赤とんぼと失われた世界

ミムジー

第1話 赤とんぼと失われた世界


赤とんぼと失われた世界


 私は小学生の時分、夏休みに母方の実家に数週間預けられるのが習いとなっていた。


 私の実家はラーメン屋を経営していて、世の中が高度成長期であったせいもあって、それなりに流行っていた。


 実家では、客が増えると冷房が追いつかず、店内の温度を下げるために、巨大な換気扇を回転させて外気を強制的に入れ、店内に風を起こしていた。このせいで、換気扇の回るゴオオという音と振動が、私にとっての店の忙しさの証明だった。


 そして、両親がともに厨房に行ってしまい、一人きりでいる時間が自分にとっての安心だった。


 私が小学生の頃、店の換気扇はいつも回っていた気がする。そして、夏休みに入るとすぐに母方の実家に向かった気がする。


 今にして思うと、親は家業の忙しさが理由で私を実家に預けたというより、狭く暑苦しい家の中に、手間のかかる遊び盛りの小学生が居座られるのが困る、という理由が大きかったのではないかと思う。それほど私の家は狭かった。


 当時の私はそんなことには全く気が回らず、田舎の生活という非日常を得るため、街灯に引き寄せられる虫のように喜び勇んで母方の実家に飛んでいった。


 母方の実家は北関東の片隅、赤城の山を望む、明治の頃に紡績工場の発展のお蔭で一時期だけ栄えた街にあった。この街のことは、近年、世界遺産に登録されたので知っている人もいるのではないかと思う。


 当時の私はたった一人、片道5時間の電車旅行で田舎に向かった。


 余談だが、今まで生きてきて、あれほど退屈だった行程は無かった。成績簿に書かれるほど落ち着きのない子供だった私にとって、1時間以上、椅子に座って車窓を眺めるしかない時間は、永遠とも言える苦痛だった。代わり映えしない夏の北関東の車窓が延々と続く時間は、割と今でもトラウマになっている。


 母方の田舎の家は、鍛冶屋だった。


 祖父(母の父)は、鍛冶屋の二代目だったのだ。家屋の正面は作業場になっており、そこには昔ながらの鍛冶屋の機具があった。当時、詳しく聞いたことは無かったが、さすがに高度成長時代に鍛冶屋の仕事がある訳が無いと思うので、祖父はおそらくは調理具や農機具の修理や研ぎを生業にしていたのではないかと思う。


 私が長旅を終え、母方の実家(これからは鍛冶屋と表記することにする)・・・鍛冶屋に着くと、なぜか誰もいない、という時が多かった。理由は今でもわからない。前もって連絡はもちろんしてあったはずなのだが、私の田舎暮らしの初日は、誰もいない鍛冶屋に入り、上り框の手前で家に上がってよいのかどうか迷っていてるイメージが強い。あるいは、そういうネガティブなイメージだけが強く印象に残っているというだけなのかもしれないが。


 鍛冶屋の上り框に腰掛け、鉄と錆と油の匂いが混じったひんやりとした空気をかぎながら、おそらくは竈の神様であろう筆で書かれた異様の神が祀られている神棚を眺めつつ、足をぶらぶらさせて鍛冶屋の住人を待っているのが、私の田舎暮らしの初日の印象だ。


 ここでも、作業の時は石炭(そういえばあれは石炭だったのだろうか?)を燃やし、換気扇と旋盤を回し、ゴンゴンゴンと巨大な金槌を大きな音を立てて作業をしていた。私が田舎暮らしになじめないのは、これに大きな理由がある。車や電車などの人為的騒音が無い環境に精神が耐えられないのだ。


 話を戻す。何の前触れもなく、叔母・・・母の兄の妻なのだが、叔母が鍛冶屋にふらっとやってきて、「あら? 来てたの?」とそっけなく言われる。それが私の田舎暮らしの始まりの合図だった。


 こうした経緯で私は、雨が触れば雨漏りがし、当時は汲み取り式の便所だった鍛冶屋に夏の一時期預けられた。


 田舎には祖父がいた。


 祖父は太平洋戦争の折、南方に出征して生き残った本物の戦争世代の人間で、背が低く、痩身だが足腰がしっかりしており、私の親族の中で唯一、人付き合いにマメな人だった。


 祖父は年に何回か私の実家がある東京に出てきて、おそらくは退役軍人会に出席し、親交を続けていた。ただ、残念ながら人に指示をするタイプの人ではなかったので、自分の息子たちに付き合いの教育をすることは無かった。事実、祖父がなくなった後に親戚づきあいは急激に途絶えることになった。


 当時はこの祖父(母の父)が存命で、田舎での遊び方を私に、色々と教えてくれた。要するにかわいがってくれたのだ。


 鮎の友釣り、ベーゴマ、竹とんぼなどなど。語弊があるが、電気が必要ではない、本物の田舎の遊びを教えてくれた。今思うと、当時の私は祖父に会いに行くのが楽しみだったのかもしれない。


 祖父の教えてくれた遊びの中で「とんぼ釣り」という遊びがあった。

 

「とんぼ釣り」のやり方はこうだ。まず、囮のとんぼを1匹どうにかして捕まえる。そして、そのとんぼにたこ糸をくくりつけ、飛ばす。たこ糸の長さは1~2mくらい。これだけ。


 囮のとんぼを飛ばしていると、とんぼは交尾のために囮のとんぼにすぐにくっついてくる。かかった哀れなとんぼを虫かごに入れる。囮のとんぼをまた放流する。15分もやれば虫かごはとんぼでいっぱいになる。


 たった15分でそんなに集まるものなのかと思われるかもしれない。でも、鍛冶屋から歩いて、これも15分くらいのところにある川に、ある時期に・・・たしか、お盆の頃だったと記憶しているが、その時期に河原に行くと、雲霞の如くに、赤とんぼが満ちていたので、本当に15分もあれば虫かごがいっぱいになるほど採れたのだ。


 都会の人には、満開の桜吹雪と同じ密度で赤とんぼが飛んでいる、といえば伝わるかもしれない。息をするのが躊躇われるくらいの密度で、赤々と赤とんぼが飛んでいた。


 捕らえたとんぼはというと、どうする訳でもない。戦果を確認したら、放すだけ。目的は特になく、捕まえるという行為を楽しむだけの単純な遊び。それでも、都会では体験できない遊びに、私は夢中になった。


 まず、囮となるとんぼを捕まえる。糸を付けて放流するのだから、捕まえる時にはできるだけ羽を傷つけないようにしなくてはならない。手で強く掴んで胴体を折り曲げてしまったら、もちろん死ぬのでやりなおし。


 捕まえたとんぼには糸をくくりつける。首、もしくは胴体にタコ糸を付けるのだが、強く結びすぎて、首がもげたり、胴がちぎれたりしたらやりなおし。


 糸を付けた囮が完成したら、それをとんぼの群れの密度が濃いところに誘導する。ここでも無理に糸を引っ張ると反動で首がもげたり、胴がちぎれたりするので注意が必要だ。


 何回か使うと囮は飛ばなくなるので、反応が弱くなったら古い囮を捨て、新しい囮を見繕う。


 私は当時、無我夢中でこんな残酷な行為に熱中した。虫かごは誇張ではなく、「ぎっしり」と詰まっていた。


 文章で書くと本当にひどい話なのだが、弁護させてもらうと、子供は残酷な行為に夢中になる。遊びは残酷であるほど面白いのだ。


 そして、その行為の残酷さに気づく時に大人になるのだと思う。当時の私に、「それは」は、いきなり唐突にやってきた。


 これも確かお盆の頃だったと思う。とんぼ釣りに夢中だった私は、前日の釣果に気をよくし、一人また河原に向かった。


 忘れもしない夕方。この日は確か、昼間はなにか別の用事があって、河原に行けなかったので、一人で日が暮れる前に河原に向かったのだ。


 私はとんぼ釣りの道具を持って、一人でその河原に向かった。日は既に傾いている。山の夜は足が速い。私は走って河原に向かった。


 場所は間違えようがない。そもそも「前日は」河原全体が赤くなるほどとんぼが飛んでいたのだ。ところが。


 とんぼはいなかった。


 全く。一匹も。


 今でも、この光景が本当だったのか自信が持てない。一匹も飛んでなかったのだ。


 今にして思うと、時間帯の問題、気象の問題などがあった可能性はある。例えば、実は夕立の直後で気温が一気に下がったとか。


 ある種の蟹は、満月の大潮の夜にのみ、産卵のために陸に一斉に上がってくる。その日以外は上がってこない。この日の前の日、私が大釣果を上げた日が、とんぼにとってのその日だったとか。


 それでも、一匹もいないなんてことはありえるのだろうか。


 私がこのことについて、未だに腑に落ちないのはともかく。当時小学生だった私はこの事態にてきめんにショックを受けた。


 とんぼがいない。それはなぜ?


 残照が照らす河原には、とんぼの影も形も無い。


 人は理解の及ばない事態が発生した時、何か理由をつけて自分を納得させる。たとえば「神」だ。


 きっと、これは神様が私に罰を与えたんだ。


 当時の私は本気でそう考えた。


 首をちぎり、胴体をちぎり、虫かごにぎゅうぎゅうづめに詰めて圧死させたから、神様がとんぼを私の眼の前から消したんだ。


 赤とんぼが元気に乱舞する世界は、私のせいで失われた。


 折しも時期はお盆。たしか、精霊馬が辻辻におかれていた気がする。


 先祖が帰省してくるのと、とんぼへの虐殺行為は、冷静に考えれば結びつきはしないだろうが、小学生はそこまで頭は回らない。とにかく、禁忌を踏んでしまった確信だけが烙印のように黒黒と心に押し付けられ、私はとぼとぼと鍛冶屋に帰った。


 しかし、幼少の頃から妙に悪い方にだけ頭の回る私は、それを他人に話したことは今までに無かった。言葉にしたら、それは「本当」になってしまうからだ。だから、私は文章で残すことにした。これは、「それ」だ。

 

 この話はここで終わる。特に落ちも無くて申し訳ない。


 ただ、鍛冶屋に逃げ帰った時、本当に安堵したのを覚えている。


 まるで、他の世界に足を踏み入れてしまい、散々迷った挙げ句に、何かの拍子で意図せず戻って来れたような。


 鍛冶屋の明かりには、そんな安堵感があった。

 

 了

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