第三十夜 映画館の不思議
「ここの天映シネマってさ、変な噂があるよな」
「は?」
蒲生の言葉に、友人が聞き返す。
新作映画の公開だからと今しがた並んでいるところなのに、他ならぬ天映シネマの変な噂とは。
「ここって四年前にできたばっかだろ? 何かあったのか?」
「それがさ、前の鬼王シネマの解体中に、支配人がここで死んだらしいぜ」
「えっ、そうだっけか。そんな話あったか?」
「あったんだよ。新聞にも小さく載ったぜ。だけど新聞に載ったのは、前の支配人が亡くなったってことだけ。実はちょっとおかしな死に方してたって話だ」
「へえ。どんなだ?」
列が進んだので前に歩く二人。
「既に解体が始まってた映画館の中で死んでたんだと。新聞だと見学中の突然死ってことになってたけど、着てたのはパジャマだったんだとさ。しかも外側からは施錠されてたから、どっから入ったのかわからないし、支配人は仕事を辞めてからちょっと頭がおかしくなってたんだってよ」
「へえ、はじめて聞いたな」
「ま、実際のところは痴呆だか認知症だかが進行してたんじゃないか?」
蒲生は肩をすくめた。
仕事一筋だった人間が、急にやることがなくなってぼんやりすることはよくあることだ。仕事をしていても、実は毎日同じサイクルで仕事を片付けていると、次第に脳を使わなくなってそこから認知症に進むこともある。
どう考えてもそういうタイプだと蒲生は断じた。
「でもよ、本当にそれだけかって思わないか?」
「それだけって?」
「ほら、鬼王シネマって七不思議とかもあったろ? それに加えて支配人がそんな死に方したもんだから、オカルトサイトとかだとちょっとした騒ぎになったみたいだぜ。今もさ、天映の地下にはかつての鬼王シネマへの入り口があるんだってよ。きっとそこには鬼王シネマに取り入られた支配人が……」
「お前、好きだよなあ……そういう話」
脅かすように言う蒲生に、友人は呆れる。
「ほら、列が進んだぞ」
二人は歩き出し、しばらくしてからようやくチケットを買えた。
インターネットで予約すればすぐだったのだが、二人は直接行けばいいかと高をくくっていたのである。
「なんだって今日はこんなに混んでるんだ?」
蒲生はぶつくさと呟く。
「土曜だからだろ。それにまだ公開されたばかりだし」
「あー、もうちょっと後にすればよかった」
それか諦めて、天映のサイトに登録してチケットをとるかのどちらかだ。それでもネット予約できる分はとっくに完売していたので意味が無いが。
まあでもチケットはとれたことだし、と蒲生は案内に従って、廊下を歩く。
「そういえば、鬼王シネマって地下にあるんだよな?」
友人がなんとなく言う。
地下に向かう階段の前まで来ると、それとなく気になった。それでなくても、新しい映画館の二階や地下がどうなっているのかは好奇心に駆られた。
「おう、そうそう。だからもし、地下に向かう階段が見えたら注意した方がいいらしいぞ」
蒲生はからかうように言う。
「えー? なんだそりゃ。地下、あるじゃねえか。なんだよその噂」
「だよなあ」
蒲生は思わず笑ってしまう。
「でもな、それで鬼王シネマに行きたいって思いながら下ると、行けるらしいぞ」
「そうなのか?」
「おう。なんか選ばれた人間とか行けるらしい」
選ばれた人間とか、どういう基準だよ。と蒲生は笑う。
「じゃあ時間あるし、地下にある鬼王シネマでも見てくるわ」
「……お前も好きだなあ」
友人に笑われながら、目についた階段を降りていく。後ろから友人もついてくる。結局二人とも、好奇心には勝てなかったのだ。
しばらく降りていくと、天映の青い光に満ちたスタイリッシュでSF的な空気は次第になりを潜めた。地下特有の少し暗い空気に満ちていく。
いくら建物の中とはいえ、ちょっと暗すぎだろうと思う。
――なんだっけ。鬼王シネマに行きたい! って言えばいいんか。鬼王シネマに行きたい!
強く思いながら蒲生は階段を降りる。
それでも下には当然、天映シネマの地下が広がっているはずだった。
「なんか、新しい映画館の地下っていってもあんま変わんねえなあ」
蒲生は、こういう所は割と雰囲気が変わらないようになっていると思っていた。少なくとも地下だと太陽光を取り入れられないので、結構工夫している所が多いように思ったのだ。
だがここは下るにつれて、次第に少し古いような、薄気味悪いような空気に満ちていっている。
「なあ、お前もそう思――」
地下に降りたところで振り返ると、そこに友人の姿はなかった。
「え」
チケットを持ったまま、思わず固まる。
友人の姿が無いだけではなく、そこには今しがた降りてきた階段もなくなっていた。
「おいっ!? どこに行ったんだ!?」
戻ろうとしても戻れない。
あたりを見回すと、奇妙に古びた映画館といった風だった。
確かに地下はちょっと薄暗い感じがしたが、この天映にこんなに古びた場所がある意味がわからない。
「……なんだよ。なんだよここ!」
誰か探そうと前に飛び出すと、電気も青からオレンジ色の蛍光灯のようだった。
胸騒ぎがした。これ以上行ってはいけない。
――もしかして、此処……。
だが、出口が無い。
しばらく彷徨うように歩いていると、ふと後ろ姿を見つけた。
友人だ。
「良かった、こんなところに――」
「おう、やっと来たか」
「やっと来たかって……ここであってんの?」
もしかして、地下はわざとこんな感じで――鬼王シネマの面影を残して作ってあるのを、鬼王シネマに行けるって言ってるだけとか?
友人はそれを知ってて黙ってたのか。
「そうそう、あってるんだよ」
友人は俺の腕を掴んで歩き出した。
「こっちだ」
「な、なんだよも~~っ、俺途中まで信じたんだぜ!? ほんっとお前……」
そこまで言いかけて、友人の手が妙に冷たいことに気が付いた。
「なんだ、ずいぶんと冷えてるんだな、此処……」
「まあ、クーラーが効いてるからな」
意外に人もいるし、さっきまでテンパッていた自分が恥ずかしい。
スタッフとおぼしき男ににこやかに微笑まれ、蒲生はどういう顔を向けていいのかわからなかった。
男は人の好さそうな笑みを浮かべた。
「ええ、此処であっていますよ」
「えっ?」
「ようこそ、鬼王シネマへ。わたくし、支配人の野崎と申します。本日はご来館頂きまことにありがとうございます」
蒲生はあまりのことに呆然としてしまった。
なんだ?
今流行りの体験型RPGってやつか?
でも此処はあまりにも体験型にしては広すぎて、妙に冷ややかで、暗くて……。
――逃げないと。
突然、心臓が高鳴り始める。
ここは駄目だ。
ここにいては駄目だ。
けれどもう遅かった。
抜けだそうとした腕は妙に強い力で引っ張る。
そういえば、この友人の名前はなんだっただろう?
「もうしばらくで上映が始まりますのでお静かにお願いします」
向こうのほうでがちゃりと扉が開いた。
スクリーンに続くはずの扉は既に真っ暗だった。いくらなんでもこれはないというほどの闇が、蒲生を呑み込まんとそこに鎮座していた。
蒲生の喉から悲鳴が轟いた。
何度も何度も悲鳴をあげても、支配人は楽しげに笑うだけだった。
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