ゲーマーズ・バンクェット

谷前くまじ

GAME START ハロー、ニューワールド

 日本という島国に生まれて28年。

 私はその短い人生に幕を下ろした。


 原因は病気による衰弱死。


 肉体的寿命が平均百歳を超える今の医療技術でも不治の病とされるこの病気は、十八歳の時に判明した。


 体中の組織細胞がゆっくり、じんわりと壊死していき、やがて死に至る。

 研究者らしい男の言葉によれば、そういうことらしい。


 病気が判明してから半年は、両親があらゆる手を尽くして奮闘してくれた。


 幸いにも私の家庭は裕福で、世界各国を行脚して神の腕と称されるスーパードクターに掛かる機会に恵まれていた。が、結果は全員が一様に原因不明、治療方法不明と首を横に振るという残酷なものだった。


 歳を重ねる毎に動かなくなっていく身体と色素すらをも失って白くなっていく様子に、どこか他人事のように最期の時が近づいているんだなと思った。


 そして遂に時はやってきた。


 動かせない身体のリハビリと称して遊んでいたVRMMOの専用ヘッドギアを握り締めながら、私は浅くなっていく呼吸と薄れゆく意識の中で死期を悟った。


 こんな境遇であるにも関わらず、搾りかすの様な声で呟いた「あ、これ死んだ」が、死に際の言葉だった私は、どこまで行っても私なのだと痛感した。


 それにと思う。


 冷たくなっていく身体と相反して、心臓は熱を帯び鼓動がやけに早鐘を打つ。

 きっと私は〝死〟に対して興奮している。


 白い病室のベッドがいつしか私の狭い世界となっていた。

 栄養は全て点滴で、物を食べる力すら無い程弱っていたし、会話すら出来ずに両親が悲壮感を漂う面持ちを観ながら為すがままに介護をされる。

 到底生きているとはいえない生活から、死という解放感を喜んでいたのだろう。


 ———違う。

 解放感という意味では同じかも知れない。


 では何故死に対してこんなに高揚感を溢れさせているのか。

 答えは死んでからのお楽しみだ。


 ほらもう直ぐそこに死神の福音が、近付いている。


 そして。


 そして私は———。



 II II II



 ———リーン。


 鈴を模した電子音が耳朶に響く。


 ぐっすり眠ってスッキリした時の心地良さを感じながら瞼をゆっくりと開ける。


「やぁ、目が覚めたかい?」


 まだ起き掛けの様なボンヤリとした視界は黒を写し込む。


 やがて輪郭がはっきりしていくと、黒髪黒目で壮年の男性がニコニコと笑っていた。無精髭を生やしてやや痩けた頬と丸い黒縁メガネという様相は、嫁に尻を敷かれ、会社ではうだつの上がらない万年平社員のようだ。


國重くにしげさん」


 外見的特徴の無い事が特徴の男の名を呼ぶ。


 ———彼とは十年ぶりの再会になる。

 名前、間違ってたらどうしよう。なんて考えていたら男は相好を崩しへにゃりと笑った。

 それを見て、どうやら間違ってなかったようだと安堵する。


「いやいや、十年ぶりだと言うのに憶えていてくれるなんて感激だなぁ。それよりどうかな? 身体の具合」

「國重さんの方こそ、私と十年ぶりの再会って覚えてくれてたんだ。———身体の具合は今のところ大丈夫みたい」

「そかそか! なんとか成功だねぇ。キミは〝被験体〟としては非常に貴重なサンプルだからねぇ。直接こうして僕が調整しに来た訳だけど、どうやら杞憂に終わりそうだね。っと、被験体なんて言ったら嫁さんにまた倫理観について何たるかを説き伏せられちゃうな」


 参った参ったと全然参った風に見えない國重さんは髪の毛を無造作に片手でわしゃわしゃする。

 そんな様子を尻目に、ゆっくりと仰向けの姿勢から上体を起こしつつ國重さんに笑ってみせる。


「ううん、いいよ。それくらい清々しい関係性の方が楽だし。大変だったね、とか、可哀想とか、憐れみの視線は疲れるしもう懲り懲り」

「あははぁ、それでこそ、だよ! 稀有な被験体としてだけじゃなくて、そのサバサバとした割り切りる性格も僕の好物さ!」

「ふふ、両親にはもっと女らしくお淑やかにしなさいってよく怒られたもんだよ。それよりも———」


 話ながらも体中の感覚を確認していた私は、問題ないと見るや否や思い切りその場に立ち上がって勢いよくその場でターンをする。

 が、勢い余ってバランスを崩し転びそうになると何かに支えられ静止した。

 見ると國重さんが軽く肩を抑えて止めてくれたようだ。


「とと、駄目だよ無茶は。まだ馴染んで無いんだからさぁ。僕の大事な被験体に傷が付いたらと思うと気が触れちゃいそうだ」

「あーあ、私の心配より身体の心配なんだ」

「ははは、こいつぅ!」


 茶目っ気たっぷりに頬を膨らませて見せると、國重さんは私の両頬を摘んでぐにょーんと伸ばす。


 國重さん、目が笑って無いですよ。

 あと目で「言うようになったじゃねえかおい」って語らないで。怖い。

 そして頬を摘む力が尋常じゃないです。やめてください取れてしまいます。


「いひゃい、いふぁい、ふにひぃへふぁん」

「あっはっはっはー、これは被験体の痛覚感度テストと体細胞定着のテストだよぉ? うんうん良好良好」

「絶対嘘だ」

「おーっとぉ、他にもテストパターンを試さなくちゃ行けないんだった「ごめんなさい許してください」———ふむ、残念だ」


 じゃれ合うのも程々にしよう。

 國重さんは乗せると乗りっぱなしになるのだ。暴走列車並みに危険な人なので、早々にこちらが折れるべきである。


 しかし、先程のテストも冗談では無いのだろう。私の痛がる様を手元のカルテに記入したり、ジンジンと熱を帯びた頬を観察したりしている。


 本当に何処までも研究者気質な人だ。


「さてさてさてぇ、………うん。身体のデータは良好だし、次のデータを取らせてもらっていいかな?」

「嫌だって言ってもするんだから聞かなきゃいいのに」

「そうもいかないよぉ。これはとても大事な事だよ? 例えば突然背後から心臓を刺すのと、今から心臓刺しますねって宣言してから刺すのとでは、当人の心構えが変わるでしょ? ———つまり、そういうこと」


 ———どういう事なんだってばよ。


 相変わらずぶっ飛んだ思考回路を持つ人だが、これでも國重さんは国の重要機関では頭を下げる相手の方が少ない程に地位の高いお方だ。


 國重 敏之くにしげ としゆき

 六年前に日本政府が国民に発表した新しい行政機関〝遊戯省〟を立ち上げた第一人者にして、現遊戯省トップの補佐役兼電子遊戯科学研究長という長ったらしい役職を持つ所謂国のお偉さんである。


〝遊戯省〟

 名前からしておおよそ国の行政機関としておちゃらけ過ぎていたせいで、発表当社は日本国全土が荒れた。

『ストレス社会に諦観していた時代に終止符を打つべく、人々のストレスを飽和させる為に発足した行政機関』とは名ばかりで、ぶっちゃけ皆で遊ぼうぜ、ってふざけた機関である。


 子供の養育に力を入れていたスパルタ家庭は真っ向から否定し、同調するようにPTAも否定。それに留まらず他の行政機関、文部科学省や厚生労働省からも非難が相次いだ。

 非難轟々だった当時の彼らの言葉を代弁するなら『ふざけんな』である。


 その勢力にぶつかっていたのがサブカルチャー文化の温床である日本ならではのゲーム好きな国民であった。


 技術革新により進んだゲーム業界は加速度的に支持を得ており、その代表格であるVR技術を駆使したゲームは国民総数の十人に一人は利用する程に盛り上がりを見せていた。


 傍観を決め込む層も居たが、どちらも大きな勢力となってぶつかり合う。


 そのような背景もあり、争う理由が『ゲームやろうぜ!』という混沌としたものでありながら泥沼の長期戦を誰もが予想していた。


 しかし、国全土を巻き込む大混乱は僅か2週間で沈静化された。


〝The Seconds World〟通称〝TSW〟という安直なタイトルでありながら、後のVRMMORPGジャンルの金字塔となったゲームが遊戯省から発表されたのだ。

 国が運営するオンラインゲームという得体の知れない物に全員が沈黙した。


 当時の裏事情を知る國重さんはこう語った。


「いやぁ、ほんとは遊戯省の発表と同時に全世界発売する予定だったのに、直前に致命的なバグが見つかってねぇ。結局調整に2週間掛かったってわけさぁ」


 国運営とはいえ、なんだかゲーム企業と変わらない延期の事情に、親近感を覚えたのは私だけでは無いはずだ。


 とにかく、このゲームがヤバかった。


 専用VR機器は驚きの9,800円という破産確実な低価格も去る事ながら、そのクオリティは既存のどのゲームよりも突出した高さを誇っていた。

 半信半疑だったゲーマー達の心を掴み、洗脳された様にTSWに熱中させしまった程である。


 それまで多くの人間が口々に発信していた『国の狂信者を作る洗脳機械じゃないのか』という懐疑的な意見はある意味的を得ていたと言えよう。


 さてこのゲームの素晴らしさは、VR技術最後の壁である五感の完全再現及び人間らしいAIを実現させた事と言えば伝わるだろうか。

 まさに仮想現実を体現した完成度に、ゲームを忌避していた国民すら根こそぎ信者へとなり変わらせた。


 日本全土を巻き込む祭りに、最後まで頑なだった反対派も徐々に沈黙して行き、騒動は治った。

 それどころか、この仮想世界を利用して色々と提案をし始めた。


 曰く、不登校者を学業に復帰させる為にゲーム内に教育機関を介入させろ。


 曰く、仮想世界の広大な土地を管理するのは大変だろうから、労働者を募って管理組織を作ろう。


 曰く、軍事的強化の為にイメージトレーニングとして自衛隊には無償で提供して欲しい。


 遊戯省はこの色々と思惑がありそうな全ての提案を二つ返事で了承した。

 そして半年も掛からずに全てを直ぐに導入した。


 政治ジャーナリストは、最初からこれらを見越していたかの様な動きの速さだ。と語っていた。


 また、全世界で同時公開されたこのゲームは日本のみではなく多くの国を魅了した。


 オープンから六年経った今では、プレイヤー総数が億単位を超える異常な数値を叩き出していて、更にもっと伸びるのではという見解もあった。


 私にとってもこのゲームは五年近くお世話になっており、ゲーマーとして大変楽しませて貰っている。


 おっと、國重さんの話からゲームの話に替わってしまった。病気になってからすっかりVRゲームの虜になったせいか。


 そんな國重さんと私の関係は———。


「よし。粗方検証データが取れたよ。協力感謝感謝ぁ」


 どうやら思考に没頭し過ぎていたみたいだ。

 全く感謝の念が篭ってない感謝の言葉を聴きながら背中をポンポンと叩かれる。


「國重さんとの関係考えたら感謝するのは私だと思うけど、ね」

「ははぁ、君らしいね。これでも沢山の人に非人道的だとか神を冒涜した男だとか散々罵られて来たんだけど。無償の感謝をする君はやはり相当変わってるよ」

「はあ、國重さんにだけは変わってるって言われたくない」

「まあまぁ、これでも僕は周りの意見を受け止める素直な男なんだよ? ———む、信じてないって顔してるね? 十年来のパートナーをもう少し信用してもいいんじゃないかなぁ」

「十年来って聞くと凄い濃密な関係に聞こえるけど、会うのこれで二回目なんですが?」

「あちゃぁ、これは手厳しいな。VR機を通して連絡はしてたじゃないか」

「まぁ、忙しいのは理解してるからいいんだけどさ」

「そう言ってもらえると助かるよぉ。———っと、これで良しと」


 話ながらも何か手元のウィンドウを弄っていた國重さんは、大きくポンっと押すと手で汗を拭う仕草をする。


「もう、テストとやらはいいの?」

「今出来る事は全部終わったかなぁ。軽い動作チェックもしたし、あとは実際に色々やって貰わないと確認できないかなぁ」


 ここまで至れり尽くせりな私は、ふと気になっていた事を口にする。


「國重さん、私にこんな付きっ切りだけど、他の被験者も山ほど抱えてるんでしょ?」

「あー、まぁ。気になる個体はいるけど、君ほどの〝特別〟はいないからね、今はどうでもいいかなぁ」

「それが被験者としてっていうことなら、あまり有難くない特別だな」

「あははぁ、悪いようにはしないから安心してよ。といってもこれからは直接介入しないし君次第ってことで」

「……善処シマス」

「君なら良いデータを提供してくれると期待しているよぉ。最強の廃人プレイヤーのでデータというだけでも興味があるからね。……さぁ、そろそろ行くかい?」


 そういって有難迷惑な期待を押し付けながら國重さんは手を差し伸べる。

 テストの過程で最終的に座らせられていた私は、その手を取って立ち上がる。


「うん、そろそろ行くね」


 実はもう抑えきれぬ高揚感で身体がウズウズしていた。

 眼下に広がる景色を懐かしさと新鮮さをごちゃ混ぜにした不思議な感情で眺める。

 両親には申し訳ないが、やっぱりこの選択をして良かった。


 さあ、沢山の冒険が私を待っている!


「あぁ、そうだ。僕は常にモニタリングしているけど、暫く———或いは二度と会えないかもしれないし。最後に、新しい君の名前を聞かせて欲しいなぁ」


 折角いざ行かんって感じになってたのに出鼻を挫かれた気分だ。このブレないマイペースさも國重さんらしい。

 嫌じゃないけど、今だけは空気を読んで欲しかった、なんて言ったら更に長くなりそうだと思わず口を紡ぐ。


 ふと、國重さんを見ると変わらずにこにことして私の答えを待っている。その様子が、初めて國重さんに出会った時の記憶と重なった。


 十年前のあの日、治らぬ病を告げたその口から伝えられた夢の様な提案。


 唐突に飄々とした口調で不治の病を患っていると伝えられ、しれっととんでもない事を言ったあの時を今でも覚えている。


『ゲームの世界に生まれ変わってみない?』


 既に死を前提とした物言いに当然ながら両親は怒ってたっけ。私は親不孝な娘だったけど、そんな私でも凄く大切にしてくれる両親だったなぁ。


 そういえば、両親の背後で目を輝かせている私を目敏く見つけてにんまり笑っていた時の國重さんの表情は、面白い玩具を見つけた子供みたいだったな。

 あ、この人相当変な人だ。って初対面なのに失礼なこと考えたな。


 普段はおちゃらけた人だけど、両親が怒り狂っている中で、彼は真っ直ぐ私を見て言った。


『あなた方両親の意向は聞いておりません。これは最早、本人と僕との問題だ。邪魔をしないでくれ』


 その時の彼の表情が、今私の名前を待っている時と似ていたのだ。


 勿論、当時からゲーム大好きっ子だった私は両親の反対を押し切って二つ返事で受け入れた。

 死ぬかもしれない娘の必死のお願いを断れるほど肝が座ってないんだよ、あの二人は。


 十年前、國重さんの提案に喜んで受け入れて交わされた約束は、今日履行される。

 そうして死を迎えて朽ちた身体の脳から摘出された私という〝個〟を引き継いだ新しい〝情報体〟は、〝The Second World〟の世界で生まれ変わった。


 プレイヤーが誰しも通る始まりの街、アストガルドの中央に聳える〝始まりの塔〟の天辺から待望していた世界が眼下に広がる。


 風が頬を撫でる中、逸る気持ちを抑えて私は深呼吸をして真っ直ぐ國重さんを見る。


「私は———……。……は|ファクティス=アルマ。作り物の世界らしい名前でしょ?」


 ファクティス=アルマ紛い物の魂

 長年VRMMOで慣れ親しんだ一人称で告げた新しい名前。

 それを聞いた國重さんは満足そうに頷き、両手を広げて歓迎する。


「うん、いい名前だ。ようこそファクティス=アルマ。 〝第二の世界The Seconds World〟へ。僕はこの世界の創造者として、そして研究者として君を歓迎するよ!」


 ———さあ行こう。


 國重さんの非人道的で冒涜的な実験場へ。


 私が夢見た世界へ。


 そして、多くの人が囚われた仮想的な理想郷へ。


 ———こうしてボクは、データだけでかたどられた世界に生まれ変わった。

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