今は亡き者からの指針

雨天紅雨

ある古物商の周辺のできごと

第1話 ある古物商のいつもの一日

 この世界はずっと、閉じたままだった。

 まるでスライドパズルのように、一歩外に出てしまえば、帰り路もわからなくなる世界において、帰還の術式が使用できるようになったところで、範囲は限られるし、魔物に襲われて命を落とすこともある。それでも冒険者が減らなかったのは、閉じた世界の中で我慢ができなかったのもそうだけれど、開拓という夢と――商売のためだろう。

 だが、それも変わった。

 条件付きではあるけれど、三日から五日ほどで別の街との交流が生まれたのである。

 生まれた――のだろうか。

 少なくとも、本当に百年単位で、街なんてものは自分たちが住む場所しかないと、それが常識だったのに。

 ここ四年で、一気に広がった。

 冒険者ならば単独で街から街の移動も可能になったし、護衛の仕事も増えた。街ではないにせよ、休憩所としての集落も作られるようになり、帰還術式での帰還場所も増え、本当の意味での世界を、人は知るようになった。

 功績は、名を継がれない一人の魔術師が多く背負っており。

 その魔術師に育てられた、四名の存在が今を、創り上げた。

 古物商をしているディカは、それをよく知っている。何故って、その四人はディカの親代わりの人たちだからだ。もちろん、面倒なのでその素性は隠しているが――いや、隠したいのだが。

 親たちが気にしていないので、どうしようもない。

 ディカは古物商であり、骨董品などを扱っていて、まだ十六歳なので学園に通っていてもおかしくない年齢だが、店舗を持って商売をしている。

 朝は早くから。

 といっても、朝市が終わった頃の時間帯なので、七時半くらい。店の前の通りを箒を使って掃除してから、店内に入れておいた看板を表に出す。営業の開始だ。

 店前に客が並んでいることもないので、今度は店内の掃除を始める。身長は思ったより伸びなくて、一七〇ほど。私服の上に藍色のエプロンをつけるだけで、店主としての格好がつく。

 店舗に並べられた商品は、大小あれど、その種類は多岐にわたる。ナイフなどの得物もあれば、宝石類、皿やツボなどもあれば、本や服――というより、反物たんものもあり、街の特産品などは扱っていない。

 あと、少し特殊なのは、一画に置いてある魔物の素材だろう。今では魔術品の作成などに使われるものだが、それ以外の用途もあり、それなりに高価だ。

 高い――ということは、儲けが大きいけれど、損失も大きい。つまりは、扱いにくい部類の商品だ。ほかの商店では、素材を置かずに加工をして、それを売る仕組みだろう。何故なら、冒険者の収入の大半が、魔物の素材だからだ。

 店舗を持っていなくとも、あるいは商人でなくとも、入手するなら冒険者を当たればいい。よほど稀なものでなければ、それで済む。

 じゃあ稀なものなのかと問われれば、実際にそうでもなく、親が勝手に持ってきて置いていったものなので、あまり売ろうという意識もない。

 売るものと、売らないもの。

 外から店内に入ってすぐ、何があるのかは示す必要があるので、大きいものも必要になるが――必ずしも、それが売れるとは思えない。そういうバランスが店舗には必要だ。まあ、必要経費だろう。

 一年ほどの新参者だが、去年の収支を見る限り、開店時の初期投資ぶんはもう取り戻しているし、日常生活に問題ないのだから、ディカの経営手腕は悪くないと、そうなるはず。

 ただし。

 裏の副業もあるので、一概にそうは言えないのだが。

 一階は店舗、二階は自室、地下が倉庫、三階が空き部屋となっている、それなりに大きな家だ。かつては街の規模そのものが限定されていたが、今ではそのあたりも多少は緩くなっている。

 新しい街を作ろう、そういう意識も芽生えつつあった。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの中で、預けられた時計の修理をしていれば、九時頃に最初の来店があった。眼鏡をずらして顔を上げれば、まだ若い女性だ。

 ぐるりと周囲を見渡す姿を見る。

 細い顔に短い髪。軽装だが手荷物は大きく、腰には一振りの剣が提げられており、鍛えられた躰が冒険者であることを教えてくれる。若い冒険者はここ二年で随分と増えた――が、パーティを組むのが一般的だ。

 しかし、街に入ってまで一緒に行動するとは限らないので、決めつけは避けた。

「なにかお探しですか?」

「ええ――」

 近づいてきたので眼鏡を置けば、どこか疲れたような表情がわかった。

「この」

 カウンターに置かれた一枚の紙は、印刷物。ほかの街との交流で、電子機器の発展があったのも一つの結果であり、こうしたものは珍しくもなくなりつつある。

「刻印を知っていますか?」

 紙を見て、顔を上げれば諦めとも思えるような感情が見えて、ディカは。

「知っているかもしれない」

 そう返答してから、小さく苦笑した。

「失礼。同じ台詞を何度か聞いたはずだ」

「……二度です」

「だろうね。そして二度とも騙された。言い方は悪いけれど、よくあることだ。上手くやれば取り締まりも難しい」

「……」

「どうぞ、座って下さい。比較的、新人の冒険者を相手にやる詐欺は多いんだよ。――さて、俺の、というか、うちの店舗の噂か何かを聞いてここに?」

「ええ、今朝の市場で、評判が良いと」

「なるほどね」

 座れば、視線の高さがほぼ同じになった。

「お互いに信頼関係がないので、まずは俺から話そうか。最初に一つ――商売人を相手にする時は、知っているかどうかではなく、商品を取り扱っているかどうかを訊ねた方が良い」

「そう……なんですか?」

「敬語は使わなくてもいいよ、慣れてるから。基本的にどのエリアでも、商人は収支報告の提出と共に、売買に関連した虚構を口にすることを、基本的に禁じられているからね。つまり、この刻印のある商品を売ったことがあるか――この質問に対して、商人が曖昧な返答をした場合、同業者としても罰則を与えることができる。騙された場合は全額どころか、追加分を徴収できるよ」

「そこまで厳格に?」

「厳格というか、風評被害の防止かな。同業者として同じだと見られたくない。俺たちは情報屋ではなく、商売人だから」

「なるほど……じゃあ、この刻印の入った商品を扱ったことは?」

「ないよ。というかたぶん、どの街でも存在していないと思う。表に出てくる代物じゃあないし、そもそも鑑定できる人間が限られる。模造品が出ることもないだろうね」

 視線を落とせば、その紙には単なる印字がされているだけで。

 ExeEmillionとある。

「だが」

 やや、含みを持たせる必要もある。

「あなたがこれを知っていることが、最大の問題だろう?」

「――」

「ただまあ……なんとなく、わかるけれどね」

「わかる?」

「あなたの状況のこと。そして、これから起こりうることも。何事もなければそれに越したことはない」

 そこそこ、深刻な話なんだけどねと、ディカは時計の修理を始めた。

「かつて、このノザメエリアに一振りの大剣があった。けれどそれは、展示されていたわけでもなく、見る人は限られる。しかも二十年前、それは正式に持ち出され、レインエリアで破壊された。その刻印が、エグゼエミリオン――最後の一振りエンデとあった」

「……うん」

「つまり、あなたはレインエリアの出身で、きっと墓守の家系なんだろうと俺は推測したわけだ。それが最後ならば、その以前には何本か存在するはずだと。どうして求めるのか理由は知らないけど――」

「ま、待って、ちょっと待って」

「うん?」

「逆に、なんで店主さんは知ってるの?」

「現場を見ていた人から話を聞いているし、エグゼエミリオンと呼ばれる刃物が現存する確証を得てる。ただし、確証そのものは、証明できないって難点もあるけれどね。探そうとしたことはないけれど、在るはずだと疑っていない」

 だからこそ、だ。

「限定した人間しか知らないものを、探し回れば、嫌がる者もいるはずだろう? それを手がかりと、そう捉えることも可能だけれど」

「あの、ちょっと話に追いつけないんだけど……」

「あ、ごめん。つい交渉の癖が出てたみたいだ。ええと、――ああ、俺はディカ。見ての通り、ここの店主をしている、古物商だ」

「私は穂波ほなみ。うん、そう、レインエリアの出身で、確かに、祖父の代まで墓守をしていた」

「そこでエミリオンの話を?」

「うん、そう。じい様が――とても、嬉しそうに、最後の鍵だった大剣の話を」

 だから憧れたのかと、そう言おうとして止めた。

 さすがに踏み込み過ぎだろう。たとえそれが、祖父の嬉しさに憧れて、同じ嬉しさを抱きたいなんて感情が発端であったとしても、良し悪しを他人が決めるものではない。

 その感情が――歪んでいても。

 それは彼女のものだ。

「でも……」

「うん?」

「ディカさんは、どうしてうちの家系にしか伝わってないことまで、知ってるの?」

「んんー、俺の方も伝え聞きに近いかな。まだ、そのおじいさんはご存命で?」

「だいぶ体力が落ちたけど、うん、まだピンピンしてる。魔術師ってああいう感じなのかなーって」

「長命になる術式は存在するけれど、まあ、穂波さんが聞いていないのなら、俺が口にすべきじゃないだろう。実際に俺はそのおじいさんに逢ったわけでもないからね。ところで、ちょっと突っ込んだ話をしたいんだけど」

「なに?」

「一人でここへ?」

「あ、うん」

「じゃあ、金もそんなにないだろう……?」

「……うん、騙し取られたから」

「だろうねえ。頼る当ては? しばらくこっちで過ごすつもりだったんだろう?」

「あ……ありま、せん。どうしよう」

「どうしようと、相談はしない方がいいよ。その時点で、相談を対価にして無理な請求をされるものだ。剣を持っているようだけれど?」

「これは売れない」

「そうじゃなく、実力は?」

「わからない。魔物と戦った経験はないし……ただ、一ヶ月くらいで一度戻るつもりだったから、帰還の術式だけは用意がある、けど」

「なるほどね。悪いけれど穂波、カウンターの内側に回ってもらえるかな」

「え?」

「早く」

「あ、はい」

「しゃがんで、しばらく姿を見せないで。いいね? 何故かはすぐわかる」

 軽く頭を押さえておき、時計を置いて、吐息を一つ。

「――いらっしゃいませ」

 二人の男の来客に、ディカは声を上げた。

「おい店主」

「なにか?」

「ここに女の子が一人、来なかったか?」

「それは来訪者? 客? それともほかの?」

「おそらく、何かを尋ねたはずだ」

「……」

 営業用の笑みを浮かべたまま、ディカは手を組んでテーブルの上へ。

「忠告しておく。その女には関わるな」

「何故?」

「忠告はしたぞ」

「――おや? 足元に」

 男二人、身をひるがえして去ろうとするタイミングで声をかければ、二人の視線は下へ。

「影に針が刺さってるよ」

「――っ」

 吐息を一つ、身動きができなくなったのを確認して、ディカは立ち上がる。

「どこに雇われているか知らないけど、冒険者じゃあ俺の噂まで耳にしなかったんだろうな。ノザメエリアに住んでいる人間で、この店にちょっかいをかける馬鹿は、そうそういないはずなんだけど――」

 ぐるりとカウンターを回れば、耳かきほどの針が床に刺さっており、影を縫い留めている。ある種の術式だ。

「さて、口は開くはずだけれど――はて? 一体この二人の、どちらが情報を持っているのか、俺は知らないな。知らないけど、二人もいらないね」

「おい――」

「俺の質問は、何故、だ。返答を聞こうか」

 長さ、おおよそ三十センチはある針を取り出したディカは、それを相手に見えるようにしつつ、ゆっくりと肩の付近に近づけ、速度を落とさないまま、針を貫通させた。

「――」

「不思議かな? 痛みがないのに、貫かれる感触はあるはずだ」

「ま、待て! 俺たちは何も知らない! 忠告しろと頼まれただけだ!」

「へえ」

 二本目、今度は腹部を通す。ちなみに、最初から話している相手だ。もう片方が情報を持っていると考えたからこその選択である。

「その女が探している何かが、問題なんだろう! それ以上は本当に知らないんだ!」

「金を受け取って仕事をするだけ?」

「そうだ!」

「なるほどねえ。依頼主クライアントは……さて、どこのエリアの人間なのか、気になるところだ」

 ふいに、ディカは黙ったままの隣の男に近づき、肩を寄せるようにして。

に頼もうか?」

 小さく呟いたそれに、男は身を震わせた。

「ね……ネズエリアの、ある人からの依頼だ」

「――アニキ?」

「黙ってろ」

 ゆっくりと、深呼吸をしながらも、男はディカから目を離さない。

「古い文献に、ある刻印が成された刃物の存在が記されていた。それを商売にすると、そう聞いている……だが」

「それがほかで実在していると、面倒だ?」

「そういう話らしい。あるものを贋作とするのは、難しいが、あっただろうものを偽装するのは容易い……俺たちに仕事を持ち込んだ相手は、そう言っていた」

「だから、速度が命か。レインエリアの墓守に関しては?」

「口止めを」

「そうか、ご愁傷様と伝えたいところだよ。俺の聞いているあの人ならば、普通にやって敵う相手じゃあない。ただ商売に関しても興味はないから、沈黙を選ぶかもしれないけれどね。――いいだろう、よくわかった。次の質問だ。まだ仕事を続けるつもりか?」

「否だ、それはない。前金は貰っている、これ以上は命が危うい」

「そう? 仮に――依頼主が、この結果を想定していたとしても?」

「なに……?」

「仕事を引き受けたのは君たちだ、俺はここで見逃そう。次があったら対応を変えるし、そうならないことを祈るけれど――逃げることを勧めるよ」

 躰に刺した二本を引き抜いてから、足元の二本も引き抜けば、二人は身を引くようにして動いた。

 いや、動けた、か。

「もし――依頼主のところへ戻ったり、あるいは捕まったりしたら、伝言を」

「なんだ……?」

「一家惨殺されたくなければ、その刻印だけは使うな、と。俺はたぶん、何もしないだろうけど、流通したことに気付いたら、黙っていない人たちがいる」

「……わかった、覚えておこう。すまない、邪魔をした」

「まったくだ。けれど、――まあ、対応を考えておくよ」

「弟は」

「大丈夫だ、安全な場所を抜いたからね」

「すまん」

 冒険者なだけあって、体つきは悪くないなと、二人を見送ってから、ディカはため息を落として――二階に続く階段を見た。

 やや丸顔で、寝起きだからか手入れをしていない腰まである髪を持った少女が、壁に体重を預けるよう、こちらを見ていたのだ。

「リコ」

「んー、トラブル?」

「今はまだ。学園の時間だから準備したら?」

「……めんどい」

 じゃあなんで起きたのかと思うが、穂波の来訪と今の来客に気付いたからだろう。いつもディカが面倒を見ているようで、こういうところは気配りができる。

 また二階へ向かってしまったので、カウンターの中で小さくなっていた穂波に声をかけた。

「もういいよ。ちなみに、彼女は――俺の兄妹みたいなものかな。リコと俺の両親が、パーティを組んでいて、ずっと一緒だったんだ」

「……そう。あの、さっきのは」

「ああ、うん、ちょっと予想からは外れた来訪者だったね。俺としてはてっきり、刻印の入った刃物を探すこと、あるいは見つけること、そうした行動そのものへの忠告かと思ってたんだけど――まさか、それを商売にするとは」

「見つけられては困る理由が、俗物的じゃないものの可能性が……?」

「そっちの方がよっぽど高いよ。いわゆる、禁忌に触れたりとか、そういうのだ。世界には三つしか存在しないものがある。欲しい人は三千人。さて、どうなる?」

「……あ、そうか。今は、じゃあ、三千人にしないようにしてる?」

「それも方法の一つってことだ。それを深刻だと考えるかどうかは、当事者次第――おっと、話を続けるようなら、こちらに座って」

 ワンピース型の制服を着た、金髪の少女が見えたので、とりあえず穂波を落ち着かせるため、椅子へ。

「正面からお邪魔しますですわー!」

「はい、おはようミルルク」

「あら、こんな早くからお客ですの?」

「たまにはそういうこともあるさ」

 だいぶ低い背丈で、三つ編みをぴょこぴょこと腰のあたりで揺らしながら歩く彼女の頭の高さが、片手を置くのに丁度良いのだが、髪型が乱れると嫌われるので、ディカはタイミングを読んでやることにしている。

「リコはいますの?」

「二階に。そろそろまた寝ると思うけど」

「お邪魔しますわ。リコー! 学園に行きますわよー!」

 相変わらず騒がしい人だ。

「ああ見えて、うちの学園の学生会長をやっている人だ。ちょっと怖い一面もあるけれどね」

「そう。レインエリアには大きな学園がないから……」

「ああ、そうだったね。あなただって、俺とそう年齢が変わらないはずだし、学園へ通うというのは、一つの手段だ。何も、今から探し出して、一年くらいですぐ見つけられるとは思ってないだろう?」

「それは――うん、そうだけど」

「うん」

 二人は視線を上へ。とても二階が騒がしい。

「ちょっと、何を二度寝してますの!? 私が顔を見せると、なんで安心して寝るの! ほら起きる!」

「いやだー、布団を返せー、それは私の装備だー」

「学園に行きますわよ! あっ、こらっ! 腕を引っ張らないの! 同性と一緒に寝る趣味はありませんわ! 起きなさい!」

「えー」

「えー言わない!」

 毎度のことだと、ディカは苦笑する。

「毎日ではありませんが」

「はあ……そうですか」

「さて、ノザメエリアには外部からの来訪者に対し、ある種の補助をする決まりがあってね。多少、面倒な手続きはあるにせよ、五日から十日くらいは、見学者ということで自由に動き回れる。ヴィジターパスがあれば、周囲の人たちも見てくれるから、それなりに安全だ」

「そんな制度が?」

「生活支援課に顔を見せるといい――と、その前に、帰還術式を持っているのなら、一度見せてもらえる?」

「あ、はい」

 持っていた袋の中から取り出されたのは、板状のものだった。帰還術式はそれぞれ形状が違って、利点が変わる。板状のものは、壊れにくさを重視したものだが、難点としては術式そのものの浸透性が低く、帰還術式を含ませた魔術品にするのには技術が必要なところだ。そのため、市場ではそれなりに高価である。

「ありがとう。じゃあ、サギシカ商店の名前をその時に出して構わないよ。うちの店の名前で、手続きがスマートに進むから」

「ありがとう……」

「ん。ただ、さっきのこともあるから、この刻印に関しては、口に出さないように。まあ、、俺からも少し手を打っておこう」

「あ、えと、その、いろいろとすみません」

「構わないよ。とりあえず三日後に一度――は、最低でもうちに顔を見せてくれ。相談には乗るし、気軽に来てもいい」

「はい、ありがとうございます」

「よくあることだから気にしないでいい。どういうわけか、俺のところにトラブルを持ち込む人がそれなりにいてね。それが日日ひびの楽しみでもある――ああ、お疲れ、ミルルク」

「ほんっとうに疲れましたわ……」

「今日は何かイベントでも?」

「ええ、合同訓練の日なの。あなたも参加してみる?」

「あ、いえ――」

「学園に行くついでに、彼女を生活支援課に案内してくれるか?」

「あら、わけありですのね。構いませんわ――リコ! 早くする!」

「はーあーい」

「じゃあ、いってらっしゃい、三人とも。今日が良い一日でありますように」

「いってきまーす」

「行ってきますわ」

「あ、ではまた」

 朝の見送りを終えてから、軽い朝食をとる。来客が優先のため、あまり手の込んだものではないが、いつものことだ。

 昼までは時計の修理をしつつ、来客の対応。多くはほかのエリアから来た同業者であり、中には冒険者もいるが、ノザメエリアの住人が顔を見せることは少ない。

 昼食の時間に、連絡を一つ入れた。

「監視を頼める?」

『え? 私に?』

「そう、姉さんに。仕事があるならほかに頼むけど」

『んんー、内容は? あと母さんにも言うよ?』

「もちろん。穂波というレインエリアの女性が、生活支援課に行ってヴィジターパスを手に入れたはずだから、三日くらい襲撃がないかどうか、確認を」

『襲撃、ねえ……?』

「俺のところに来たのは、ただの間抜けだったけど、彼女にとってはそうでもなさそうだから」

『――来た?』

 ぞくりと、背筋が寒くなるような声色に変わった。いや、それは気のせいだけれど、付き合いがあるだけ、雰囲気がわかる。

 怒りだ。

『ディカのところに、襲撃が?』

「姉さん……」

『いいから』

「襲撃というより、忠告に似た挨拶だよ。問題ない」

『……』

「大丈夫だから。リコも影響を受けてない」

『……ん』

「不満そうだなあ。姉さんは過保護をそろそろ直そうよ」

『知らない』

「まったく……直接逢っても構わないよ、俺の名前を出してもいいから」

『しょうがないね。うん、これはしょうがない』

「姉さん……頼むから、ばあさんが来るような事態はやめてよ」

『それも知らない』

「あ! 必要経費の請求は忘れないように! ――ああもう切れてる」

 頼りにはなるのだが、相変わらず過保護だ。それだけ好かれているので、ありがたい話でもあるが。

 昼食を終えたら三十分の昼寝。店は開けっぱなしなので、客が来たら対応するが、それほど気にならない。

 時間に縛られず、好きにやっているのだ。

 ――さて。

 帰還術式の分析から特定した場所への通信は、いささか高度な術式となる。

 そもそも、帰還術式とは、特定のポイントへ直通で転移する術式の名称である。しかし、範囲そのものが狭いため、ほかのエリアへ直通で飛べるわけではなく、最低でも五ヶ所の中継点を通過する必要だ。

 つまり、帰還経路を利用した通信術式でも、中継点を経由しなくてはならず、通信のノックを相手が気付けないと、通話そのものが成り立たない――理屈はそうだが、いざ術式の構成ともなれば、今すぐ新しく作れるものではなく、以前から構想していなくては、やろうとさえ思わないだろう。

 ただ。

 携帯端末を使えば、同じエリア内部ならば、先ほどの姉のよう、連絡が可能である。

 裏庭の鍛錬場、その隅に作られた菜園の手入れをしながら、何度か術式を試せば、返答があった。

『――ほう』

 最初の一言は、感嘆の吐息でもあった。

「やあどうも、畑作業中だけど失礼するよ」

『構わんがね、なかなか面白い術式を作るのう』

 表示枠に映ったご老人は。

 ほとんど目を開いていない。

「強い術式を解析し続けた結果――か。それはとても楽しかったんだろうね」

『ひっひっひ、それはとても、とても、楽しかったとも。して小僧、何用か』

「穂波のことだ。さては、聞いて歩くことを誘導したのは、あなたか? あるいは、俺のような存在に引っかかるように?」

『さて、何を言っておるのかわからんな』

「そっちの襲撃は――まあ、問題ないんだろう。エミリオンの名を使って商売なんて、馬鹿な真似をするヤツがいるそうで、口封じか。得物が流通する前に潰されるだろうけど、ね」

『ふむ』

「今のところ、発掘はされていないよ。俺の知る限りじゃあね。もっとも、うちの親父たちは違う情報を持ってるかもしれないけど」

『見る限り、まだ若いじゃろう』

「あなたの孫と同じくらいには。俺は古物商だ、ある程度の情報は持ってるし、こっちは庭みたいなものだ。あなたのことは、親父たちから聞いてるよ、

『そういうエニシか』

「さて、孫娘に何を期待して?」

『期待なぞ、何も。好きにさせておるだけじゃ』

「すぐ帰ってくることも想定済みで?」

 返答はなかった。

 ただ、小さく喉をひくつかせるような笑いがあった。

「身の丈に合わない探しものだ、このままじゃ一生をかけても可能性は低い」

『お主なら?』

「縁を合わせる」

『ふむ』

「戦闘能力の向上も課題だね。うちの学園に通わせてみたらどうだ? 何なら、下宿先を紹介して、アルバイト先も手配しておこうか? おっと、そのためには保護者の書類が必要だ――、さてどうする?」

『書類を一式、こちらに寄越せ』

「それを俺が受け取って電子機器でプリントアウト? 手間賃が必要だね」

『そうか、お主は商売人か』

「その通り」

『ならば要求を先に口にはせんのか?』

「パズルの情報を」

『――、デカイ要求をするヤツじゃのう……』

「面倒見が良いとは言われないね」

 苦労を背負うタイプだとは、よく言われるが。

「ひ孫を抱くつもりなんだろう? そのくらい長生きしてれば、俺の方からも一度くらいは逢いに行くよ」

『やれやれ……ま、良いじゃろう』

「じゃあ書類を集めておくよ。きっと、穂波ほなみがそれを持って一度、帰るだろうけれど。そのための、劣化しにくい帰還術式の魔術品だろう?」

『土産話も期待しておく』

「それは俺に言っても仕方ないね。じゃあまた、いずれ」

『おい待て、この通信術式の解析がまだ途中――』

 切った。

 解析されていたのは知っていて放置だったし、菜園の仕事もだいぶ片付いた。水やりは夕方でいい。暑い時間帯にやるものではないからだ。

 夕方までは経営の細かい作業などをしながら、近所の人から頼まれる修理の依頼や、来客の対応。この時間は躰も動かさない、休憩の時間に近い。

 そして。

 十八時頃が、たぶん、この店が一番騒がしくなる時間帯だ。

「ただいまー」

「ただいまですわー」

「おかえり」

 リコとミルルク、そして男の子が一人、正面からやってきた。一応この店には裏口もあるのだが、庭側なので、大抵はこうして正面からだ。

 学園が終わった時間帯なのである。

「ようディカ」

「やあ光風みつかぜ、今日の合同訓練の調子は?」

「それな?」

 少しだけディカよりも背が高く、腰には一振りの剣を提げて、やや筋肉質のしっかりした体躯の光風は、カウンターに尻を乗せるようにして苦笑した。女性二人は、店舗の隅にある待合用のテーブルにお茶を並べている。

「片手用ロングソード持ちなのに、盾持ちじゃねえのは、やっぱ変だよな?」

「一般的にバランスが悪いのは確かだね。中等部から通ってて、言われてただろう」

「いや、中等部の頃は俺も、いいんだよ俺はこれで! ――とか思ってたもんだから。んで今日改めて、ほら、高等部になると人が結構変わるだろ?」

「変わるというか、外から入るのはだいたい高等部だからね。ついでに言えば、まあ、壁に当たる頃合いってところかな」

「それはある。あるっつーか……合同訓練で、たまにリコさんと一緒になると、俺はまだ追いつけてねえのかと、そんな気分になっちまう」

「リコだって成長してるってことだ。ところで光風、それは俺に相談ってことか?」

「まあな」

「お茶が入りましたわよー」

 そうかと、頷いたディカは席を立ち、迷いなくミルルクの隣に腰を下ろしてお茶を貰った。

「……なんで私の隣なんですの?」

「嫌じゃないなら、それで良いだろう?」

「むう……」

「やれやれ……リコさん、隣に失礼するぜ」

「んー」

 腰の剣を外して、立てかけた時に違和感があった。

「光風、剣を折ったのか?」

「どういう耳してんだお前は。そうだよ、クソッタレだけど俺の不手際だ」

「それもあって、いろいろ考えてたわけか」

「おう。量産品だけど七千ミラくらいしたんだよな、この剣……」

「学生としては、高い出費だね。アルバイトをするにしても、休日か夜か。まあ夜は推奨されていないから、稼ぎも限られる。でも最低限、そのくらいの値段じゃないと、量産品どころか、消耗品になって、余計な出費をすることになるよ」

「こいつ、中等部から使ってて、だいぶ手に馴染んでたんだけどなあ」

「それなら、換え時だよ光風。馴染みすぎも結構だけど、成長に合わせた得物の方がよっぽど良い。まあ、リコみたいに、最初から成長した先に合わせた得物の場合は別だけど」

「……俺、成長してるか?」

「躰はしてるだろう?」

「そりゃそうだけど」

「俺が作ると最低でも、材料費だけで十五万はするけど?」

「たけえよ!」

「だろうね。しかも時間がかかる、お勧めはしない。ところで、どうやって折られたんだ?」

「ミルルクさんに」

「うん?」

「私の糸に気付かず、後手に回った際にのですわ」

「同様に、ミルルクも腕が上がったわけだ。褒めようか?」

「……そういう時は、いちいち訊かずに、さりげなく褒めるべきですわよ」

「それもそうだね」

 半目で睨まれたので、二度ほど軽く頭を叩いておいた。

「盾を嫌う理由は?」

「空間制圧が

 防御に思える盾も、主流は小盾であり、これは相手の攻撃を受ける、反らす、更には先手を取って防ぐ、大きく三種類の用途がある。この防ぐ行為こそが空間制圧であり、相手の行動範囲を狭める高価があるのだが。

 盾を振り回せば、もちろん剣よりも重いし、体重移動も大きくなる。剣を持つ相手にとっては厄介だが――実際にやるのは、慣れと、適性が必要だ。

「だったら、短剣を試してみたら?」

「……うん? どういうことだ?」

「盾の代わりの短剣だ。何人か冒険者で見たことがあるけどね」

「双剣か」

「変則だけどね。たぶん、やり方はそれぞれ違うんだけど――リコ」

 返事がない。

「寝てますわね……」

「よく寝るよな、リコさんは」

「まあいいか。基本はね光風、片手ロングソードの場合、片手短剣は逆手で防御のみ。攻撃は投擲だけだ」

「……投擲専用スローイングナイフでの代用もできる?」

「そっちだと光風好みの攻撃寄りだね。その場合、ほぼ、防御した時点で投擲してる。いずれにせよ熟練者は、二本を抜かないよ。基本は一本、場合に応じて二本目を抜いて形勢を変える」

「ディカ、俺がそんな器用に見えるか?」

「試してみよう、そう考えるくらいには」

「……出費がかさむなあ」

「安物でも、ある程度は試せるよ」

「――悪い、酒場行ってくる。先輩たちの話を聞いてみるわ」

「それが一番だ」

「おう、ありがとな。じゃあお先に」

「またおいで」

 将来は冒険者として外に出るならば、光風くらい意欲的な者が一般的だ。どういう冒険をしたいのかは、また別になるだろうけれど。

「ところで、穂波ほなみはもうよろしいんですの?」

「ん? ああうん、ちょっと腹が据わってるあたりに疑問はまだあるけど、いいんじゃないかな。アフターケアはしてるし、構わないよ」

「あら、そうですの。いつも何かしら仕事を抱えてますわねえ」

「そう? 俺としては随分と余裕があるんだけどね。十九時には閉店だし、今はもうそのつもりでの休憩だから」

「仕入れが二十時からですのよね?」

「表のオークションは不定期だけど、まあそうだよ。盗品を扱う裏オークションはもっと夜が深くなってからだし、飲食店と違って明日の仕込みもない仕事だからね」

「さらっと闇を混ぜますわねー……ちなみに、これからは?」

「話したことなかったっけ」

「たまに泊まる時もあるけれど、詳しくは聞いてませんわよ」

「そう? といっても、これから閉店作業して、夕食の準備をしつつ畑に水をやっておいて、夕食後には裏庭で軽く躰を動かしつつ、お風呂なんかの準備をしてから、店の収支計算の本日分を済ませれば、とりあえず仕事は終わり。あとは趣味の時間と、情報収集なんかをして――あれ、どうしたの変な顔をして」

「あなた、タスクを並行するの得意なのは知ってましたけど、多すぎですわ……あと、食事の用意、リコはしませんのね」

「リコに任せると、キッチンの片付けを俺がやることになるし、余計に時間がかかる。それに、知っているかどうかはさておき、リコは一応、客分なんだよ。というか居候。本来は、ほかにある実家に住んでることになってるから」

「そうですの?」

「うん、そうなの。まあ兄妹だから、いいんだけどね」

「……まあ、そこはいいですけれど、ディカは学園へ通わないの?」

「どういうわけか、呼ばれることがあるけどね。通うとなると、時間の都合をつける必要もあるし――あとは、支払う資金に対して、どのくらい得るものがあるのか、その二つを天秤に乗せないといけない」

「そういえば、たまに学園に呼ばれる時は、講師みたいなこともしてますわよね? 以前は確か、演武をするリコの相手、でしたかしら」

「俺は演武自体に向きじゃないんだけど、どうしてもって話でね。いずれにせよ、報酬をきちんと貰ってるよ。外部講師の扱いだから、日雇いにはなるけど」

「貰ってますのねー……」

「今の学園長が、そのあたりの筋を通す人だから」

「あー、キッチリしてそうですわー」

「身内扱いみたいな感じでやった後、俺からそれをかたにして請求されるのを嫌ったんだよ。あれで相手をよく見てる」

「怖い人ですわね」

「俺が? それとも学園長が?」

「両方ですわ」

「同列に扱われると、ちょっと困るけどね。さてミルルク、夕食はどうする? うちで食べていく?」

「――いえ、今日は戻りますわ」

「ああそう、残念。また休みの日にでも泊まりにおいで」

「……リコと遊びに、ですわよ?」

「もちろん、そのつもりで言ったけれど」

「帰りますわ!」

 何故か、ぷんぷんと怒り出して店を出ていった。よくわからんが、元気でよろしい。

「――さてと。リコ」

「んー」

「エグゼエミリオンの刃物に関連して、妙な動きが」

「……穂波ほなみの関連ね?」

 のそりと躰を起こしたリコが、欠伸を一つ。眠そうな顔に見えないのは、鋭い視線がディカに向けられているからだ。

「ネズエリアでの発端らしいけど、どうも、タイミングが合い過ぎてる」

「穂波がこっちに来たタイミングで?」

「聞いた限りの話じゃ、つじつまが合わない。ネズエリアで商売をしようとしてるのに、レインエリアに口封じに行って、ついでにノザメエリアまで来ているとなると、影響力が大きすぎる」

「うちでやってる?」

「――いや、それはない」

 一息。

 立ち上がったディカは入り口を閉めて、店内の明かりを一段階暗くした。閉店である。

「おそらく、可能性が高いのは、こうだ。水面下で仕事を始めていた最中に、レインエリアの墓守はかもりの話が耳に入った」

「あー、穂波ってあの墓守の」

「一応、表向きは孫娘だ。しかし田舎町のレインエリアでは、ことを起こしにくい。ならば最低限、監視をつけるべきだ――おそらく」

 おそらく。

 それはやはり、可能性の話なのだけれど。

「監視に墓守は気付いていた。しかし、領域に立ち入らない限り、墓守自身は外へ出れない――それが対価だ」

「二百年くらい生きてるんだっけか」

「推測なのは対価だけだ。孫娘を餌にしようなどとは思っていないだろうけど――あの剣がある以上、その可能性もある」

「んあ、なんかあった、あれ」

「魔剣のたぐいだよ、あれはね。本人が呑気そうだから、どう出るかはわからないけど、ともすれば共生してる可能性もある。多少のトラブルくらいなら、被害規模を考えなければ乗り越えられる――となると」

「ネズエリアが本命」

「まあ、そうだね。ネズは開発系に力を入れてるから、そう考えるのが自然だ。けれど自然過ぎて、誘導の意図を感じなくもない」

「そういうとこ、おじさんそっくり」

「父さんなら、口にはしないよ」

 しかも、相談せずに勝手に動いて、聞けば事後報告だけしてくれるタイプだ。どういうタイプなのかよくわからないが、そういう父親なのである。

「どうする?」

「ん? うん手伝うけど?」

「一応、取り決めとして相談はしたけど、なんでいつも手伝うんだ?」

「二人の方が早い」

「そりゃそうだけど、俺一人でも充分だし、被害の規模を大きくされるのも困るんだけどなあ」

「なに文句?」

「いや、助かるからね。じゃあ、着替えてネズエリアだ。とっとと済ませて、日付が変わる前に帰ろう」

「儲け出る?」

「さあ? それは、――相手次第だ」

 そうして、ディカにとって、いつもの一日が終わる。

 感想を言うのなら、平凡な一日だ。



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