第三十七夜 迷惑客

「二度と来るかこんな店! 俺が来ないからって、後悔してもおせーんだよお!!」


 捨て台詞を吐いて、男は巨体を揺らして出ていった。途中で怯えた女性客を睨み付けていったが、すぐさまどこかへ消えていく。

 ふう、と別役は息を吐く。

 横で同じように見ていた店長が、面倒臭そうな顔をして言った。


「塩撒いとけ」


 コンビニにようやくホッとした空気が満ちる。

 客たちは買い物に戻り、店員は配置に戻る。


「……なんです、今の?」


 別役がレジに戻ると、バックヤードにいた後輩が微妙な表情でこっそりと聞いてくる。

 たかがコンビニで何を言ってるんだ、という侮蔑の色が混じっていた。


「名物客ってか、迷惑客のひとりだよ。前々から女性客につきまとったり、レジの時に女性店員の手を握ろうとしたり、セクハラめいた事言ってきたりさ。だいぶ問題だったんだ」

「じゃあ、今日もそういう?」

「いや、今日はなんか外に向かってずっと怒鳴ってた。気に入らない奴でもいたんじゃねえの。店長がいい加減止めようとしたら殴りかかろうとしたもんで、これ幸いと出禁にしたんだよ」

「はあ、なるほど」

「でもこれで、迷惑客は一人片付いたよ」


 別役がそう言ったところで、客がレジへと向かってきた。

 後輩もバックヤードに戻り、休憩の続きに入る。

 だがこれで終わったわけではない。そう、片付いた迷惑客はまだ一人なのだ。


 世見町にコンビニはいくつか点在しているが、ここはまだマシなほうだろう。

 繁華街に近いあたりは、時折明らかにカタギではない客がいたりするというから恐ろしい。このへんは区役所通りに近いので、まだ見た目がマトモな客の方が多い。ただし内面のほうは無意識に見下されている感がある。自分たちの役所勤めというステータスが、その鼻を高くしているのだろう。

 わざわざ自分たちが下々の世界まで買いにきてやっているという面の人間が多くいる。

 別役の気のせいかもしれないが、どうもそういう風に見えるのだ。


 だがそれより煩わしいのが更にある。


 それは深夜の、人の途切れる時間帯に訪れる。

 区役所通りのほうは、繁華街のほうの通りと違って夜になると客も少なくなる。

 なので、店員はバックヤードで休憩を取ることが許されていた。一応監視カメラも見ていなくてはならないし、ドアが開いたら見なくてはいけない。

 ドアの音は奥まで聞こえるようになっているので、寝てしまっているとか、イヤホンで音楽に熱中してるとかでもない限りちゃんと聞こえる。


 以前雇っていた大学生が、障害というほどでもないが少し耳が聞こえにくい、という人物だったが、特に不便はなかったそうなので、健常者なら尚更である。


 しかしそいつは違う。


 音もしないまま入ってきて、いつの間にかカメラの前に陣取ってこっちをじっと見ている有様だ。客がいたのかと慌てて出ていくと誰もいない。悪戯かと思ってバックヤードに戻ると、まだカメラの前に陣取って笑っているということが続いた。

 そのくせ、反対にレジに誰かが突っ立っていると、今度は違う現象が起こる。自動ドアが開くのだ。それなのに誰も入ってきておらず、変だなと思っていると、自動ドアが開閉を何度も繰り返すことになる。

 これには深夜を担当するフリーターや大学生連中も恐ろしくなった。

 この現象のおかげで、今までに何人もの人間が辞めていったのだ。

 ひどい時には三人ほどが一斉に辞める事態が起き、利用者も多く、店長も人が悪いわけではないのに、交代が多いコンビニとして本部に認知されている。

 そのうえ一部では、お化けコンビニとして有名になってしまった。


 だが別役は違う。

 彼は何件ものアルバイトを掛け持ちするアルバイターであり、それで食っている人間である。迷惑客であるならなんとかせねばならない。そういった妙なプライドのようなものが燃え上がった。


「よし、休憩入るか」


 深夜になって人がいなくなったあと、バックヤードに入る。

 通常であればスマホを触ったり、軽食をとったり、ラジオを聞くくらいまではある程度許されている。スマホアプリにもラジオがあるし、暇つぶしにはなる。

 しかし、別役は軽食をとりながら、じっと監視カメラの映像へと目線を向けた。


 手は動きながらも、目線は常に映像に向けられていた。

 そこには誰もいない店内が映し出されているだけだ。


 このコンビニに入ってくる幽霊は、バックヤードにいる時には、気付かれないうちに入ってくる。だから、決まった時間に映像を凝視して、瞬きにさえ気をつけていれば入ってこないことに気が付いたのだ。

 だがほんの一瞬、伸ばした手が倒してしまったペットボトルに気を取られたうちに、監視カメラの中にはその男が出現していた。


 ――ちっ。


 別役は恐怖でも怒りでもなく若干の苛立ちを感じた。

 カメラの向こうで相変わらず男は無言で表情が無いままたたずんでいる。


「今日も駄目だったか。いや、でも――」


 別役はペットボトルを立たせると、そのままずんずんとレジに立った。

 当然そこには誰もおらず、客もいない。


 別役は知っているのだ。

 こうして先に男が来てしまった場合――レジに立ってしまえば、今度は音を立てられることはない。無論別役には見えているわけではないし、一人でやっているので、監視カメラの映像さえ見なければ男がどこにいようが無視すれば良かった。

 しかしもし見えていたのならこう言い続けることだろう。


 ”お客様、そういった事はおやめください”と。


「幽霊だろうがなんだろうが迷惑客には変わりない。対処法さえわかればこんなものだ」


 などと別役が友人に言ったところ、友人は別役のその発想にこそ恐れおののいた。

 なおそれからしばらくして、幽霊は出なくなったという。別役はガッツポーズをし、無言のまま勝利の勝鬨をあげた。

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