戦国の鍛冶師
和蔵(わくら)
第1話 はじまり
第二次木津川口の戦いは、天正6年11月6日(1578年12月4日)に毛利家と織田家との間に起こった海戦である。
この戦いが起こった経緯は、織田信長が、石山本願寺と勃発した戦闘(石山合戦)において本願寺を包囲し、兵糧攻めを行ったのが始まりである。
1576年の第一次木津川口の戦いで、本願寺付近の海上を封鎖していた織田水軍は、毛利水軍・村上連合水軍の使用する焙烙火矢の前に大敗し、毛利軍の本願寺への補給を許してしまったのだ。
そして第二次木津川口の戦いでは、織田信長が九鬼嘉隆に命じて、大筒・大鉄砲を装備し、焙烙火矢が効かない鉄甲船6隻を建造して、戦いに鉄甲船を投入して戦況を一遍させたのだ。
毛利・村上連合水軍は破れ、撤退してからは本願寺勢は劣勢になっていった。
そうした中に、摂津と堺に接する地に来一族が住んでいた!
その来一族の直系である次男坊・
この者は、背丈は高くは無いが肩や筋肉とかは、確りとしている。
武芸は刀の試し切りなどで使用する、居合いなどを
鉄砲の腕前も中々であった!
そんな次男坊の好成は、一向宗の本願寺の援軍として石山本願寺城に
立て篭もっていたのだった。
一族は一向宗であった!
一族総出で戦に参加する事は出来ず、一族の次男・三男が参戦していた。
その援軍の頭として、来好成がなっていた。
援軍の数は13人だけであったが、そんな中には
好成の幼馴染の女子で、元はくノ一であった
芳乃の親父は、伊賀の下忍であったが、抜け忍になり逃げていた所を
好成の父親に助けられたのである!
忍者も暇ではなく、1人や2人の抜け忍に人を避けるはずも無く
直ぐに追っ手を撒けたのだ。
そんな芳乃の父は、好成の父に対して恩義を感じて、鍛冶の手伝いを
始めるとともに、娘の芳乃を好成の許婚として、好成に嫁がせると言い出だ
していたのだ。
「私は戦で死ぬかもしれぬ、だが私は只の女子ではございません
死ぬのなら好成様と供に死にとうございまする」
芳乃の訴えで、好成は最初は連れて行く気は無かったのだが、こうも言われたら
連れて行かぬ訳には行かなくなった。
それだけ芳乃は好成の事を愛していたのだ。
そんな芳乃の事を好成も愛していた!
この戦国の世で、両思いの恋などが幾つ有り得たのか、数得る程しかあるまい!
そんな恋路は、戦の炎で焼き尽くされかけていた。
第二次木津川口の戦いは、毛利・村上連合水軍の敗北で負けたからである。
兵糧は直ぐには無くならないが、士気は目に見るように低下していったのだ。
そんな劣勢の戦いの中で、石山本願寺城の出城の1つである、来砦に立て篭もって
居たのが、来好成と来一族達であった!
そこに優勢になった織田の軍勢が襲い掛かっていた!
来一族は、刀鍛冶・鉄砲鍛冶と両方を作る事が出来た一族であった。
一族である為に出来たのだ!
直系は鉄砲鍛冶を新しく学び、分家が刀鍛冶を続けていたからだ。
一族総出で鍛冶師であった、来一族であったから出来たのだ!
直系である好成は、小さい時から刀鍛冶を学び、青年になってからは
鉄砲造りを学んだのだ。
それを知っていた本願寺の戦奉行は、来一族に砦を1つ与えて守らせて、
死守させていたのだった。
その砦に織田家の軍勢が、数に物を言わせて襲い掛かっていた!
来一族の者も良く戦っていたが、数が足りずに推し負けて行っている。
また1人、また1人と仲間を失い。
好成と芳乃は、共に此処を墓場と決め手死ぬ覚悟をしていた。
芳乃は村上水軍が使っていた。焙烙弾を少ないが譲ってもらい
芳乃自信でも生産していた。
そんな芳乃の奮戦も数の前には、無意味に感じられていたのだ.....
そうして種子島の弾も切れて、残るは焙烙弾が1個だけである!
覚悟を決めた二人であった.....
「芳乃.....来世では
「私も好成様と来世で夫婦になりとう御座います」
そうして起こる大爆発!
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