予兆
ダンと会話をした後にローもまた、城の外へ出ていた。ダンは街へ消えていったのに対しローは城の物見やぐらの上にいた。そこで彼は黙って街を見渡していた。
夜空には数多の星がまたたいて月が街を照らす。月は満ちかけており、満月は数日後だろう。
城とは言うが、この街に城壁というものはなく、外観からして王宮と呼べるほどのものでもない。自己防衛を是とし種としての強さに絶対の自信を持つグリアにとって、戦争における対応というのは徹底抗戦以外にない。ゆえに十万近くいるジュラーの民のほぼ全てがゲリラ兵とかす。
過去に街まで攻め入った国が大昔に一つあるが、そこで略奪をすることすらできず鍛えられた兵士がグリア人の女子供に追い回されやがてはほうほうの体で敗走したことがある。それ以来その国は自信を喪失し亡国になるまで至ってしまった逸話がある。
これは未だ続いているグリア人の常識で、それは王宮にいるものであっても何一つ変わらない。事務を行う大臣でさえ、一度剣を持てば熟練の戦士と変化する。
なので城はほとんど必要なく、あくまで抱える人間の多さから、勤め先としてキャパシティを求められるからである。三階までしかない建物のこの物見やぐらだけ高さがあり、そこからは街全体が見えるのである。
円柱状の塔の平らな屋根の上。ローはここが好きであり、その優れた視力で地平まで見つめている。そこになにを見ているのか、それは彼にしかわからない。
しかし普段は誰にも見せない、澄んだ瞳と穏やかな表情で夜空を見ていた。やがて星を眺める瞳をゆっくりとつむり、沈思黙考する。平地に存在するので放射冷却で夜はかなり冷える。だから体が丈夫なグリアが居着いたとも言えるのだが。肌を冷やす空気に、ローがピクリとした。
凍えたのではない、だがなぜかはわからない。目を開け、もう一度空を見た。その時ローが口を少し開け、険しい顔をした。
星が一つ、消えていた。流れ星だ、星が墜ちることはグリア人にとっては凶兆の兆しである。こうした星読みに敏感なグリアは凶兆の後は狩りを控えたりするものだが、ローは気にしないのでその点に関して評判が良くない。
やがてローは立ち上がり、宵闇に身を落としていく。
ローが帰ったのは翌日の昼で、城に入った彼の手にはライラと約束した魔獣の死体を持っていた。
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『ジュラーから遠く離れた海岸』
朝日が顔を覗かせる直前、鳥が騒ぎ出すより前にそれはあった。
断崖の付近で荒れ狂う海、空は雲に覆われ不穏な空気が漂う。
大型の海獣が岩の上に陣取り、海は大きな影が動き回っている。
その内の一つがふいに消えた。
海に不可思議な溝が出来、岸まで流れていく。
遅れて魚の死骸が海に浮き、水が黒ずむ。
そこから崖を這うように、黒い影が重力に逆らい登っていく。縁まで到達したそれは黒い靄を払いのけるようにし、立ち上がる。
それは一個の生命だった。だが一つの命に対して、冒涜的なほどに心を持ち合わせている。
五メートルにも及ぶ背丈の上にあるのは台座、それもそもそも大きな体の幅を、はみ出るほどに横に長い。台座の上にあるのは九つの頭。すべて干からび眼窩は暗く奥が見えない。九つの内真ん中の頭だけは赤黒いフードをかぶっており立場の違いを伺わせる。体型バランスを崩すような長い腕は三本あり、みぞおちの付近から三つ目の腕が垂れ下がっている。
体を黒いボロのローブが覆い、それには藻やフジツボがくっついている。歩くたびにそれらは剥がれ落ち、十メートルも進めば形以外はまともなものとなった。
上の頭は周りに聞き取れぬ程度の音量で、向き合いながらヒソヒソと会話をしている。
右の手には先がかぎ状に曲がった杖を持っており、その曲がった内側だけ景色が歪んでいて反対側には色とりどりな宝玉がついている。
総じて見るものを恐怖と、精神の錯乱を起こさせるような悪魔のような姿。海よりいでしそれはゆっくりと海岸から離れ、暗い森の中へと入っていった。
不幸にもそれを目撃してしまった漁師は狂乱に喘ぎ、悲鳴を上げながら村へと駆けていった。
翌日、その漁師の村は建物すら残らず消え去り、そのことに人々が気づいたのは数ヶ月の後であった。
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「最近どうされたの」
「……ああ?」
執務室にて、珍しく仕事に取り掛かっているローの横で、手伝っていたライラがふと手を止めて話しかけた。
「どうとは?」
「最近ずいぶんと大人しいと聞きましたが、その通りですね。噂では街にも行っていないようですし。みんな心配していますよ」
「そんなこと、ないぞ」
「嘘。あなたほど正直な人を私は知らないわ、あなたは隠しているつもりなのでしょうけれど?」
「……」
いつもよりもズバッと切り込むライラに、はっきりと言われてローが黙る。ローに元気が無いのは周知の事実であり、ここ一週間ほどは城の中で一番の話題であったが、長くなるに連れ城下の国民も気にしていることだ。
それほどにローが静かなことは大きなこととして扱われるのだ。
「けれどなにやら一人で出歩いているようですね、それもらしくなくこっそりと」
「……なぜ知っている」
思わず口に出してしまうロー、内実はともかく彼に嘘つきの才能はない。
「侍女の一人が見たらしいのよ、私は又聞きだけれど」
「まさか他の女と話したとでも? 嫌われ者のお前が」
「……仕返しのつもり?」
六人の王妃、特に第二、第三王妃はライラを嫌う。理由は彼女の性格と、ローに対する態度にある。
彼女以外の王妃はローに対し一歩引いた振る舞いをし、そこには尊敬と少しの恐怖がある。それを意に介さずズケズケとローに進言するさまを、如何なものかと不服にしているのだ。
そして彼女の性格。いつも穏やかに微笑み、人当たりのいい彼女は見るものから見れば八方美人であり、言ってしまえば“カマトトぶっている”というやつだ。
そして二、三の王妃は祖先も王家に仕える立場に対しライラはただの一般市民であったのをローに見出された。そういった出自も嫌われる一因で、王妃たちの会話に彼女が加わることはほとんどない。
「事実だろう?」
「ミーアちゃんと趣味が合うから、よく話すのよ」
「あれとか、以外だな」
「そうでもないのよ、同じ村出身ですもの。私が村にいた当時に面識はなかったのですけれど」
「そうだったのか」
「……本当になにも知らないのですね、この面食い」
ライラの毒吐きに苦虫を噛んだような顔をしたロー。
王妃はそれぞれが才あるものなのに比べ、第六王妃ミーアに関しては突出したなにかがあるのだということもない。なので周囲は単にローの好みだったのではと噂にされている。
「そりゃあ勘違いだ、見た目以外にもいいところはあるさ」
「例えば?」
「あー……、うん」
言葉に詰まり頬を掻くローを見てライラはため息を吐く。
「はあ、あの娘も気にしているのだから今度話してあげてくださいね」
「覚えていたらな」
そうして心配話から移り変わった雑談のさなか、ライラはローの胸元で目が止まった。
「あらそのネックレス、糸が弱っているわ」
「え、ああ本当だ」
ほぼ上半身裸のローが首から下げているアミュレット、中央に三つ並んだ宝石の左右にふんわりとした魔獣の毛をよせて、紐も魔獣の毛を紡いだものである。
これを作ったのはライラで、彼女の趣味である裁縫の延長で小物作りも得意なのである。魔獣の素材を使ったそれは特殊な加護があり、ローはそれをいつも身につけている。形はブレスレットなどもあるが、消耗するたびにライラが作り直している。
「また用意しておきますね」
「頼む」
「……やっぱりあなた変」
「気のせいさ」
顔の前で手を降ったローをライラはいつも閉じたように見える目を開け、心配そうにローを見つめた。
「急いで作りますから、それまで無茶しないでください」
「……ああ」
ライラの胸中には嫌なざわつきが残ったが、それきりローも話を受け付けない態度をとったので、それ以上なにかを言うことができなかった。
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