意思のある行動をとらせることが可能です」
隅にある小さなラックの上に置かれている熊のぬいぐるみを手のひらで指し例える。
少し間を開け続ける。
「ほかにあるといえば発動時の時でしょうか。魔法は思ったことをすぐに現実へと引き出せます。ですが、魔術の場合は、術式や札、詠唱といった類のものが必要です。無論、大規模なものであれば、魔法にも陣などやある程度の時間や下準備。といったものが必要なのですけどね」
ここまでの話を振り返ってみても、やはり疑問が残る。魔法だ。なんならいっそ見てみたい。
「やっぱり信じられんな、魔法ってなんだよ。そんなに言うんだったら、いっそのこと見せてくれよ」
「ええ、かまいませんよ。ですが、場所を変えましょうか。ここでは狭いので」
にやりと今までにない笑みを浮かべ、少女は言った。
狭くて悪かったな。
「それでは、次元酔いに気を付けてください」
少女は俺の手をとり、部屋の真ん中へと移動させた。
ニコリと微笑んだ少女を見遣ると、一瞬で辺りが真っ暗闇にのまれた。
――その瞬間、光が捻じ曲げられ、頭を大きく揺さぶられたように吐き気が込み上る。
吐き気に耐えるため、目を強く瞑り、いいと言われるまで我慢する。
――――――――――。
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