おもちゃおじさん

ゆあん

第1話 おもちゃにまみれるおじさん

「申し訳ありません!」


 犬塚正男が頭を下げると、そのひたいから大粒の汗が滴り落ちる。精一杯の謝罪は子供の鳴き声とエンドレスで流れ続ける店内放送で、あっという間にかき消された。


「○✕▲※○✕▲※~!!!!」


 眼の前では泣き喚く三歳児と怒り狂う母親が、ヒステリックな二重奏を奏でていた。あまりに興奮していて、最早何を言っているのか聞き取れない。


 経緯はこうだ。母親の手元を離れてしまった子供が、商品案内をする犬塚のふくらはぎに激突。不安そうなその子に配給されている特製シールをあげようと屈んだ所、恐竜のように泣き出してしまった。あぐねている内にお客様は姿を消し、代わりに顔を真っ赤にした般若はんにゃのようなお母さんがすっ飛んできた、という訳だ。


「申し訳ありません」


 先程から端末の救援ボタンを押しているのだが、仲間が応援に来る気配は無い。頭を下げたまま目線を流せば、長蛇の列のその先にはフル回転するレジがあった。


 それもそのはず、今日はこの大型幼児向け玩具小売店「トイアイダ鎌ヶ谷店」の五周年特売セール最終日で、しかも日曜日だ。店内は人でごった返し、スタッフ間のコミュニケーションすらろくに取れないような状況だった。負けじと割り込む子供達の叫び声のおかげで、全員貸与のインカムは機能していないに近い。


「○✕▲※○✕▲※~!、この、ハゲ!」


 しかし悪口というものはそんな環境でも良く通るし、なぜか聞き取れるものだ。その例に漏れず、最後の一言だけは犬塚のインカムを通じてスタッフ間で共有された。普段なら笑いを堪える仲間もいたかもしれないが、なにぶんこの混雑だ。そんな余裕はどこにも無く、お気の毒空気が漂っていた。母親の一言をきっかけに、カラッと晴れ上がったように笑う子供が、それに拍車をかけていた。


(ちくしょう。いったいなんで、この俺が)


 犬塚は屈辱と常態化した胃痛に耐えるために歯を食いしばった。眼の前の母親は金髪へそ出しで犬塚の子供と同年代。自分の不始末を棚に上げた理不尽なクレームと、勢い任せの罵倒。「薄毛は苦労の証」と自らに言い聞かせてきた犬塚の自尊心をいたずらに引っ掻いていく。


「申し訳、ございません」


 半年前の自分に、今の自分が想像できるわけが無い。今の自分にしたって、なぜ自分がこんな状態に置かれているのか、いまいち良くわかっていない。わかりたい訳が無かった。


 犬塚正男いぬづかまさお、四九歳。営業畑で叩き上げられたおっさんは、研修生の名札をつけて、今日もおもちゃ売り場で奮闘していた。

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