第九十二夜 七人のこどもたち
直塚という警察官は、鼻が効くことで有名だった。
といっても、事件や事故という意味でではない。
世見町は歓楽街の性質を持つがゆえに、実は隠れた子供がたくさんいる。中には戸籍を持たなかったり、戸籍があっても放置された子供、栄養失調ギリギリで生きている子供たちなどである。
直塚は外回り中心であり、そういう子供たちを見つけては保護をしている。
「お疲れ様です!」
子供を一人また児童相談所へと引き渡したあと、後輩の一人にそう声をかけられた。
「凄いですよね先輩。もうこれで何件目ですか?」
「……さあなあ。忘れてしまった」
「ってことは、それだけ助けてるってことですよね。ネットの記事じゃ評判ですよ、世見町の子供を救うヒーローがいるって。名前は書いてないけど、これ先輩ですよね」
「記事なんていい加減さ。ヒーローなんて格好のいいものじゃない。助けられなかった子供はもっと大勢いるし、こんなことは世見町だけで起こっていることじゃないから」
「でも、なかなかできることじゃありませんよ」
「……いや、俺は本当に何もしていないんだ。それに、俺は……恐ろしいだけなんだ」
多くの人間がこの言葉を聞くと、「たしかに子供が失われていくのは恐ろしいな」ということで納得してしまう。
だがこのとき、後輩は意味が理解できずに受け流してしまった。
「なにかコツって言ったら変ですけど、そういうの感じるところがあるんですか」
直塚は胡乱な表情をしてから、皮肉な笑い方をした。
「……お前は信じないかもしれないが……」
直塚はそう言って語り出した。
あれは、直塚が警察官になって二年目のことだ。
当時の直塚はまだ新人に毛が生えた程度でしかなく、特に世見町など毎日どこかで何かしらの起こる地域だ。持ち前の正義感は既に疲弊状態にあり、どこで折り合いをつけるかが重要になっていた。
そんなある日のこと。
本来、夜の見回りは二人一組のペアになって行われていたのだが、その日はたまたま直塚は一人で行うことになった。といっても二人だけではないし、応援を頼まれれば行くことになる。
直塚が繁華街からは少し離れた住宅地に近いところを歩いていると。
「……ん?」
不意に奇妙な音を耳にした。
からから……からから……からから……。
そんな音だ。ずいぶんと妙に聞こえた。
ひどく小さな音なのに、耳につくのだ。遠くから聞こえているような、すぐ近くで聞こえているような変な音だった。
――なんだろうな。
風でビニールがこすれる音とも違うし、何か回っているようにも聞こえる。
一応、何か異常がないか見ておこうと、直塚は音のほうへと近づいた。霧のようなもやのようなものが出ていて、あたりはいつの間にか遠くのほうが見えなくなっていた。
いったい何事かと思っていると、向こうのほうに今度は奇妙なものが見えた。
霧の向こうで、まだ小学生にも満たないような子供たちが、六、七人、一列になって歩いているのだ。列の一番後ろにいる子供が、おもちゃのかざぐるまを持って歩いている。カラカラという音はそこからしているのだ。
だが時間は夜の二時。
いくらなんでも子供がいていい時間ではなく、そもそも六人も七人も子供が集って何をしているというのか。
中学生や高校生ならありえないことでもないが、それがまだ年端もいかぬ子供だというのなら補導よりも保護対象かもしれない。
直塚はその奇妙な集団を追いかけた。
見たところ大人の姿は無い。何かあってからでは遅いのだ。
いろいろな大人がいる。未婚で水商売だが子供を愛している母も、両親そろってまともな職業なのに虐待する親も。
そしてこんな時間に子供を外に――しかもよりによってこんな町で――放り出すような親は、まともとは思えなかった。
だが子供たちは予想外に足が速い。なんとか警戒心を持たれないように近づこうとするものの、なかなか追いつかなかった。
しかしそれが功を奏したのか、子供たちが一軒のアパートの二階へあがっていくのが見えた。
――もしかしてあそこが家か?
アパートの扉が開いた。
大人がいるのなら話をしようと、視線を逸らさないまま近づいていく。
だが中から出てきたのはやはり子供だった。きょろきょろと扉の前にいる七人を見る。
すると、今までおもちゃのかざぐるまを持っていた子供が、促されるように扉から出てきた子供へとかざぐるまを渡した。そして、一番前で先導していたような子供が、それを見た途端に子供の輪から抜け出した。
霧の中を走っていき、他の子供たちはそれを無言のまま見送っていた。
――なんだ、今のは……!?
慌てて足を早める。
子供たちはまた一列に並ぶと、新たに加えた一人を後ろにして歩き出した。霧がいっそう濃くなって、子供たちはその中に消えていく。
「お、おい。きみたち。きみたちっ……!?」
子供たちがいた扉の前にたどり着くころには、もうその姿は見えなくなってしまった。
気が付くと霧も消えていて、直塚は周囲を見回した。だが子供達の姿を見つけるその前に、妙なにおいに気が付いたのだ。
――……な、なんだ……。このにおいは……?
ゴミのような、汚物のような、腐臭のような。
それらがぜんぶ混ざり合ったにおい。
嫌な予感がして、大急ぎでアパートの大家に連絡をつけると、鍵を開いた。
そこでお菓子の袋とハンバーガーショップの袋にまみれて死んでいたのは、がりがりに痩せた子供だった。
それはあのとき扉の中から出てきて一団に加わった子供とそっくりだった。
――そんな、馬鹿な……。じゃあ、あれはいったい……。
それから、直塚は稀にあの子供の集団を見ることがあった。
子供たちは常に七人で、ときおりそのメンバーが変わっていることがあったが、一番最後の子供がおもちゃのかざぐるまを持っているのは同じだった。
彼らは直塚が見たときと同じように扉の前に立つことがあったが、新たな子供が加わらないときもあった。
そしてそんなときはいつも、部屋の中で死にかけた子供を発見するのだ。
「いつの間にか最初に……加わった子供も、いなくなってしまった。今はまったく違う子供たちが七人になってるんだよ」
直塚はため息をつきながら言った。
「……で、でもそれがホントだとして、先輩は実際に子供を救ってるじゃないですか。いいことですよ」
後輩は苦笑いしながら言った。
「それに、その幽霊みたいな一団だって、一人加われば一人が抜けられるんでしょ? それってつまり、成仏できたってことじゃないですか」
「……あの七人に加えられてるうちは誰が救うんだ。もしこの町で不幸な子供がいなくなったとしても、あの七人はいったいいつ……」
そしてそのときどうなってしまうのか。
直塚も後輩も、何も言うことはできなかった。
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