第4章 それぞれの決意

4-1-1.最後のデート その1

 Chapter - 1


 ついに「あの日」が明けた。


 抜けるような青空が広がっていた。魔王の心は喜びにあふれていた。今日は前々からユウコとの約束があった。魔王は彼女に今日の日を「楽しみだ」と言っていた。「ゆうえんち」というところに行くらしい。そこで「でーと」という行為をするのだという。


 しかし魔王の心を占めていたのは今日という日に対する喜びばかりではなかった。


 しばらく前から魔王国との通信が途絶えていた。レーダーには何も映らず、語りかけても応答はない。最初は故障かとも考えた。ただ翻訳機としての機能は生きていた。動力は十分な余裕があるはずであった。


(あちらで何かトラブルがあったのであろう。)


 魔王に不安がなかったと言えばうそになる。だが彼はあくまで事態を楽観的に見ていた。


(トラブルがあったのは発見装置か、それともDTOM構築にか。いずれにせよ、ミスートを始めとする研究所の者たちが、さほど間を置かずに解決するに違いない。勇者召喚の儀もあと1度か、せいぜい2度。翻訳機能もそれまではつであろうよ。何も心配することはない。)


 魔王は自身の心に言い聞かせた。しかしそのことが別の不安を、通信途絶よりも大きな不安を、彼の心に思い起こさせてしまった。


(勇者召喚を阻止しきった後、いったいわれはどうしたらよいのであろうか。)


 魔王がいまだにこの世界にとどまっている理由、もちろんそれは「ユウコの勇者召喚を阻止する」ため。その勇者召喚がおそらくあと1度か2度で終わりを迎える。魔王がこの世界に留まる理由がなくなる。魔王は元の世界に還らねばならない。魔王が元の世界に還ることは、すなわち「ユウコとの別れ」を意味する。


 しかし今や魔王にとってユウコと別れるなど考えられなかった。耐えられそうになかった。別れたくない。ではどうするのか。真っ先に思いつくのは「魔王国に連れ還る」ことだろう。以前の魔王ならば一片のためらいもなくそうしていたに違いない。


 だが魔王は変わってしまった。この世界におけるユウコの生活を垣間かいま見てきてしまっていた。学校での様子や、家庭での団欒だんらんをだ。ユウコは皆に愛されていた。学校ではたくさんの友達に囲まれ、家では両親からの愛情をその身いっぱいに受けていた。あんなに温かい家庭を魔王は見たことがなかった。魔王自身も彼女の両親に対して好感を抱いていた。


「そのような環境から彼女を引き離す?」


 魔王はもう何度も自問自答を繰り返していた。


「そのようなことわれにできようか。やりたいはずがないではないか。ユウコはきっと悲しむだろう。われはユウコを悲しませたくはない。彼女の幸せのためならわれ自身の不幸など何ほどのことがあろうか」


 ひとりの女性について魔王がこんな感情を抱いたことはかつてなかった。


 では自身がこの世界に留まり続けるというのはどうか。魔王はこの案を真剣にもう何百回も頭の中で検討した。しかしふたつの点からやはり不可能と言わざるを得ない。


 ひとつ目はもう何度も触れている「魔王としての責任」。しかし魔王はそれをも放り出してもいいとまで思っていた。自分がいなくてもだれかが魔王の地位を継ぐだろう。必ずしも自分でなくても良いのではないか――魔王はそこまで考えるまでになっていた。なのでこれは大きな点ではない。


 最も大きな点は「魔力」について。この世界には魔力がない。なのでこの世界にいる限り魔力の補充ができない。魔法が使えないのになぜ魔力の補充が問題なのか。たしかに魔力を外部に放つ魔法はこの世界では使えない。しかし例えば身体強化のような「魔力を自分の体内で使う魔法」は可能だった。魔王の体内は魔力のある世界のものだからだ。また日々の体力の維持にも魔力は必要とされた。彼はこの世界での正当な方法で食料を調達するすべを知らなかった。


 魔王の魔力は減る一方だった。もちろん彼の魔力量からすれば、たとえ召喚阻止をずっと続けてもまだ数か月は優に活動できるだろう。召喚阻止が必要なくなれば活動可能な期間はずっと長くなる。だがいずれは魔力が尽きる。それは魔王の死を意味する。ユウコとの別れを意味する。


「この世界には『共白髪ともしらが』という言葉がある」


 魔王はつぶやいた。


われはユウコと共白髪となるまで一緒にいたい。たった数年で別れるなど耐えられぬ」


 魔王は答えが見つけられずにいた。あらゆる道が袋小路に思えた。


「だがまだ考える時間はある」


 そう、まだ希望はあった。


「勇者召喚の儀があと2回だとしよう。もしその1回が今日行われたとしても、残る最後の1回が行われるまで数日ある。最後の1回が行われても、それが最後だと確認できるまでさらに数日。それだけあれば何らかの結論が得られるはず。まだ焦るには早い。時間はある。何も今日がユウコとの別れの日となるわけではない」


 魔王は自身にんで含めるように言い聞かせた。声に出して言い聞かせた。心で思うだけでは不安が消えそうにない。自身の希望を声に出し、自身の耳で聞いて自身の心で確認する、そうすれば希望が強まるような気がした。まるでほかのだれかから応援されているかのような気がした。


「よしっ!」


 魔王は気合いを入れるために力強くそう言った。両腕の筋肉に力を込め、両の拳を強く握りしめて腕ごと上から下へと振り下ろした。


「ただ悩んでばかりでは仕方がない。それにもうユウコとの約束の時が近い。出かけなければ。今日の一日ぐらいすべてを忘れて楽しんでも別にバチは当たるまい。なんせわれが信心する神はこことは別の世界におられるのだからな」


 魔王の口の端がくいっと上がった。いたずらっぽい目になった。こっそりと何かをしようというときにする顔は、人族の若者がするものとそっくりであった。


 魔王は待ち合わせ場所へと急いだ。予定よりいくらか遅れていた。しかし早足で急げば余裕で間に合うはず。


 ここ数日にないいい天気だった。これまでユウコと幾度かした「でーと」の中でも最高にいい天気と言えた。初めてユウコと出逢であった日とは正反対だった。あの日はひどい雨だった。風も強かった。ユウコによると「たいふう」という大嵐の一種が近づいていた日らしかった。大嵐にふさわしく夜更けには荒れに荒れた。まだ適当な住まいを確保できていなかったのでひどく難儀したのを魔王は思い出していた。


(それに比べて今日という日はどうだ。)


 魔王は心の底から喜びが溢れてくるのを感じていた。


(何もかもが正反対。空は抜けるように青く、どこからか小鳥のさえずりが聞こえる。軒先に花が植えられた家があるなど、あの時は気づきもしなかったぞ。いや気づかなかったのはそればかりではない。何でもない日常がこれほどすばらしいものだとは、魔王国では爪の先ほどにも思わなかったぞ。)


 魔王は心が洗われるような気がした。しかもこれからユウコとの「でーと」があるのだ。


(たったひとつだけ正反対でないものがある。)


 強い確信が魔王にはあった。


(あの嵐の日にユウコと出会いえにしを結んだ。そして今日はその縁がよりいっそう深まるのだ。失いたくはない。ユウコも、そしてこの世界での生活も。)


 魔王は角を曲がった。この向こうにある公園が待ち合わせの場所だった。どうやら約束の時間に間に合いそうだ。ユウコはもう来ているだろうか。我を見てどんな顔をするだろうか。それとも遅れてけてくるのだろうか。その方が彼女らしいか――魔王はそんなことを考えていた。


 ふと魔王は気づいた。向こうからだれかが小走りに駈けてくる。

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