4-1-2.最後のデート その2
小柄な体。腰から下あたりの衣服がひらひらと揺れる。
(ユウコだ。)
ひと目見るだけで十分だった。長そうな髪。衣服からすらりと伸びる手足は白い。まだ距離があるためなのか、顔はぼんやりとしていてよく分からない。しかし魔王にはなぜか確信があった。この世界のほかのどこにあのように輝く存在がいるだろうか。
少女が口を開いた。
「マオさん!」
そう、それはユウコが魔王を呼ぶときの名だった。あの勘違いを魔王は正さなかった。正す必要があるとも思えなかった。正すとしても一体何と?
魔王が口を開いた。
「ユウコ!」
ユウコが腕の中に飛び込んできた。歳の頃は十代
「さあ、行きましょう」
ユウコが魔王の手を引っ張る。すぐにも駆け出していきたいといった様子で。小さな手。優しく、しかも魔王の手を決して離さないと感じられる手。指の一本一本が愛おしく思われる。彼女が向きを変えたとき、髪が風をはらんでふわりと陽光の中をきらめいた。
魔王は見とれた。そして見
「行くって、どこへ?」
「ええっ、忘れたんですか。前から約束してたじゃないですか」
「ごめん。思い出せない」
「ひどーい。あんなに楽しみだと言ってくれてたのに」
ユウコは頬をぷうっと膨らませた。比喩ではなく本当にまるで風船を膨らませるように。でもそれが彼女の可愛さをよりいっそう引き立てる。
ワンテンポもツーテンポも遅れてようやく魔王は思い出した。そうだ、今日は「ゆうえんち」というところに行くのだった。そこで「でーと」という行為をするのだった、と。
もちろん「でーと」自体はこれが初めてではない。ユウコともう何度か経験済みだ。しかし「でーと」とは一体何か、実は魔王にはまだよく分かっていなかった。どうやら決まったことがあるわけではなさそうだということだけは分かってきた。だから今日の「でーと」がどのようなものになるのかは魔王には見当がつかなかった。もし魔王に女性とふたりきりでどこかに出かけるといった経験があればまた違っていたかもしれない。だがあまりにも若くして魔王の地位についてしまったためか、そのような経験が今の魔王にあろうはずもなかった。こと恋愛ごとについては、
ユウコが
「うふっ、まだ慣れないんですね、“バス”に」
「『バス』?」
そうだった、と魔王は思い出した。この乗り物は“バス”と言うのだった、と。
魔王国においては、機械工学はある意味いびつな発達の仕方をしていた。技術レベル自体は「召喚勇者発見装置」を造れるまでに発達している。しかしいかに高度な技術があろうと、それを一般社会に役立てようという考えに欠けているところがあった。電気はおろか、化石燃料でさえ一般社会における機械の動力源として使われることは
魔力を動力源にすることはあったが、小規模な機器に限られていた。大量の魔力を供給してくれる魔鉱石みたいな都合のよいものはそうそう採れなかった。動力源のための魔力を供給するのは機器を使用する魔族自身であることがほとんどだった。
だから魔王はこの“バス”をはじめ、道行く自動車や、鉄道、はたまた空を飛ぶ飛行機を見る
もちろん魔王にこの世界の様々な事柄を教えたのがユウコであることは言うまでもない。ユウコと話す度に魔王は彼女の
「マオさんほら、見てください! 遊園地が見えてきましたよ」
ユウコの声に魔王は指差された方向を見た。窓の向こうに大きな施設が見えた。多くの人間が楽しそうに入って行く。出てくる者もみな笑顔だ。
ふと魔王は何か強烈な
(なぜだ。
“バス”が停まった。降りるふたり。ユウコが駆け出そうとする。
その瞬間に魔王の脳裏に電撃のようなものが走った。反射的にユウコの腕を
「えっ?」
突然に、しかも乱暴に腕を掴まれてユウコがびっくりした表情で魔王の方を振り返った。そして魔王の普段とはまるで違う鋭い眼光に2度びっくりした。
(ユウコをひとりで行かせてはならぬ!)
魔王の眼光の鋭さは彼の決意の強さを現していた。彼はついに既視感の正体に思い至ったのだ。
(そうだ、これはあの夢のシーンにそっくりだ。)
険しい顔をしながらも、魔王は内心が恐怖でいっぱいになるのを感じていた。ちょっとでも気を抜くと全身に震えが走るのではないかという思いを振り払うことができなかった。魔王は自身がいまできることを頭の中で繰り返した。ユウコのそばを片時も離れないこと、彼女を召喚魔法陣から護り通すこと、ただそれだけを繰り返した。
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