第六十二夜 エレキギター
「十年くらい前かなあ。バンドやってたんだよ、俺」
玉城はかつてインディーズのバンドを組んでいた。
今の玉城を知る者からは、その姿は想像もできないらしい。以前は曲によって金や赤に染めていた髪もすっかり黒髪に戻っているし、化粧も化粧水ぐらいしかしなくなってしまった。
当時、彼がよく訪れたライブハウスには、一本のエレキギターが置いてあった。
世見町にあったライブハウスなので、まあいろいろな系統のバンドや歌い手がいたわけだ。ギターは楽屋代わりに使われているバックヤードの部屋にあった。いつでもそこにあり、誰のものでもなかった。
横にはシールが一枚張ってあり、今やメジャーに成長したロックバンドが、インディーズ時代に出したグッズのひとつだった。
数年前からあるものらしいので、もしかしてと思った誰かが聞いたらしいのだが、結局誰のものかは見当もつかなかった。
見たところによると、それはエレキギターの中でもシンプルというか、初心者にもオススメできるタイプだった。
楽屋は他のバンドメンバーと共用だったし、基本的にバンドの中でもギターを持ち歩いている連中は、ちゃんと自分のものがわかるようにしていた。
だから練習用とか、予備とか、備品の類なのかと思ったらしいのだが、このエレキギター、とにかく「触れない」ことで有名だった。
まず何より、スタッフからしてなかなか触れない。
掃除の際にちょっと片付けて、とか、バランスが悪いから直す、くらいならともかく。
悪戯心から弦を触ってみようとした瞬間、突然部屋に先輩が現れて慌てて立ち上がる――なんてのは日常茶飯事。
その先輩と一緒に触ろうとしてみても、突然電話が鳴り出す。
先輩が電話を取りに行っている間に試そうとしてみても、今度は先輩から「お前に電話だ」と代わられる。
またある時は、とあるバンドメンバーが、暇を持て余して弾いてみようとしたところ、携帯電話――当時はまだスマホが出ておらず、ガラケーと呼ばれる携帯電話だった――が一斉に鳴りだした。
まあそんな「突然の電話系」は平和なほうだ。
誰かに話しかけられたとか、喧嘩が始まったとか、それどころではなくなるのもまだいい。
酷い時には、触ろうとした瞬間に横の荷物が崩れて頭に落ちる。
荷物に誰かの残した煙草の火が引火して燃え上がる。
誰かが移動させようとした大荷物が当たったり、しゃがみこんだ姿にけつまずいて惨事を起こすこともあった。
ともかく、あらゆる意味で楽器として触れさせてもらえなかった。
「あのギターは呪われてる。そんな噂まで立った」
そんなとき、だ。
ライブハウスに一人の男性が現れた。
まだ若いその男は、このライブハウスにエレキギターが無いかと尋ねてきたのだ。
なんでも、その男の兄が以前、このライブハウスにエレキギターを置きっぱなしにしたまま外へ出て、そこで事故に遭ってしまったのだという。彼は長い間植物状態に陥り、家族のほうもこのままケアを続けるか、覚醒を待ち続けるかを長いこと協議した。
ところがそんな兄が、ほんの少し目を覚ましたあと、エレキギターが無いと口にしたのだという。
それはもう驚きだった。
そういえば高校時代から兄の使っていたエレキギターが無いなと気付いたのは最近だった。兄の好きだったインディーズバンドのシールが一枚だけ貼られたもので、彼も何度か弾いているのを見た。
うるさいからという理由で家で弾くことはなくなったが、スタジオや学校の音楽室などを使わせてもらっていたのだ。
なんでも、ライブハウスに置きっぱなしにしたまま忘れていたとだけ言って、再び微睡みの中に沈んでいった。
弟は兄の友人たちを頼り、このライブハウスに行き着いたのだという。
当然、半信半疑だった。
とはいえ、まったくライブとは縁の無さそうな男がそんな事を知るとも思えなかったし、そもそもあのエレキギターには触れないのだ。どうせ弾くこともできないだろうしと、店長以下の面々は、ひとまずエレキギターを見せることにした。
まあそもそも店にあってもどうしようもない。
ところが、楽屋に通してエレキギターを見せると、弟と名乗った男は声をあげた。
「これだ! よく覚えてますよ。インディーズバンドのシールもある……」
思わずといったように手で持つと、そのまま弦に触れたのだ。
あ、とその場にいた全員が思った。
その途端、エレキギター特有の音がその場に鳴り響いた。
「あはは。やっぱり俺じゃ全然わかりませんね……」
照れ笑いのような顔を見せる男を前に、スタッフは呆然としてしまったそうだ。
それを近くで見ていた玉城も口をあんぐりと開けてしまった。だって、今まで触ることさえ出来なかったエレキギターを。……エレキギターを。
「……どうかしました?」
「あ、いえ。どうぞお持ち帰りください」
「いいんですか?」
突然、掌を返したような感想に男はぽかんとしていた。
「はい。おそらくギターも待っていたのではないですか」
「はあ……」
弟と名乗った彼はそう言われてもまだぽかんとしていた。そばで見ていた玉城はじれったくなって、こう言い放った。
「いいんだよ、早く持ってってやれよ」
金髪に染め、派手な衣装を着込んだ彼に少し怖じ気づきつつも、男は頭を下げて出ていった。
それからしばらくして玉城のバンドは解散してしまったが、ライブハウスにはまだ訪れていた。聞いたところによると、あれから少ししてからまた弟と名乗る男が現れて、兄が亡くなったと告げたのだ。
なんでもエレキギターを持ち込むと、再び目を覚ましたのだという。そしてエレキギターに触れると、何年も調律をしていなかったというのに、音は鼓動のように鳴り響いたのだという。震える手で好きだった曲を弾き終わったあと、そのまま逝ってしまったのだという。
不思議なことに、兄が亡くなってからしばらくすると、エレキは壊れてしまったかのように急に古びた。
幸い、修理に出してみたら動くようなので、やってみようかと思っている――それだけ告げて、去っていったのだ。
「……俺はな、不思議なんだ」
玉城は言う。
「あのとき、あのエレキは絶対にアンプに繋がってなかったのに、繋がってるような音まで出しやがったんだよ。弟はド素人で、爪で弾いたっていうのにな。そりゃあ、エレキはアンプが無くてもある程度の音は出るさ。……でもやっぱり持ち主の大事にした楽器っつうのは、なんかしらあるんだろうなあ」
だが玉城は恐ろしいとも怖いとも言わずに、笑ったのだった。
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