G.手すり(58分)

Gさんは少し遅めの昼休憩をもらい、真夏の炎天下を、歩いて数分の喫茶店へと向かっていた。

商社の裏手にある細い階段を降り切ると、小さな商店街に出る。

しかしその日はあいにく、近年稀に見る異常な高気温だった。

Gさんは会社から出て陽射しに晒された途端、向かいのコンビニで昼食を済ませてしまうべきかと迷った。しかしそれは、休憩の時間がズレるほど長引いた仕事をようやく終わらせたばかりのこと。ここで退いては午後の士気に差し障ると考えた彼は、結局、炎天下へとくり出すことにした。

その裏道にある細い階段は、ほとんど人通りがなく、トタン板に挟まれただけの急斜なコンクリートの段差で、申し訳程度に手すりがつけられたものだった。

熱射に長時間晒され触るだに火傷しそうな手すりでも、掴まないことには安心して降りられない。Gさんは転げ落ちないよう、恐る恐る段差を踏みしめて行った。

違和感に気付いたのはちょうど中ほどを過ぎた辺りだった。

手すりを掴んだ左手が、汗とは違う、ねっとりとした感触を返し、Gさんは反射的に手すりを離そうとした。

離せなかった。

ぴったりと吸い付いたように彼の手のひらは離れず、剥がそうともがくほどにさらに隙間なく指先まで貼り付いた。

どこか遠くから救急車のサイレンが聞こえた。

瞬間接着剤か何かが塗られていたのだと理解する。自力で剥がすのは無理そうに思えたため、携帯で人を呼ぼうとした。しかし運悪く、右手が汗で滑り、取り出した携帯は階段を転がり落ち手の届かぬ場所へ。

後頭部がフライパンのような熱を持ち、蝉の声がもやに掛かったような厚みを伴って聞こえた。

暑さのあまり耳鳴りとめまいが始まり、気付いたときには、足元に胃液を吐いていた。

口元を拭いながら。このままでは間違いなく死ぬと、命の危険を感じた。

慌てて大声で助けを求めるが、人家は近くにない。この階段を降りてくる可能性のある同僚らも、昼休憩はとっくに終えているはず。

首から背中一面を遠赤外線で焦がされ、臭みを感じるほどのコンクリートの照り返しが目に痛かった。その陽射しから逃れられるほど大きな日陰は周囲になく、外れない左腕が手枷のようだった。

長い時間が経っていた。ふと時間の感覚が飛んで、次に気付いた時には信じられないほどの汗が、ワイシャツをびしょ濡れにしていた。

呼吸がままならずネクタイを外す。指先が震え始め、舌先に舐めた唇は乾ききり、ひび割れていた。

視界がぼやけ、助けを求めたつもりが自身のものとは思えない掠れ声しか出なかった。

真っ白な視界の中で、死を覚悟してうつ伏せになったところまでは覚えている。


結局Gさんは、戻ってこないのを心配した上司が探しに来るまでの二時間半、雲一つない炎天下に晒され、重篤な脱水症状で病院に運ばれた。

幸いにして後遺症は残らなかったが、慢性的な倦怠感と息切れが残り、全治には三年を要すると言われた。

警察の話では、手すりに接着剤を塗られていたのは誰かのいたずらだろうと言われた。

普通の気温なら外気に冷やされすぐ固まるのだが、異常気象と手すり自体の高温によって粘度が残り、人肌に冷やされた瞬間、Gさんの手のひらごと固定してしまったのだろう、とのことだった。

未だにGさんは、急斜面の階段を見た瞬間、吐き気に襲われるのだと言う。

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