第2話 高柳さんは健全ではない

 何の冗談かと思われるかもしれないが、僕はいわゆる『鬱病』を患った人間である。

 過去にそうだった、ではなく、現在進行形でそうなのである。

 自分で言うとこの上なく嘘臭く聞こえるのは承知の上だが、敢えて言う。僕は健康体の人間ではないのだ。

 別に同情を求めているわけではない。「ああ、そうなんだ」程度に流してくれて構わない。

 では何故、この場でそんな話題を出すのか。

 それは、そういう人間にも何かを生み出す力があると言いたかったからである。


 一般的に鬱病は『心の風邪』と呼ばれているように、誰でもなりうる可能性がある病気だと言われている。

 実際僕がこの病気だと病院で診断された時も、まさか自分が病気になるとは思ってもいなかったほどだ。

 僕の場合は、周囲に異変を察してくれる人がいなかったため、自力で病状に気付くしかなかった。

 それも、大分病状が進行した状態で発覚したので、もう少し病院に行くのが遅かったらハッキリ言ってやばかったらしい。


 自分の状態がおかしいと決定的に気付いたのは、仕事中に数が数えられなくなって簡単な計算すらできなくなっていることを知った時だった。

 十以上の数が数えられなくなっていて、一桁の足し算が答えられないともなると、流石にこれは何か変だと思うだろう。その時は電卓を借りてきて何とか仕事はこなしたが、僕の仕事は主に複雑な機械を操作すること……これではまともに働けないと感じて、後日思い切って病院に足を運んで調べてもらい、そこで病気であると発覚したというわけだ。

 診察を終えた後、投薬の他にカウンセリングで治療する必要があると告げられた。

 週に一度通院する手間と、その度に発生する決して安価ではない治療費。正直に言って、治療をするのは面倒で嫌だった。

 しかしこのままだと、脳がまともに機能しないままの状態で生きていくことになる。それでは、まともに小説を書くことなんかできないんじゃないか?

 それは、流石に御免だった。

 小説を書き続けたい、たったそれだけの理由で僕は週一の通院生活を決意した。

 人との対話という苦手なことこの上ないカウンセリングを受けて、毎日精神安定剤を服用して……そんな生活を三年近く続けた。その結果、現在の僕は、どうにか計算くらいは普通にこなせる程度に頭の働き具合は回復した。


 通院生活を送ってきた三年間。その間は色々な意味で辛かった。

 しかしその時に経験してきたこと、抱いてきた感情は、決して無駄なものにはならないと僕は思うようにしている。

 「知識は経験に勝るものなし」という言葉がある。要はそういうことなのだ。

 どんなにリアリティのある物語を書いても、それが想像である以上は、たったひとつの『実話』が持つリアリティには敵わない。

 言ってしまえば、それまでの人生の中で経験してきた全ての物事は、その作家が持つオリジナルの『武器』なのである。他の誰も真似することができない、その人だけが翳すことができる究極の刃なのだ。

 僕が鬱病を患ったという経験は、僕にとってはこれから先小説を書くことにおいての武器になる。いつか僕が鬱病に苦しむ人物を題材にした小説を書こうと思い立った時、僕自身が経験してきたことがそのままその人物を作り上げるための『枠組み』となるのだ。


 もしも、この世に僕と同じように鬱病を患った経験がある書き手がいたとしたら。

 その人には、病気になったことを逆に誇れと言いたいと思う。

 自分は他人が知ることができない世界を垣間見てきた特別な人間なんだと胸を張れ、と叫びたいと思う。

 もちろん、現在進行形で闘病している人たちに「無理矢理にでも元気出せ」みたいなことを言うのは無神経だということは重々承知しているが。と言うか僕もそう言われるのは白状すると困るところだが。

 それでも、病気になること自体は決して恥ではないと、そのことを知っておいてもらいたいと思うのだ。

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