第三十四夜 証拠写真
「あそこの引っ越し、三度目でしたね」
「まあ、多分何か『居る』んだろうなあ」
加城はタバコをふかしながら言った。
二人は居酒屋で酒を飲んでいた。居酒屋といってもチェーン店で、よく知られた店だ。
加城は世見町を拠点にする引っ越し業者の社員である。引っ越し業者といっても、元々はトラックと運転手の貸し出しをしている何でも屋だ。一人か二人分の荷物をトラックで運ぶ作業を安価で引き受けているというものだが、その内容はほとんど引っ越しである。世見町は人の出入りが激しいので、それほど仕事に困ることはない。
二人が話していたのは、世見町にある元商店だった二階建ての建物だ。少人数のウェブ系会社が入ったのだが、あそこは一体いつまで保つだろうなあ、と加城は薄く笑う。
「事故物件でも、次に一人住んじまえば、そのあとからは報告は自由だからなぁ」
「先輩、そういうのって結構あるんですかねえ……」
後輩があまりにもそわそわと尋ねるので、加城は笑ってしまった。
何しろ加城たちが請け負っているのは、得てしてそういうところが多い。
「そうだなあ。脅かすわけじゃないが、こんな話もあるぜ」
加城はからかう意味もこめて、話し始めた。
加城が昔やった物件の話だ。
そこは一ヶ月ごとに何度も引っ越しを請け負うので、加城の会社はまるで専任のようになっていた。
理由は様々だ。何か怯えたようにしている人もいれば、偶々こっちで仕事をするので借りていたという人。体を壊したので実家に戻るという人。
しかしどういうわけか、みな「ここにいると妙に体調が悪くなる」というところが一緒だった。
その日の引っ越しする人も――(仮に名をAとしておく、と加城は途中で言った)同じようなものだった。
一人暮らしだったので荷物もそれほど無いと思われたが、小さなタンス等の家具がいくつかあった。
挨拶を終えて、まだ梱包の済んでいない荷物を手伝おうとした時、Aはこんなことを言い出した。
「……あ、そうだ。すいません、ここのタンス最初にお願いします」
「ああ、いいっすけど」
「すいませんね。この下にシミがあって。写真撮りたいんですよ」
「写真?」
加城はなんだこいつ、と思った。そういう趣味があるのかと思ったくらいだ。
「ええ、入った時からあったんです。だからタンスも置いたんですけどね」
Aがスマホを弄って、頼んでもないのに「来た時」の写真を見せてくる。
「こうして入った時の写真を撮っておけば、俺が汚したわけじゃないって証明できますから」
そう言われて、加城はようやく納得がいった。
賃貸なので、傷やシミなどが増えた場合は補修分を請求されることがある。自分がやったわけでもないのに補修を請求されても困る。
場合によっては、毎度のように同じシミに対して難癖つけるような悪徳な大家もいるが、これなら黙らせることができる、ということだろう。そんな大家ならただでは黙らないかもしれないが。
納得してしまえば、感心するのと同時に、意外にしっかりした奴だな、と思った。
それと、そういえばこの部屋には小さなシミがあったなと思い出した。最初のほうこそあまり気にしていなかったが、何度目かに見ると意外に大きなシミだったように思う。
だからこそタンスで隠していたのだろう。
「ああー。前もこの部屋の引っ越しやったんですけど、そういえばシミがありましたね」
「あ、やっぱ知ってました? いつからあるんだろう……」
加城は部下に指示を出し、タンスを先に持って行かせた。
タンスを先に持っていかせ、Aが写真を撮ろうとした時だった。
「うっ!?」
Aは呻き、加城も少しだけ半笑いになった。
「これ……撮るんすか」
思わず尋ねたくらいだ。
「と……撮りますよ」
そのシミは人型になっていた。まるでそこに誰かが倒れているかのようだった、以前はもう少し小さいというか、シミにしては大きかったが、これほど人型だとはっきりわかるくらいではなかった。
Aは少しだけ震えていたし、加城も息を呑んだ。果たして以前にはこんな風だったか。
ここはもしかして事故物件だったんだろうか。
Aは写真を撮ったあと、気分が悪いので少し休ませてくれとだけ言って、外へ出た。加城もそれを黙って見送った。
そして――。
加城もスマホを取り出し、写真を撮ったのだ。
それは気まぐれだった。
事故現場なのはわかっているが、これほどはっきりとしているのは見たことが無い。幽霊に悩まされたという話はいくつもあるが、証拠として存在しているのははじめてだ。
そしてその写真は――。
「え、ええーっ。それで先輩、その写真どうしたんですか」
後輩の声に、加城はにやりと笑う。
「おう、今あるぞ」
「マジっすか? え、ホントに? マジで言ってます?」
慌てる後輩をよそに、加城はスマホを取り出して写真を表示させた。
「ほれ」
にやにやとスマホを渡す。
ひい、と小さく悲鳴をあげながら、恐る恐る後輩は写真を見た。
うわっ、とか、すげえ、とかいう声に思わず笑いが漏れる。
「うわーっ。でもほんと気持ち悪いですよこれ……なんかやだなあ。顔もはっきり出てるし」
「えっ?」
加城は思わず聞き返す。
返されたスマホを見ると、加城は少しだけ目を見開いた。
顔とおぼしき部分には白く抜き取られたような箇所があった。その下の床の模様と相俟って、まるで瞳のようだった。じっと加城のことを見ている。賑やかな居酒屋の中だというのに、急に汗が噴き出た。
あとで聞いたところによると、例の部屋は床を張り直し、今はその部分は綺麗になっているということだった。
加城はスマホの中の写真をどうすることもできず、今もメモリーの中に一枚。残ったそれを二度と開かないようにしている。
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