第3話

…触れた手のひらはとても熱くて、私はまだその温度を忘れられずにいる。





「荻野」


私の名を呼ぶ声に振り向いて、それから少しだけうつむいた。


「…松野」

「昨日は、ごめん。いきなりだったし」

「私の方こそ、ごめん」


気まずい沈黙と共に、あの熱が蘇る。熱くて、少し痛くて、そして……。


「私、日直だった。行かなくちゃ」


私はまた逃げてしまう。向き合うのが、怖いから。このままじゃいけないってことは、とっくに分かっているくせに。



松野 ただしは私の彼氏だ。野球部のエースで、女子からも人気がある。

だから、まさか私を好いてくれるなんて思ってもみなかった。

親友の美沙都が「一人じゃ行けない」というから、一緒に野球部の試合を見に行った日。

真剣にボールを追いかけるその瞳に、私は恋をした。気がつけば松野を目で追ってしまうし、その笑顔が見たくて、幼馴染の海幸くん目当てだと言う美沙都よりも、野球部の試合に通いつめた。

そしてちょうど一か月前、夏休みに入る少し前に、頬を赤く染めた松野に「好きだ」と告白され今に至っている。


大好きだから、そりゃ色々なことがしたい。彼は部活があるから忙しいし、試合は今まで通り欠かさず見に行っていたけれど、やっぱりデートとかだってしてみたかった。

そんな私の想いを見透かしたかのように、松野が「花火を見に行こう」と誘ってくれた時はとても嬉しかった。ろくに着たことの無い浴衣を着て、張り切っていた。

…なのに。



「…荻野」


熱にうかされたような瞳、大きくて熱い手に腕を掴まれて、私は身動きが取れなかった。

その瞬間、身を貫いたのは恐怖だった。


「…触れてみたいとは、私も思ってたのに」


ぽつりと呟いて、机につっぷする。手を繋ぐところまでは純粋に嬉しくて、そしてとてもドキドキした。でも、あの瞳を見て怖くなってしまったのだ。

大好きなのは変わりないのに、何でなんだろう。


「荻野、日誌終わった?一緒に帰ろうぜ」

「あ、松野。部活は?」

「今日は休み。ほら、雨降ってるから」

「そっか」


窓の外は生憎の雨だった。私は立ち上がって、扉の横に佇む松野の所へ向かう。


「あのさ荻野。これやるよ」

「え?…飴?」

「うん…」


檸檬味の炭酸水と同じ名前をした小さな飴。昨日、松野が飲んでいたのと同じ。


「…ねえ、知ってる?恋が叶うおまじないなんだって」

「え?これ?」

「うん。…私、松野が好きだよ。ずっと前から好きだった。だから、昨日も嬉しかったの。本当だよ?でも…」

「本当に良いってば、俺も分かって…」

「ううん、言わせて。いつもと違う松野が少し怖かった。でも今は知りたいと思ってる。私の知らない…ううん、誰も知らない松野のこと」

「…荻野」

「だから、おしえて」


躊躇するように、松野の手が私の頬に触れる。熱い。記憶から離れないこの熱。


「俺も、荻野のことが前から好きだった」

「え?」

「誰よりも真っ直ぐな目で見てくれてるの、気がついてた。だから、ずっと気になってたんだ」

「松野…」


くちびるが触れあう。手のひらから飴が落っこちて、でもそんなこと気にならなかった。


「荻野」

「…絵美って呼んでよ。私も、忠って呼ぶから」


照れ隠しでそう言うと、松野は…忠は優しく笑って頷いた。


恋が叶う飴の噂は、どうやら正しかったみたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る