きらきら弾ける
椿 梨乃
第1話
ぱたぱたと廊下を駆ける、誰かの上履きが鳴っている。私は薄目を開けて、誰もいない放課後の教室を見回した。
茜色に染まった教室は静かで、何故か少し物悲しい。右耳にだけはめていたイヤフォンを外して、乱雑にポケットにしまった。どうせ元々音楽なんてかけていなかったから。
立ち上がろうとすると、ぎ、と鈍く悲鳴をあげて木製の椅子と机がきしむ。窓の外を見れば、部活動に勤しむ生徒達ももう帰ろうとしているようだ。毎日毎日、同じようで違う今日の繰り返し。
私は暫くそれを眺めてから学生鞄を肩にしょった。ほぼ何も入っていない、軽い鞄を。
「…あ、皆川」
その時、教室に満ちていた静寂は破られた。弾けるように声の方を見ると、まだTシャツと短いズボンを履いたままのクラスメイトがいた。名前は、あまり覚えていない。
「…どうも」
「忘れ物、しちゃってさ。ほら、明日の数学!戸賀ってよく当てるじゃん?だから…やらなきゃって」
「へえ、そう」
沈黙が落ちる。だって、私はこの人と話すこと、ないし。じゃあね…と別れの挨拶をしようとすると、彼は慌てたように右手を突き出した。
「こ、これ!」
「…へ?」
「あげるよ。皆川に」
思わず手を皿のようにして彼の右手の下に添えると、ぽろりと手の中に何かが落ちた。
透明で、きらきらしたもの。飴玉だった。
「飴……」
「檸檬の味なんだけど、大丈夫…?」
「うん。好き、だよ」
ありがとう、と柔らかい口調で返すと、彼は嬉しそうに笑った。あまりに嬉しそうだから、こちらまで戸惑ってしまうくらいに。
「じゃあ、ね」
「うん…あのさ、皆川」
「うん?なぁに」
彼は照れくさそうに笑った。
「うちのクラスの窓辺に、放課後になると皆川がいるなぁって思ってたんだ。グラウンドから、いつもちょうど皆川の頭だけ見えてて」
びっくりして言葉も出ない私に、彼は早口で言い訳のように言葉を連ねる。変な意味じゃなくて、だの、ただ単に興味で、とか。
それが可笑しくて、私は思わず笑ってしまった。
この人、とても変な人だ。
「また、放課後に来ても良い?」
捨てられた子犬のような目をしてそう言うものだから、私は笑いを堪えることで精一杯だ。何だか、可愛い。
「此処はあなたのクラスでもあるんだから。そんなの、当たり前なんじゃない?」
そう言うと、彼はそのことに今気がついたかのようにハッとするものだから、私はますます可笑しくてたまらない。
「じゃあ、ね」
今度こそそう言って手を振ると、彼も笑って手を振ってくれた。すれ違いざまにちらりとTシャツの袖を見ると、そこには「鈴宮」と刺繍がしてあった。そうか、鈴宮っていうのか。
学校を出てから、私はきらきらして綺麗な飴玉を日に透かす。透明な光が瞬く。
ぺり、と包み紙から剥がして口の中にいれると、しゅわりと口の中で檸檬の味が弾けた。くすぐったい。
初恋は檸檬の味と、誰かが言ったっけ。
そんなことを考えながら、私は軽い学生鞄を揺らして、ポケットにいれたイヤフォンを弄っていた。
長い髪が初夏の風に揺れて、口の中から檸檬の匂いがふわりと漂った。
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