ショート・ショート・ケーキ

便所飯

 便所飯というのは、想像するほどなまやさしいものではない。

 便座に腰かけ、短く息を吐く。しっかりと閉めていた鞄からサンドイッチを取り出して膝の上に置いてから、音姫のスイッチを押す。大学の音姫は音も安っぽく小さく、あまり機能を果たさないが、音を流しているということに意味がある。

「……え、この間の話はどうなったの?」

 外から女の子の声が聞こえてきた。順番待ちだろうか。大事なのは、人が待っているからといって慌てて食べて出ようとしたりしないこと。長居しているのを悟られないために、とことん長居すること。

「彼女、やっぱりいるみたい」

「大学のひと?」

「わかんない、水口くん、あんまり言いたくないみたい」

 三つ並んだサンドイッチの中から、まずハムを選ぶ。カサカサ音がしないようにゆっくりと取り出し、前歯で噛みちぎる。レタスの音がしないように、舌の上にきちんと収めてから咀嚼する。マーガリンとハムが口の中で滑り、パンがしんなりして上あごにくっついた。

「でもそれであきらめるつもりもない」

 左隣の個室が空いて、誰かが代わりに入ってきた。隣の音姫に紛れて、もう一口。その間も、会話は続いている。

「……あきらめ……うーん」

「あきらめないほうがいいよ。彼女いるのにデート断らないって、やっぱ、彼女とうまくいってないとか、そういうんじゃない? 大丈夫だって」

 右隣の個室も空いたが、だれも入ってこなかった。二人は脇の、全身鏡の前で話しているのだろう。化粧を直す無防備な姿を想像しながら、卵に移行する。口に含むと、はみ出した卵が指についたので、それも舐めとる。黄身のぱさぱさした甘味を舌先で感じながら飲み下す。

「ありがとう。とりあえず、もっかい誘ってみる」

「そうしなそうしな。チャンス逃さないようにね」

「ねえ、瑠希は武田くんとはどうなの?」

「へへー、こないだ半年記念でしたー」

「うわあ、いいなあ、もう。いつ見てもすごい仲良さそうだもんね」

 ぱちん、と音がした。ファンデーションのふたか何かを閉じたのだろう、ジッパーの音が続いて、「じゃあね」「じゃねー」と声が続く。左隣も空いて、個室にいるのは私一人になった。最後のツナサンドを、ゆっくりかみしめる。まずい油が舌の裏に忍び込んで口の中を侵した。ハムサンドを最後にするんだったな、と思いながら、ツナをばらけさせないようにあまり噛まずに飲み込んでいく。

「……もしもし? 水口?」

 アドバイスをしていたほうの声だ。

「あのさ、もう会わないから。別れよう。っていうのも変だけど」

 ツナサンドから油のにおいがする。固い感触がのどを滑り落ちる。

「で、彼女と別れたいんだったらさっさとしな。あんた今チャンスだから。……武田? 武田がどうしたの? ……別れないよ何言ってんの。……うん。もう会いません、それだけ。彼女と別れなっていうのは、私の勝手なアドバイス。……そう。はい。じゃあね。今までありがとう」

 パッケージを丁寧にたたんで、ごみばこではなく鞄に入れる。捨てるのを忘れないようにしないと、と思いながら、足音が去っていくのを聞く。

 午後の紅茶はレモンティーが一番おいしい。

 甘味を口中にいきわたらせて油を取り去ってから、舌で丸めるように飲み込むと、べたべたしない甘さが口の中に余った。冷たさが気持ちいい。

 完全に人がいなくなったのを確認してから、立ち上がってセンサーに手をかざす。水の無駄遣いを見送ってから、スカートのすそを直して個室を出た。

 手を洗うと、自分の顔は自分でないようだった。

 おざなりに手を乾かして、携帯を取り出す。瑠希から「いまどこー? リアペもう配ってるからとっといたよ*\(^0^)/*」というラインが来ていた。「いまいく! ありがと!」と返信して、既読がついたのを見てから、アドレス帳を開く。だれかに見られても大丈夫なように「水口くん」とだけ登録した番号を押して、耳をつける。

 だれにも見られないようにごみを捨てなくては。

 便所飯はなまやさしいものではないから。

「康太くん? あのね、今日の夜って空いてる? 会いたくなっちゃった」

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