葛藤ばかり。
第5話『 Melancholy 』
ずぶ
――ごめん……びっくりしたよね。
そう言い残して
彼方に消えるその
耳を
強すぎるシャンプーの香りがクラクラする。水に打たれるとどうしても悲嘆な考えに惹かれてしまう。
ばっしゃーんという水しぶきののちに一気に頭までお風呂に
イルカの
水はすべてを
——
ぽちゃん。浮力に負けた眼球が
勢いのない起き上がりに、水を吸った髪がちょろろと
なぞるように唇に指を
目を
「—————っ」
かき消すように湯を出た。きっかり30分、心まで温めるには早すぎるだろうか。
頭のなかの低気圧はそう簡単に晴れてはくれない。服の好みも、大きさも、化粧水の良し悪しだって全然違うのに。
思ったよりも髪が
廊下に出てすぐ脇の階段まで足を伸ばす。後ろから聞こえる引き戸の閉まる音が僅かながら思考を右に
「———ミドリ……」
伸ばしかけていた足が自然と振り返る。なぜ———、という内心の驚嘆を気分が打ち消した。久しぶりに聞いた父親の
「……な、んですか?」
……
「いや………、その——だな」
父は茶化したような表情を変えないまま困ったように頭をかく。歯切れが悪そうに娘の目を
「すこし、学校を休んでみないかな」
面と向かって話すのは何日ぶりだろう。取り繕った
「一度遠くへ行ってみよう。家族みんなで……
こんな私に話しかけるのに相当な忍耐を要しただろう。それはいま、自分の身体の強張りでわかる。
ほんとうに優しい人なんだって実感する。少しずつようやく慣れようとしてくれているのもわかる。でも——
「ごめんなさい。いまはそんな気分じゃない」
明日であれば違った返答ができたかもしれない。
でも今は無理だ。無理なんだ。とてもそんな余裕はないんだよ。
「そっか……。うん、いいんだ……」
父――は、明るさを崩さずに続けた。40を過ぎた笑顔は鼻筋からなぞったような皺がある。
咄嗟に視界をタオルで覆い、唇を噛んだ。
それ以上の言葉を持たないミドリは視線を外して階段を上がる。
目もくれず、ぴしゃりと閉めた扉が頬をうったように響いた。
「……………はぁ」
心底疲労した息が
ベッドにへたり込む。ろくに髪も乾かしていないまま枕へと顔を蹲めた。
ようやく慣れてきた自分の匂いが鼻を押し入る。
――私たちね。恋人だったの。
ああ、今思い出すなよバカ。余計頭がぐっちゃになる。
唇に手を添える。余韻を孕む熱はすべてお風呂に置いてきたはずなのに。
一人歩きした熱はいまだ頭を離れてくれない。
藍の、あの目———。
そこには何が宿っていたのだろう。
いくら思い出を、以前の関係を伝えたところでそれは無意味だ。もう元には戻れない。
そんなこと藍だってわかっていたはずだ。
ならどうして彼女は動いたのか、なにが彼女を突き動かしたのか。
私に向けたものではない感情、私を見ていながら限りなくその存在を無視したもの。
けれど不快感は湧かなかった。そればかりかわたしは咄嗟、言いようのない胸痛を覚えた。
まるで心臓にひびが入ったのかのような名前のない感覚。
「…………」
呆然と天井を
知りたいと思った。
そうまでして彼女を突き動かした何かを、捕まえて確かめたい。
そうすればこの虚しさも埋まるのだろうか。
なんとなくそんな気がして、そのまま目を閉じた。
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