第三十三夜 二階
「どおりであそこ、妙に臭いと思った」
野々山はため息をついて言った。
「今のニュースか?」
同僚が顎でテレビを指す。
「そうそう、男が同棲中の女を殺したってやつ。ちらっと映った場所、見たことあるだろ?」
地元ニュースでさらっと流されただけで、それ以上の報道もたいていは無いような事件だ。
「そういえばこの近所だな。どこだろ」
「今のニュースだと取るに足らない感じだったけどな、ネットの情報によると、男のほうが頭がおかしくなったみたいで」
「ふうん? 頭がおかしくなって殺したのか」
「いや、そうじゃなくて、なんか殺したあとにおかしくなっちまったらしい。何日か経って、腐り始めた死体を執拗に刺してたんだか殴ってたんだかいう話で、瘤がどうとか喚いてたとかそういう」
「うわ」
同僚も嫌悪感を隠しきれなかったらしい。
「で、この間、たまたま連れと近くを通ったんだよな。三日か四日くらい前だったんだけど、すげー臭かったんだよ。生ゴミかなんか放置してたのかと思った」
「マジかよ。すげえ体験だなあ。それもきっついわ」
「まあ正直、ぞっとしたわ。それよりも今はこの家のほうが気になるけど」
「えー、そうかあ? 死体より音のほうが気になるお前のほうが怖えーわ……。まあでも、此処も古いからなあ」
ここは世見町にあるウェブ系の仕事をしている小さな会社だ。会社といっても、かつて古い商店だった場所を借りているので、初めて来た人たちは会社なのかどうか迷う。
野々山と目の前にいる男と、あと二、三人で構成されている。ウェブ系というのもあるが、むしろ小さいがゆえに社風は自由だった。やることさえやっていれば、こうして仕事中にテレビを見るのも自由だ。
とはいえ、本来野々山はあまり仕事中にテレビをつけたくない。ラジオのほうがまだ集中できそうなのだが、ラジオが無いのでテレビをつけている。スマホをつければ専用アプリがあるのだが、最近は電池の消耗が激しくなってきたので、節約したかった。
しかしどうして野々山がつけたくないはずのテレビをつけているかというと、理由がある。
「確か、二階からたまにギシギシ聞こえるんだっけか」
「そうなんだよ、それがめっちゃ怖くて」
「ええ……」
そうはいうが、音は野々山の集中力を突然削ぐレベルだった。
「お前、気にならないのか?」
「家鳴りの類だろ。うちの実家も古かったからよう、たまにギシッ、とか、パキッ、とか、そういう音してたぜ。屋根もトタンだったせいか、カラスが乗っかってくると音が響いたりもしたしな」
「ふうん。やっぱ家鳴りの類なのかね」
野々山はそれだけ言って話を切り上げると、仕事に戻る。
同僚もテレビ観賞のほうに戻ってしまったらしく、ニュース番組を続けて見ていた。
ぎしり。
パチパチと微かに鳴るキーボードの合間を縫って、またそんな音がした。どうにも二階で誰かが歩いているようで、気になる。
野々山の実家は洋風で、新しい作りだった。それもあって、家が鳴るというのに慣れない。古い社屋に物珍しさからはしゃいでいられたのは最初のうちだけだった。
ぎしり。ぎしり。
再び歩くような音が鳴り、野々山はそれを振り払うようにパソコンに集中した。
そんなことがあった数日後のことである。そろそろ二階も使えるようにしようとのお達しで、野々山と同僚は二階にあがった。
「二階でどうするんだ?」
「家具を置いて、客間にするんだと」
「ふうん。メールのやりとりだけで充分だと思うけどな」
「そうもいかねえだろ。直接会って話したほうが早いことも多いし」
「そうかあ?」
子供の頃からITに親しんできた野々山にとっては、ウェブ上のやりとりの方が早い気がしている。
「あって悪いことはねえだろうよ。でもどっちかっつーと、ネットは信用できねえみたいな上の世代のせいだろうな。ほら、この間の災害の時でもそうだろ。いまだに『電気が無いくらいで』とかいう江戸時代に生きてるみたいな奴」
「辛辣だなあ。しかしなるほど。そりゃあまあ、仕方ない」
ぎしり。
ぎしり。
廊下を歩くと、古びた音が響く。
意識は上の世代への苦労から、すぐに音に引き戻された。
「ほら、まるで人が歩いてるみたいだろ」
「そう言われればそんな風にも聞こえるかもしれんけど」
二人は二階の部屋に入ると、すぐに窓を開けた。
「埃くせーな。何も入ってないくせに」
「まあな。でもさっさとやっちまおう」
部屋を片付けるといっても、掃除をしなければ何も始まらない。
こんなの業者に任せれば良かったのにと思うがもう遅い。そもそも節約のために自分達でやろうというところから始まっている。言われたとおり上の方からハタキで埃を落として、掃除機で一通り吸ってしまう。
それから雑巾で拭く、というのが一連の流れだった。
掃除を終えたら、とりあえず壁の様子を見たあと、床に絨毯だかなんだかを敷くという話だ。
「水変えてくるわ」
「おう、頼んだ」
バケツの中身が黒ずんできたころ、同僚はバケツを持って下へと向かった。
野々山はため息をついた。
さっき古い水で絞っておけば良かった。このままだと新しい水もすぐに真っ黒になるな、と思っていると。
ぎしり。
ぎしり。ぎしり。
廊下から聞こえた音に、野々山は振り返る。今のが家鳴りなのか、戻ってきた同僚なのかがわからなかったのだ。
廊下に出てあたりを見回すと、廊下の奥のほうへと歩いていく背中が見えた。
「おおい、どこ行くんだよ。運び込むのはこっちだぜ」
野々山は声をかけた。
ぎしり。ぎしり。
思わず苦笑しかける。古い廊下を歩む音は、稀に聞こえるあの音にそっくりだ。野々山はその背中を追いかけようとした。あんな奥に部屋があっただろうかと思いながら。
「おい、一人だけサボろうとすんなよ」
そのとき、後ろからギシギシと階段をあがる音と一緒に、同僚の笑い声がした。
「いや、サボりじゃ……えっ?」
野々山が振り返った視線の先に、同僚がバケツを手にしていた。
もう一度廊下の奥を見ると、そこには当然のごとく誰もいなかった。
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