豆腐と永遠

 え、い、え、ん。永遠?僕は思わず聞き返した。そうだよ、と高木は真顔で頷く。

「永遠って言った。今」

「えいえん」

 僕の箸の下で冷奴が崩れている。背後の店員がいらっしゃいませ何名様でしょうかと叫んだ。

 ドラマや映画っていうのは俺はどうしても好きになれないんだ、と高木が言ったのが始まりだった。「なにが好きになれないって、あの独り言だよ。こないだなんて、ヒロインが片思いの相手の前で『はあ、なんでこんな人好きになっちゃったんだろ……』ってつぶやくんだよ、そんなことありえないだろ、『えっ?』『あっ、ううん!なんでもない!』とか言って」「あるよね」僕は笑ってそう返した。しかし高木は僕の相槌など聞かずに、「お前の独り言みたいなのがほんとの独り言なんだよ」と続けたので、僕は笑いを曖昧にして冷奴の皿を引き寄せた。

 僕の独り言のくせは、いまに始まったことではない。外ではなんとか堪えているのだが、気を許した人の前だと、無限に独り言が出てしまう。恥ずかしいけれど、仕方ない、という開き直った気持ちもあって、親しくなりそうな人には先んじて「あのう、僕、めちゃくちゃ独り言言いますけど、気にしないでください。気になるなら怒ってください」と言っている。最初怪訝そうな顔をしていた友人未満の彼らは、やがて僕の独り言を聞いて納得し、多くの人は離れ、何人かはぐっと距離を詰めてきた。その、ぐっと距離を詰めてきたうちの一人が高木だ。

「お前の独り言のいいところは意味がまったくないことだ」「困るところでもある」「お前が困るかどうかは聞いていない」高木はときどき横暴だ。「お前、あれはなんなの、自分で言ってて気づかないの?」「気づくよ、いくらなんでも。そうじゃないと仕事ができない」「さっきのは?」「さっきの?」そして高木は神妙な顔で、一文字ずつ声に出したのだ。「え、い、え、ん」「永遠?」「そうだよ、永遠、って言った。今」「えいえん」

 たしかに、映画やドラマで脈絡もなく「永遠」と呟く登場人物がいたら物語に支障があるだろう。「なんで永遠なんて言ったんだろ」「永遠のこと考えてたわけじゃないんだろ」「冷奴のことしか考えてなかったよ」「ああ、その前に豆腐豆腐とも言ってたな」「そっちは覚えてる」「そういうのがいいんだよなあ」

 いったいなにが良いのか分からずに僕は黙り込む。黙り込む、というのは比喩表現で、僕の口からはまた、ぐちゃぐちゃ、と独り言が漏れている。粉々になった豆腐を箸の先で慎重に持ち上げて口に運ぶ。運ばれてきた唐揚げがだしつゆの香りを一気にかき消した。高木は大皿に乗った唐揚げを独占しながら、「お前覚えてるか、棚田先生の授業」と言う。「心理学?」「そう。フロイトか誰かが、言い間違いはその人の無意識を反映するって言ってただろ。それをいつも思い出すんだ」「僕の独り言で?」「そう」

 僕が唐揚げに箸を伸ばすと、高木は心底残念そうな顔をして皿から手を離した。不本意、と僕の口から言葉が落ちる。それから、ジークムントフロイト、とも。高木はそのどちらにも返事をせず、「そうだな、あれだよ、つまり……引き出しのことを考えるんだ、俺は」と箸を空中に彷徨わせる。「引き出し」僕は引き出しを引き出す真似をしてみせる。実家の学習机についている木製の引き出しだ。空想の引き出しは出しすぎてがたんと膝に落ちてきたので、僕もがたんと言ってしまう。

「この間俺は、純粋芸術と自己表出を言い間違えた」「ぜんぜん違うじゃないか」「そう、一文字も合ってないけど、俺の頭の中の同じ引き出しに入ってるんだよ、純粋芸術と自己表出が。たぶん同じ時期に覚えた言葉なんだよな。『芸術』と『美』らへんに共通点もある。あとどっちも普遍性に関する言葉だし」「いったいなんの話をしようとして言い間違えたんだ?」僕の疑問には答えず、高木も架空の引き出しを開けてみせる。「ジークムント・フロイトさんが言ってたニュースとジュースの取り違えは、同じ引き出しに入ってるんだというのを想像したんだ、棚田さんの授業で。ニュースとジュースとか、純粋芸術と自己表出は分かるだろ、同じ引き出しに入ってる意味が。まあ他の人には分からないかもしれないけど、俺には分かる。でもお前の引き出しは」と高木は突然唐揚げを頬張って、五秒ほどの沈黙が降りる。「豆腐と永遠がいっしょに入ってるんだ」

「豆腐と永遠」

 僕は豆腐と永遠が実家の引き出しに入っているのを想像した。ほこりが、と僕はつぶやいている。ほこりがはいる。豆腐に。

「もう一個教えとくと、お前その前は久留里線って言ってた」「く、久留里線」「最高だよ。純粋な独り言って感じがする」高木は唐揚げの皿をいつのまにか空にして、架空の引き出しを開けてにやにや笑っている。ポテトサラダは何と一緒に入っているのか知りたくて、僕は店員を呼び止めた。



‪(お題箱より 「つい独り言を言ってしまう人の話を。」)

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