3-2.襲撃

 その日はおだやかに晴れていた。様々な思惑おもわくが渦巻く魔王城内と対をなすかのように、空はどこまでも青く澄み切っていた。風もなく、いつもなら道ばたで何かをついばんでいる鳥たちも、どこかへ行ってしまったのか姿を見なかった。もしかすると嵐の前の静けさとはこのような状態のことを言うのだろうか。


 そんな中、魔王城内の研究所では、召喚対象者発見装置による状況の監視と、DTOWの維持作業が続けられていた。


 どちらの作業も莫大ばくだいな魔力エネルギーを必要とする。当初予定を大きく超える運転は機器には過度の負担となる。だが幸いなことに魔王はあらかじめ安全マージンを取った計画を立てるよう指示していた。そのおかげで現在のところ安定的な運用が続いていた。まだしばらくは稼働に問題は出そうになかった。装置の各種計器に異常はまったく見られなかった。


「暇ね」


 主任のミスート女史がぽつりとつぶやいた。


「起動時にはどうなることかとヒヤヒヤしたし、それから考えるとトラブルがないのは良いことなんだけど。でもこう順調すぎると何かが起こってほしい気もするわね」

「やめてくださいよ主任。そういうのを『フラグが立つ』って言うんですよ」


 彼女の斜め前で計器を監視していた所員のひとりがたしなめる。


「フラグ? 立ったら立ったでいいじゃない。ここには優秀なメンバーがそろってるんだし、よほどのことが起こらない限り大丈夫」

「あーあ、『よほどのこと』だなんて。いったい主任はいくつフラグを立てたら気が済むんですか」


 別の所員が冗談めかして言った愚痴ぐちに、ドーム内がドッと湧いた。


 優秀な研究者や技術者というものは、優秀であれば優秀であるほどいわゆる「おたく」と呼ばれる存在に近い部分があるもの。自身の興味の対象以外にはとんとうといというのが共通点だ。それはここでも同じ。魔王城内で起きている不穏な事態を危惧きぐしている者はいなかった。いや、それどころか事態を認識すらしていない者も多数いた。認識している者であっても、「そのうち何とかなるでしょ」とたいして気にしていない者がほとんど。研究所は平和そのもの。魔王城内の不穏な思惑とは完全に切り離された別の世界であるかのような時が流れていた。


 ドーム内のなごやかな空気は機器の状態が順調だというのももちろんある。しかしそれ以上にミスートの所員掌握術しょうあくじゅつが優れているというのも多分にあった。彼女は研究者として優秀なのはもちろんのこと、組織のリーダーとしての才覚も備えているらしかった。


 そんな彼女のリーダーとしての嗅覚が、敏感にある事態を察知した。


「何かしら。何か外が騒がしいみたいだけど」


 ひとりドームの入り口方向へ振り向く彼女。そんな彼女を見ても訳が分からず、他の所員は互いに顔を見合わすばかり。


「主任、どうしたんです?」

「何か外の廊下の方から人が騒ぐような音がするの。だれか様子を見てきてくれない?」

「えっ? あっ、もしかして主任、さっきのフラグの件、実は結構気にしてるとか」

「そんなんじゃない。外で何か起こってる。早く、早く確認して!」


 彼女の緊迫度が急上昇した。声だけではない。しぐさ、体のこわばり、目線の鋭さ。明らかに平時の彼女とは違う。またただの異常時とも異なる。彼女は発見装置のトラブルの時には信念を持って的確な指示をした。だが今の彼女は得体の知れぬ不安に取り付かれているかのよう。そんな彼女の姿に他の所員も、ようやく事態が何かおかしいらしいと思い始めた。


 ドーム内がざわつきだした。ここに至ってようやく、だれの耳にもドーム外から人が大勢騒いでいるかのような音が聞こえてきたのだから。しかもただ騒いでいるのとは違っていた。明らかに異様な、明らかに緊迫した“何か”がその音からは伝わってきた。想定したことのない“何か”が起こっているのはもはや明らか。ミスートの言うとおり早急さっきゅうな確認が必要だった。


 数名の所員があわてて立ち上がった。


「俺、ちょっと見てきます!」


 しかし事態を確認に行く必要はなかった。事態のほうからこちらへやって来た。突然、ドーム入り口のドアが乱暴に開いた。すべての所員が何ごとかといっせいにそちらを見る。外から一群がなだれ込んで来る。見るからに研究所の所員ではない。


 全員が武装していた。


 “何か”が起こった。しかし“何が”起こっているのか分からない。事態が把握できない。所員たちはただ立ちつくすばかり。こんな事は学校では教わらない。教科書にも載っていない。


 一群の奥から特に巨体のひとりが進み出た。ドーム中央にそびえる発見装置を横目でじろりと一瞥いちべつした。所員全員をギロリと見渡した。


「この装置の責任者はだれか!」


 そいつが雷鳴のごとく大声で呼ばわった。明らかに他の侵入者たちより重厚な武装を身にまとっている。


 ミスートのまわりの所員が彼女をかばおうと腰を浮かしかける。しかし彼女はそれを片手で制し、「軽はずみな言動はつつしめ」と示すかのように無言で首を横に振った。


 その時、またもやドーム入り口の方がざわついた。入り口から一群をかき分け、ひとりの老魔族が髪を振り乱しながら駆け込んできた。


「将軍! 困りますぞ! このようなことをなされてただで済むとお思いか!」


 所長のゲスダフレッツェオであった。所長は自身が「将軍」と呼んだ巨体の魔族の前に立ちはだかった。両腕を大きく広げ、それ以上の侵入は断固として阻止するとの意思を自らの体でもって示して見せた。


 将軍はあごをわずかにひねった。その大きな目で所長をひとにらみした。


「貴様はだれか」

「私はこの研究所の所長でございます、将軍」

「名は?」

「名乗る必要はございますまい」

「ふん! 伊達だてに歳はとっておらぬと見える。このワシをの当たりにしてそのような口がたたけるのだからな。して、貴様がこの装置の責任者か?」

「何度も言わせなさるな。私は所長。この研究所全体の責任者でございますぞ、将軍!」


 はたから見ても将軍の威圧は強烈なものがあった。だがゲスダフレッツェオ所長は一歩も引かぬ構えを見せた。彼には自分が魔王直々じきじきの指名でこの研究所の所長となったという強い自負があった。全魔族の命運がかかった今回のプロジェクト。そのプロジェクトのために作られたこの研究所。最高責任者としてこの研究所を何としても守り抜くことは、全魔族のためでもあり、また自分自身の誇りのためでもあると彼は信じて疑わなかった。その信念がゲスダフレッツェオ所長をして、体格・声量ではるかに上回る将軍に対して互角に渡り合う勇気を与えていた。


「なるほど」


 所長に反論されても将軍はピクリとも表情を変えない。


 しばしの間、多分時間にして2,3秒、それまでゲスダフレッツェオ所長をまっすぐに見ていた将軍が顎を少し上げた。必然的に目線が見下すような形になった。


「では貴様はこの装置の責任者ではないのだな」

「だから何度も言わせなさるなと。私はこの研究sy……」


 ゲスダフレッツェオの言葉は最後まで言われなかった。グワンという音と同時にあたりに一陣の疾風が駆け抜けた。風を受けて何人もの所員が吹き飛ばされまいと脚を踏ん張った。ドームの床にサッカーボールくらいのひとつの丸い塊が転がった。


「きゃあああ!」


 あちこちから上がる所員の悲鳴。


 床に転がった丸い塊は一箇所が赤く染まっていた。


 間違いなかった。見誤る者はいなかった。それはほかでもないゲスダフレッツェオ所長の首だった。

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