第七十三夜 獣臭
中黒が勤めていたラーメン屋は、半年前に一年足らずで閉店した。
そこそこ有名なチェーン店であること。
世見町という人手の多い場所であること。
その中でも特に繁華街の中心地に近いところだったので、堂々とオープンしたにも関わらず閉店したのはおそらく不思議がっている人間が多いだろうが、原因はとある臭いだ。
中黒は開店当初から働いていた社員だった。
店長になったのは別の店でも既に店長として働いていた人で、まあ人物像としては良くもなく悪くもなくといった程度だった。
アルバイトも数名雇い、二日ほどの研修を終えたあとに店はオープンした。
オープン初日は客も盛況で、まずまずといった出だしだった。
もちろんアルバイトたちの動きが悪かったり、些細な間違いなどは連発したが、なんとか回すことができた。店長はそれについて苛々としていたが、中黒はまったく逆で、今日の反省を次に活かせばいいとフォローした。
こうしたことが飴と鞭として機能してくれたせいか、一週間もするころには少しずつでも改善が見られていった。
ところが、それからしばらく経った頃である。
「ねえ、なんかこの店、臭くない?」
最初にそんな密やかな声を発したのは、若い女性だったと思われる。
「えー、そうかなあ? あたし、鼻悪いしラーメンの臭いしかしないけど」
思わず聞き耳を立てると、連れ合いのもう一人の女性はそう首をかしげた。
何だろうと思ったが、女性の近くにいる人や、女性の鼻が敏感すぎたということもありえる。少なくとも中黒が近くを通りかかった時には何も感じなかった。
掃除の際にそこを重点的にやっておく程度に留めて、そのときは気にしなかった。
だがそれから、その話は次第に大きくなった。
三ヶ月もする頃には、入ってきた瞬間に眉をひそめる客が出始めた。
「なんか変な臭いがしないか?」
どうも鼻が敏感な人たちがその臭いを嗅ぎ取るらしく、客に出していたアンケートにも「ラーメンは美味しいけど店に変な臭いがする」と書かれてしまうくらいだった。
そこまで来るとさすがに無視できなくなってきて、バイトも含めた全員で臭いについて協議することになった。
「でも、確かに時々するんですよね。なんか獣臭いっていうか……」
「獣臭いって、ブタとか?」
「ブタはさすがに嗅いだことがないですけど……。昔、飼ってる犬を二週間くらい洗わないでいたらそういう臭いになりましたね。それよりもっと薄いですけど……」
「掃除がしっかりされてないんじゃないか? 困るんだよ、サボっちゃ」
店長の一声に、バイトたちの中には微妙な空気が漂った。
とにかくその時は掃除をしっかりする、ということでお開きになってしまった。
ラーメン店なのでそりゃもちろん豚や鳥といったものは扱うが、それはあくまで処理されたものだ。既に肉や骨になったものが冷凍で送られてくるのを煮込むだけなので、洗っていない犬のような獣臭がするはずはなかったのだ。
しかも、それからも臭いはした。
一度などは、はっきりと客から言われてしまったのだ。
「臭うね」
そう言ったのが結構な――こう言ってはなんだが、顔のいい青年だったので思わずぎくりとしてしまった。記憶に残るほどに。
「申し訳ありません」
「気にしないほうがいい」
青年は更に続けた。
「何せ、前の店も獣臭がしたんだからね。少なくともきみたちのせいではないし、どうしようもないさ」
そう言ってにっこりと笑ったのだった。
当然、中黒としても気持ちのいいものではなかった。自分達のせいではないと言われてもハイそうですかで流せるようなものではないのだ。
だが、前の店も獣臭がしていたということは、少なくともどこかから臭いの元が入ってきてこの店で滞留していると考えるほかない。
そこで手始めに、中黒は外の換気扇などのチェックをした。
どこか近くで犬を飼っていないか、野良犬がいないか。
だがどれほどチェックしても、それらしいものはなかったし、それどころか臭いのほうはどんどんとキツくなっていった。
鼻の鈍かった店長も次第に気が付いたらしく、一度、業者に消毒を依頼するかということにまでなった。
それどころか「あそこは犬の幽霊が出る」とまで言われてしまって、冷やかしに写真を撮って行くだけという客までいた。
その臭いはラーメンを食べる時にも邪魔になってきて、噂だけならともかく「臭い、臭い」と言われてしまっては客も減る一方だった。
ついには朝一でやってきたバイトが吐き出すほどの獣臭が充満しはじめたのだ。
夜中、監視カメラを設置してもダメ。
外をチェックしてもダメ。
結局、ラーメン屋は一年足らずで採算がとれなくなり、そのまま閉店になってしまった。
その後建物は取り壊され、獣の死体が出たとか犬の骨が大量に出たとかいう話があり、少しだけ町の噂になって終わった。
果たしてそれが関係があったのかどうかは知らないが、建て直した今は、そんな噂が立たないことを祈っている。
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