オジン村

オジン村


 その日は鳥の多い朝だった。

 オジン村に生まれ、十まで育った娘。イーサは朝早くから家の手伝いで外にいた。村から離れた川で水を汲み、家までの往復を繰り返す。小さな体に不釣り合いな桶を、よろけることなく運ぶ。

 白んでいた空がすっかり明るくなる頃、ようやく一日に必要な分の水を確保した。

 だがすこし休んだあとにはまだまだ作業が残っている。実際に彼女が勤勉に働く必要はそこまでない。ぶどう酒の仕込みもすでに終わっているし、畑の刈り入れも順調だ。今年は天候にも恵まれ、飢餓に苦しむことにはならなさそうである。

 けれども彼女は家族のためと手伝いを申し出る。ただ森へ行くのは父親か、誰か狩人を連れて行かないと入ってはいけないと言われている。川までの道は毎日村人が巡回しているため比較的安全だが、木の実などを取りに行くにはそれ以外の深いところまで行かなければいけない。

 なので彼女の仕事は臼で小麦を挽くことだ。石を二つ重ねた臼にはハンドルが付いており、上の穴から小麦を入れてはハンドルを動かし粉状にする。

 栗色の髪を改めて縛り直し、よく焼けた肌の腕で要領よくこなしていく。昔からずっとこうしてきたのだ、いまさら手間取ることはない。

 ただ、今日は不運だった。


「しまった……」


力の入れ方が悪かったのか、それとも消耗していたのか。ハンドルが取れてしまった。根本で折れているようで、イーサには直すことが出来ない。

 父親に修理を頼もうにも、今日は朝から狩りにでている。戻ってくるのは昼過ぎでまだ時間がある。

仕方がないので母親のもとへ行く。家の中でせわしなく動く母親を呼び止め話しかける。


「ねえお母さん」

「……ん、どうしたのイーサ」

「えーと、お兄ちゃんは?」


 いきなり切り出す勇気がなく、見えない兄の姿を探す。


「朝から遊びに行っているわ、全く……。どうせまたルッコと一緒でしょう」

「あー……」


 イーサの兄は奔放で、家の仕事もそこそこに野を駆けては遊び回っている。特にルッコというイーサの二つ上の少年とよくつるんでいる。周囲からは悪ガキと呼ばれ、よくいたずらなどを叱られている。

 イーサはそれを反面教師に、家族の為に働いている。


「そうなんだー、ふーん……」


言い出しづらそうに、申し訳なさそうにもじもじしているイーサに母親は優しく微笑みかける。


「なあに、言ってみなさい」


 そう諭され、恐る恐る口にする。


「実は――」






「どこだろう、カニーおじさん」


 母親に正直に話したところ、母も直せないらしく村の便利人であるカニーという老人のところに行くよう言われた。

 石臼は運ぶには重いので、カニーには家まで来てもらわなくてはならない。小麦を挽かなくてはパンが作れない、出来ればすぐにでも直したいが暇とも限らない。

 家は村の外れにあるが、そもそも小さな村にあってはたいした距離ではない。

 少し早足で歩けばカニーの家が見えた。家の前まで行き、閉まっている戸を叩く。返事がないので開けて中を伺うが、留守のようだ。


「なんだ、爺さんに用事かい?」


 後ろから声をかけられた。やましいことはしていないが、急だったので驚いて振り返るとカニーの息子だった。それでもイーサより年上で、落ち着いた様子で話しかける。


「えーと……、その、家の臼を壊しちゃって……」

「ああ、なるほど。だから爺さんに直してほしいと」

「そうなんです」


 手先が器用で、物の修理などが得意なカニーは村人からよく壊れたものを直してほしいと頼まれる。その取り次ぎになれている息子のレニーはすぐに理解した。


「けど今は少し離れていてね」

「どこに行ったんですか?」

「川に釣りをしに、早朝から森に行ったんだ」

「そうなんですか」


 がっくりとしたイーサにレニーが尋ねる。


「急ぎなのかい?」

「はい、あれがないと麦が……」


 そうだなあとレニーが考え、イーサに提案した。


「申し訳ないんだけれど、爺さんの様子を見に行ってくれないかい」

「どうしたんですか」

「いつもならもう戻ってきているのだけれど、今日は少し遅くてね。心配してたんだ、でも僕も仕事があるから」

「なら行きます!」


 即座に返事をするイーサ。それを見てレニーは少しだけ驚いた様子で反応する。


「いいのかい? そのあたりは比較的安全だけれど、怖くはないかい」

「大丈夫です、それよりカニーさんを見つけたら頼み事をして良いんですか?」

「ああ、勿論だとも。でもそうだな、やっぱり一人で行かせるのは……」

「本当に大丈夫ですよ」


 心配をよそに、イーサは早く行きたそうにする。臼を壊してしまった罪悪感から、なんとか今日中にでも直してしまいたいのだ。


「うーん……、じゃあ頼むよ。でもくれぐれも気をつけてね、それとこれを」


 そう言って差し出してきたのは小振りなナイフだった。


「気休めかもしれないけれど、一応ね。川の場所はわかるかな」

「はい、知っています。ナイフもありがとうございます、それじゃあ――」


 イーサがペコリとお辞儀をし、顔をあげるとすぐに森へと駆け出していった。

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