第2話 活動記録①

「先輩こんにちは」


僕、橘玲人たちばなれいとはがらりとドアを開け、中にいる人物に挨拶をする。


「ん、こんにちは。今日も始めようか」


先輩、高鷺悠美たかさぎゆうみ先輩は僕を視認するとニコリと微笑み、本に栞を挟んでから挨拶を返した。


「はい」


僕は向かいの席に座り、先輩を見る。やはり、あのつややかでさらさらな長い黒髪は髪フェチには堪らない。顔も整っており、白く透き通る肌と黒髪は物凄く合っていて、まさに絵に描いたような美人である。

てな感じで見ていると、紺青こんじょうの瞳が視線に気づいてかこちらを見る。勿論、ばっちし目が合った。


「ッ…は、始めましょう。昨日のこと、覚えてますよね?」


「何て言ってたかい?」


「やっぱり。恋愛と恋の辞書的な意味です!恋愛は特定の異性に特別な愛情を感じ、恋い慕うこと。また男女がお互いそのような感情を持つこと。恋は特定の異性に強くひかれること。また切ないまでに深く思い寄せること。という意味でした。しかし僕たちは辞書的な意味ではなく、倫理的に、つまり簡単に言うと道徳的?にこの2つはどうなのかってということです」


「うん」


にっこり笑顔のまま、僕の話を聞く。なんだか気恥ずかしい。


「…それで、意見を考えてくるように言ったはずですが」


「ああ、そっか。大丈夫だ。今考えた」


「…じゃあどうぞ」


僕が発言を促すと、先輩はゆっくりと、凛とした雰囲気をまといながら立ち上がる。

そしてすっ…と息を吸いーー




「やはりロマンチックなら何でもいいと思う」




あああああああああああああああっ!ダメだこの人おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


はい。いつも通りでした。


***


「あのですね!もっとしっかりちゃんと考えて下さいよ!ロマンチックならいいじゃないですよ!あれですか?どんなに不細工でもですか?」


「それは流石に嫌だなあ」


「嫌なんかあああああいっ!」


バンと机に勢いよく手を着く。しかし先輩は僕の反応をにっこり笑顔のまま見ていた。その様子を見て気恥ずかしさを覚えた僕はゆっくり座り直す。

これが本当に『いつも』。先輩は中々いろんな意味ですごい。


「はぁ…どーすんすか。これじゃ部の成果が残らず消えますよ。ここ。っていうか先輩、何のために恋愛『倫理』研究部にしたんですか」


「格好いいじゃないか」


「そんだけの理由!?」


僕はガタリと立ち上がる。先輩は顔色ひとつ変えることなく「うん」と言った。思わずため息が出る。


「…それで、本当にどうしますか?何も残さず消えてもいいと言うなら別ですが」


「それは嫌。……そうだな、お互い好きな人を作って付き合ってみるというのは?」


「いや、僕が無理です」


「じゃあ、私と君が付き合うというのは?」


「え?」


そ、それは中々みりょ…


「まあ私が嫌だが」


「ですよね。僕も遠慮します」


「ん?君もか。君としては魅力的な話な気がするが」


魅力的な話ですよこんちくしょう。


「いやまあ何ですか、女性と付き合うという発想が、ちょっとアレというか」


「ああそうか、君は女が少しだけ苦手と言っていたっけ」


過去の僕を殴りたい。何故嘘を吐いたのだと。それはおよそ半年前。先輩による女性関係の質問攻めを食らった僕は逃げるためにこう言ったのだ。

僕、実は女性が少し苦手で、そういう質問は………と。


「ええ、まあ、その…はい」


「私のことも苦手かな?」


「先輩は大丈夫みたいです」


「ふむ…女として見ていない?」


「いやそういう訳ではなく…」


「じゃあ何なんだ?」


やばいこれ以上は尋問だ!僕がめちゃくちゃきつい!精神的ダメージが…


「先輩は先輩ですし。それ以上でも以下でも何でもないですよ」


「………そうか。まあいい、どうしようか」


話が戻って一安心した僕は残り少ないペットボトルのお茶を飲み干し、ゴミ箱に投げ入れた。珍しく入ったことに驚いたが、頭を振って先輩を見る。


「そうですね、誰かの恋愛、もしくは恋を見てみれば良いのでは?」


「ああ、それは良いかもしれないな。丁度、好きな人に告白をしようか迷っている友がいる。許可を貰って取材をしようか」


「…先輩ってほんとそういう相談多いですね。あと勉強」


「ああ、まあ優秀だからな」


知ってますとも。先輩は入学してから1回も学年1位から落ちたことがない。授業態度も良く、教師からの信頼も厚い。おまけに運動神経も良い。文武両道というやつだ。

そして、告白された数も、数え切れないほどらしい。


「とりあえず先輩の友達に許可を貰うのは先輩に任せて良いですか?」


「何を言っている。君も来るんだ」


「嫌です」


と、即答したが首根っこを掴まれ、無理矢理同行させられた。


***


「という訳なんだ。頼めないか?愛里奈ありな


「うーん、悠美の頼みだしなぁ。手伝ってくれるなら良いよ」


「愛里奈が彼と仲良くなるためにか?」


「うん、そうそう。告白とかは全部私の役だしね」


現在、運動場。テニスコート。先輩は女子テニス部部長の岡原愛里奈おかはらありな先輩と話している。

…髪の艶は十分あるな。ショートポニーも中々に有りだと思える。大きな瞳からは優しいオーラが溢れているが、スイッチが入ると『テニスコートの鬼神きじん』と呼ばれる程、何というか、やばくなるらしい。

ていうか女性の髪を真っ先に見てしまう癖をどうにかしたい。


「玲人君」


「あ、はい」


とうとう呼ばれてしまった。僕は何をすれば良いのやら。


「彼も参加するが、良いかな?同じ部の後輩、橘玲人君だ」


「ああ、君が玲人君なんだ。悠美からいつも君の話を聞いてるよー」


何それ恥ずかしい。髪が艶やかな美女2人に囲まれているのも相俟って少し顔が赤くなるのが自分でも分かった。


「勿論大丈夫だよ。参加するってことは協力するってことだよね」


「ええ、まあそうなります」


「ならオッケーだよ。宜しくね」


「はい、宜しくお願いします」


ここで、5時のチャイムが鳴り響く。顧問が一緒にいない部は5時で終わる。恋倫部に顧問が来ることはないので下校しなければならない。


「では、私達は行くよ」


「ん、また明日」


「練習頑張って下さい」


「お、ありがとー」


僕と先輩は校舎に向かって歩き出す。


「玲人君、ちょっと照れた顔が可愛いね!」


ずっこけた。


***


土曜。とあるショッピングモールにて。


「さて、宜しくね。玲人君」


「はあ、僕は何をすれば?」


「君は意見を言えば良いのさ」


「僕の、ですか?」


「明日デートするの。服を新しく買っておきたいなってね」


「それで僕、つまり男の意見が欲しいと」


はて、僕の意見は参考になるのやら。


「とりあえず行くぞ」


「ほら行くぞー」


一見両手に花だが、何か違う。いや違くわないかもだけど…うーん。誰か今の僕と同じ経験をした人いないのかな。

なんて悠長にいられたのはここまでだった。


「これはどうかな?」


「これも良い感じじゃない?」


「ねえねえ次はこれ」


怒涛の勢いで僕を攻める岡原先輩。


「爽やかで岡原先輩の良い所である元気の良さがひしひしと伝わってきます」


「少しクール寄りにしたんですね。先輩に聞いていた普段とのギャップが良い感じです」


「可愛さで攻めたんですね。岡原先輩が元々持っていた可愛さがより引き立ってます」


中々なコメントを返し続ける僕。この攻防は30分ほどで終わり、初デートの服は薄いピンクのひざ下まであるスカートになんだかフリフリがいっぱいある白いシャツの様なものに帽子を被った春らしさのある服になった。疲れた。


「玲人君って中々良い意見出せるんだね」


「彼の協力は必要だっただろう?」


「うん。ありがとうね」


「…どういたしまして」


明日は、岡原先輩にとって、戦いとなる。


「玲人君」


突然の耳打ちに少し驚いたが何とか冷静を保てた。


「はい?」


「告白文書いて。悠美に告白するっていう《設定》で」


「はぁ、何故」


「なぁに、参考にするだけ」


「………分かりました」


僕は20秒くらいで書いた告白文を渡す。


「………悠美のこと、好き?」


「………いいえ。僕は《僕が先輩のことが好き》という設定をして、その場合どう好きになったのかを考えて書いただけです」


「そういうことにしてあげる」


「…ありがとうございます」


僕は少しだけ不満そうな顔を作り、そう言った。

そして翌日。決戦の日を迎える。僕と先輩は遠くから見ておくだけだ。


「愛里奈は大丈夫だろうか」


「心配には及ばないですよ。多分」


午前10時。岡原先輩と、岡原先輩の好きな人、霧峰隼也きりみねしょうや先輩とのデートが始まった。

遠くから見た感じ、友達といった感じだ。霧峰先輩が岡原先輩を異性ではなく、友達と認識しているのだろう。

共にショッピングモール(昨日とは別の所)を見て周り、昼ご飯を食べ、またぶらりと歩き、告白の舞台である街を一望できる公園に来た。

時刻は午後4時40分。夕日が2人を優しく照らしていた。


「眺め、いいでしょ」


「ああ、よくこんな所知ってるな」


「隼也君は家の近くらへんまでしか道分かんないでしょ?」


「まあな、ランニングも決まった所ずっと走ってるし」


「野球、頑張ってるんだね」


「キャプテンだからな。もっと頑張らねえと」


「…あのね、隼也君。大事なお話があるんだけどさ」


「おう、どうした?なんか悩みか?」


「隼也君は聞いとけばいいのー」


「わりーわりー」


ここで、沈黙。僕には岡原先輩の気持ちは分からない。でも、きっと告白というのは緊張してしまうものなのだろう。僕は覗き見するのをやめ、聴くことを拒否するように意識を遠のかせる。


「私ね、隼也君に一目惚れしたの」


岡原先輩は少し声を大きくし、そう言った。


「それで、ああだこうだ言って隼也君の側にいて、新しい表情とか見ると、その度に好きの気持ちが強くなっていったの」


僕は息が詰まった。見れば霧峰先輩も息が詰まったかのように硬直している。僕はまた、見るのをやめた。


「…ぁ………えっと…」


「まだ終わってないよ」


「わり……」


「でね、隼也君が良ければだけど、私と付き合ってくれませんか?」


「…夏になれば、大会が、ある」


「知ってる」


「……応援、来てくれたりするか?」


「それは勿論。付き合ってても付き合ってなくても行くよ」


「…ごめん、えっと、こんな話するつもりはなかった…俺も、一目惚れしてた。何というか、大会で、格好良い所見せてから、告白するつもりだったけど…先越されたな。でも、我儘でごめんけど、俺から告白したい。ちゃんと大会で優勝して、それで俺から告白をしたい。…ダメか?」


僕は居ても立っても居られず、覗き見を再開した。岡原先輩は大粒の涙を1つ、2つと溢した。


「ダメな訳ないよ…うん。待ってる。待ってるから、絶対だよ?」


「ああ。約束する」


それから暫くは、岡原先輩は霧峰先輩に抱きつき、号泣した。僕の冷え切って、温まることのないと思っていた心が少し、熱くなるのを感じた。


***


「ありがとうね。悠美、玲人君」


「いいや構わんよ。おめでとう」


「…おめでとうございます」


「ありがとう。じゃあ私行くね」


「岡原先輩!」


「…ん?何かな?」


「貴女のその気持ちは、『恋』ですか?『恋愛』ですか?」


「……その2つがどう違うかよく分からないけど、『恋愛』だと思う」


「そうですか。ありがとうございます」


「じゃあねー」


岡原先輩は僕と先輩に手を振り、帰路を辿った。


***


あの時はびっくりしたな。と、僕は岡原先輩が告白する場面を思い出しながら思っていた。

8割だ。8割、僕が書いた告白文と同じだった。別に気にしている訳ではない。だがびっくりして噎せそうになったことは気にしているが。堪えるのに、どれだけ苦しんだことか。


「…『恋』と『恋愛』…か」


僕は今日のことを日記のよう且つメモのように書き記した。

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