噂・05




 凛凛の案内で慧麗宮をこっそり抜け出し向かった先は南。



 静かな慧麗宮周辺と違って人が多い。そして役人の格好とは明らかに違う見慣れない鼠色の衣服を着た男たちの姿が目に付いて気になった。



「あの人たちは? 見た感じ庶民のようだけど」



「彼らは新しい祭殿の建築に携わっている者たちです。祭殿を夏の祭事までに完成させるためには人手が足りないそうで。市街から人を集めたそうですよ。最初は大工仕事の経験者や力仕事を専門にしている者たちばかりでしたけど、完成間近になった最近は細かい作業が主になるそうなので、腕のいい工匠職人なんかも雇われて来ているそうです」



 腕のいい工匠と聞いて、ユリィは花睡館の三華姫の一人、麗蓉を思い出した。



(もしかしたら姐さんの想い人、ここに来てるかも……)



 とはいえ名前も聞いていなければ面識もない。知っているのは生年月日と嗜好くらいだ。



「───悠悠、見えてきましたよ。あそこに見えるのが備品倉庫です」



 立ち止まった凛凛にユリィの思考は中断する。



(麗蓉姐さんの想い人も気になるが、まずはこっちが先だな)



 凛凛が指した方向に黒い屋根で高床の建物が三棟見えた。


 手前にも建物があり、官吏が出入りしている。



「あそこが亡くなった真徳の仕事先ね」



「はい。いま私たちが立っている場所は南門から入った場合ですとおよそ真ん中辺りです。南門から入るとまず建築中の黎彩殿、それから厨司庁など各部署が集中しています。そしてこの真ん中から奥は役人の官舎があります」



「それって……」



 ユリィは小首を傾げた。



「逆を言えば官舎からいちばん近いのが倉庫やそれを管理している部署になるわけよね」



 倉庫は〈装備館〉とも呼ばれ、土木工事などを担当する『工務庁』の管轄下にある設備部が管理しているのだと凛凛は言った。



 高床の倉庫や所属先の部署がある建屋から出た先には真徳が寝泊りしている官舎しかないというのに。



 いくら方向音痴とはいえ迷子になるなど変ではないか?



 官舎へ続く石畳の通路は幅も広く複雑でもない。周りを見渡してみても、路樹は低木が多く手入れも行き届いている。


 背の高い樹木ばかりなら包み込まれるような閉塞感があるが、ここはそれもない。



 風通りの良い場所だとユリィは感じた。



 逆に風通しの悪い場所や狭い路地には瘴気が集まり溜まりやすい。



 邪気を好む妖獣であればそういった場所に現れると思うのだが。



「行きましょう、凛凛。もっと南へ」



 装備館から南門のある方角へユリィたちは向かった。



 最初に見ておきたいのは官吏真徳女官悠香の遺体が見つかった用水路だったが。



 南門に近いため門番はもちろん騒動があってからは見張りの衛士も増えたらしく、あまり近付くことはできないと凛凛は言った。



「仕方ないわね。今日は場所だけ確認できればいいわ。でも変ね。変死体が見つかった朝は前日の雨で水嵩もあって流れも速かった。遺体が外濠まで流れなかったのはなぜなんだろう」



「それは格子網があったからです」



 凛凛が答えた。



「あそこを流れているのは厨司庁で使われた汚水です。格子網を設置して野菜や調理のくずゴミが取れるようになっているんです」



 外濠の清潔を保つ目的もある。そして生ごみは堆肥にもなりますからと凛凛は言った。



 ───なるほど。くず取り用の網に引っ掛かったせいで遺体は外濠まで流れずに発見されたわけか……。




 用水路近くから移動し、新築中の祭殿を遠巻きに眺めながら歩くにつれ、官吏以外に宮女の姿も多く見かけるようになった。



 厨司庁が近いせいだと凛凛は言う。



「これから夕餉の支度に向けて忙しくなりますから」



 凛凛の言った通り、厨司庁が近くなると様々な匂いが漂ってきた。



 火が焚かれている匂いや食材が炊かれる湯気の匂い。香ばしく何かが焼かれる匂い。



 それから音。


 調理の音、食器が重なる音。───人の声。騒めき。



『華睡館』の厨房を思い出す。



 あそことここじゃ比べ物にならないくらい広いし人も多いが。



 雰囲気を懐かしく思いながら緩やかな勾配の階段を上り、厨司庁へ足を踏み入れた瞬間───、



 ユリィはその気配を感じた。



 冷やりとしたものが背中から入り込んだような感覚に襲われて立ち止まる。



(この気は……⁉)



 一瞬、探していた「妖力持ち」の気配かと思ったのだが。



(違う。これは……)



 なんだろう。



(これは呪の気配?)



 呪気とか呪意とでも言うべきか。



 人を呪う悪意をユリィは確かに感じた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る