ハリネズミは裏切りの食卓の上

「でもほんとうに、さつきが結婚すると思わなかったな」

「何回言うのそれ」

 さつきはカウンターの向こうで笑っている。駅から徒歩20分でも即決したという、大きなカウンターのダイニングキッチン。私の手土産のカステラを切っているさつきのその手元を見るともなしに見ながら、「……だってほんとうにびっくりしたんだもん」と私は言う。私のはすむかいでは、さつきの夫が所在無げにうつむいている。爪をいじるその神経質な手つきから視線を逸らして、私はさつきばかり見ていた。さつきがどんな男を伴侶に選んだのか、知りたくなかった。さつきは、結婚できないんじゃなくてしなかったの、とぶつぶつ言いながら、カステラを運んでくる。

 へんな唐草模様のついた平皿に、カステラが積み木のように乱雑に転がしてある。さつきは皿を置いたその手で一切れを掴み、立ったまま口に運んだ。さつきの夫はそれを微笑みながら、おそらく愛のある目つきで微笑みながら見守り、礼儀正しく「いただきます」と私に言ってから手を伸ばした。

「だってさあ」

 私はカステラに手をつけずに、女子高生のころのように机に上半身を預けてさつきを見上げる。

「……だってさあ。言ったでしょう」

「なにを」

「私を置いて結婚しないって」

 さつきはまじまじと私を見て、「……そんなこと言ったっけ?」と首をがくんと傾けた。そんなことだろうと思った。さつきの夫が気の毒そうに私を見たので、私は過剰に演技がかった仕草で「ひどい、裏切ったのね!」と目元をぬぐってみせる。

 私はカステラの皿をまじまじと見た。白地に水色のプリントで描かれた唐草模様の中に、よくみるとまぬけな顔のハリネズミがいる。中学生の女の子が好むような、ファンシーなイラストのハリネズミだ。持っているりんごだけが赤く描かれている。ダサい。私は眉根を寄せて、デパ地下で一生懸命選んだ金色のカステラを手に取って口に運んだ。

 この子は高校の頃からそうだ。どんな高級品も、どんなセンスのいい雑貨も、あっというまにポップでダサい色合いに変えてしまう。夫はそれに気づいているんだろうか? カウンターの上にはすでに、どこのともつかない小さなお土産品が雑多に置かれてこぼれ落ちそうだ。

「結婚なんてしなければよかったのに」

「また言ってる」

「私を置いて」

「はいはい」

 そして私の声がだんだんと真剣みを帯びてくるのに、いつまでも気がつかない。私はハリネズミの持っているリンゴを見つめながら、これがダサいことに気づかない夫であってほしいと、旧友の幸せを無言で祈った。カステラのしっとりした甘みが口の中に残り、指がぺたぺたする。麦茶くらい出せよ、と私が言うと、さつきはしようのない子供を見る母親のような顔で笑った。


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