路地

根岸が見ていたのは、路地のゴミ捨て場に横たえられた死体である。


死体の年齢は64歳、名前は多村盛重。党の重鎮の一人として、この社会を牛耳ってきた人物である。恰幅の良かったであろうその腹には、大きな穴が開いていた。同じ方法で殺されたのは今月に入って4人目である。下腹部から「何か」が挿入され、それが上半身に伸びていき、最後に心臓をぐしゃりと圧縮する。もともと心臓であった肉塊を調べると、たどりつく凶器は「人間の手」しかあり得ず、捜査関係者は口々にその結論を疑った。根岸もその一人である。


しかし、本当にそんなことが可能なのだろうか。生々しい光景が脳裏をよぎり、根岸は顔をしかめる。これまで様々な殺人現場を捜査した彼にとっても、今回の一連の殺しほど精神的嫌悪感を覚えるものはない。


確かなことは、多村か自宅で殺された事ぐらいだ。先に調べた自宅の玄関で大量の血痕が見つかったことがその証拠である。例の何かで死体に変えられた彼は、そのまま引きずられてゴミ捨て場に運ばれた。深夜2時、ましてや戒厳令が敷かれている今、市民の目撃者はいないだろう。


仕立ては良いが今は血に染まってしまったスーツを触る。これは質の良い生地だ。この世界でこんな物を作れるとは、一部の特権階級が富を独占しているとの主張もあながち間違いではないな。そっと上着のうちポケットに手を入れるが何もない。


「何か見つかったか、根岸」


「いや、何もだ」


根岸に話しかけてきたのは同僚の田久保である。ボサボサの頭にくたびれたスーツという、およそ治安維持省の捜査官に見えない出で立ちだった。そして、いつもどこからか酒のにおいがする。


「こんな夜中に召集がかかるなんて迷惑だな。ゆっっくり酒も飲めやしない」


「少しは節制したらどうだ」


「そうだな。もう俺らも健康を考えなければならない歳になったわけだな。いやしかし、この多村という男、いかにも金持ちという風貌じゃないかね」


そういって田久保は死体を眺めるが、腹部の穴を見て、根岸同様顔をしかめる。


「なあ田久保。やつがここまで連れてこられた理由は何だと思う」


「酔っ払いの俺に聞くなよ。どうせただの愉快犯だろ。反権力をうたったバカどもが、金持ちをゴミ箱に捨てる。たったそれだけさ。それ以上でも以下でもない。俺らの仕事はそのバカどもを見つけ出して処分するだけだ。やつらの思想など考えても時間の無駄だ」


「まあ、そうだな」


根岸は腰にぶら下げているジェリコに頼る場面が来なければ良いと内心思っていた。

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