1-6.魔王、異世界へ

 ドーム内全員の視線がモニターに釘付くぎづけになっていた。いや、ドーム内だけではない。「特定成功」の報はあっという間に研究所内全体に広まった。ドームにはほかの部署からも多くの所員が詰めかけてきていた。


「皆の者、よくやった」


 魔王が振り返って全員へのねぎらいの言葉をかけた。ドーム中からワーッと歓声が上がる。魔王がゲスダフレッツェオ所長とがっしりと握手を交わす。あちこちで抱擁する所員の姿。中には泣いている者も。そこら中で起こる歓喜の声がドームにこだまし、打ち震える喜びが計測器に地震として記録された。


「ミスート主任、ご苦労であった」

「いえ、魔王様。まだです。まだ対象者の空間座標の取得とDTOW構築が残っています」


 そうだった。最終目標はあくまで「対象者の元に魔王自らが転移し抹殺すること」。対象者を特定できただけではダメ。異世界間時空トンネル(DTOW)を構築し、両世界間を安全に行き来できるようにしなければならない。しかもできるだけ早く。


 魔王はミスートのまだ若い顔をじっと見つめた。彼女の目には確固たる意思が満ちていた。対象者の特定に成功したうれしさがにじみ出るのは隠しようがないが、この者ならいかなる困難をも乗り越えてプロジェクトを完遂させるだろう。そう魔王には自然に理解できた。


 魔王はひとつうなずいた。


「して、それはいつになる」


 魔王の問い。彼の中ではトンネルの構築成功はもはや既定事項といえた。今や問題は「できるか」ではなく「いつできるか」になっていた。トンネルができて対象者の世界へ転移できるだけでは不十分。それを人族が対象者を召喚してしまうより先に行わなければならない。でなければこれまでのすべての努力が無になってしまう。


 その問いへの答えは明確に返ってきた。


「明日にでも。DTOW構築が可能なことは既に確認済みです。時空間座標さえ取得できれば、残っているのはそこへ向けてのDTOW構築と最終の安全確認だけ。間違いなく明日には朗報をお伝えできます」


 ミスートの言葉は力強い。それが言葉だけでないことが証明されるのにさほど時間はかからなかった。ミスートの言う通り、翌日には魔王の元に「DTOW構築成功」の報がもたらされたのだから。


 魔王は再び研究所に出向いた。自身の転移が成功することについては微塵みじんも疑いを持ってはいなかった。だが彼の心には懸念が残っていた。それはただひとつ、「人族がもう既に対象者を召喚してしまっているのではないか」ということだけ。対象者が召喚されていないことを確認したのは昨日。しかしたった一日であっても、魔王の心を懸念で満たすのには十分すぎるほど。


 普通に考えればそれはあり得ない。最後の勇者が倒れたのはわずか数日前にしか過ぎない。先にも書いたように人族の王城と魔王城との間に知らせが届くのには最速の伝令を使っても2週間はかかる。たった数日前の「勇者破れる」の報が人族の王城に届いているはずはない。知らせが届かなければ勇者召喚のり行われることはない。ゆえに魔王が転移してみたら対象者は既に召喚された後、といったことが起こることはあり得ない。どう考えてもそれはない。


 だが本当にそうだろうか。魔王の懸念は消えなかった。2週間という期間は最速の伝令を使った場合の日数。人族がもっと速い伝達手段を持っている可能性は? 例えば勇者と王城との間に魔力的なつながりを作っておき、勇者が敗れたなら繋がりが切れることで即座にわかるような仕組みがないとどうして言えようか。あるいは勇者が敗れた場合に備えて、結果が届くより先にあらかじめ勇者召喚の儀を執り行ってしまうということはないのか? 後から「勇者勝利」の報が届いた時には適当な理由をでっち上げて召喚された者は王城外に放り出してしまえばよい。狡猾こうかつな人族ならば十分にやりそうなことのように思われた。


 だから研究所に出向いた魔王に「対象者はまだ召喚されていない」という報がもたらされた時、彼はプロジェクトの成功を9割がた確信した。


「対象座標へのDTOW構築は完了しています。しかし対象者が動いていることと、目的地付近の電磁気的な……、おそらくは現地の天候的な何かのために転移先に多少のずれは出てしまいます」

「多少のずれなどどうでもよい」


 所内の廊下を転移室へと急ぐ魔王。ただでさえ速くなる脚をいっそう速める。ミスートが懸命に付き従う。


「大事なのは時間だ。今こうしている間にも人族はあやつを召喚してしまうかもしれぬ。ミスートよ、準備は完了しておるのだな」

「はい。後は魔王様のご到着を待つばかりになっております」


 ミスートの言葉を聞き、魔王の脚はさらに速くなった。魔王より小柄なミスートはもうついて行けない。案内役の魔族などはもう小走りだ。


 転移室自体は普通の部屋だ。隅に円筒形の転移装置と思われるものが目につく。少し離れたところに四方をカーテンで囲われた箇所がある。魔王が登場するやいなや、何人もの魔族がいっせいに動き始める。


「魔王様、どうぞこちらへ」


 そのうちのひとりが魔王をカーテンで囲われた箇所へと案内する。転移装置にではない。


「こちらで着替えて頂きます」

「この姿のままではいかんのか」

「申し訳ありません。転移成功の確率を少しでも上げるためには転移時の質量を少しでも減らしておく必要がございます。また現地に到着したときに現地の者たちと無用なトラブルを起こさぬための用心もかねております」


 なるほど、と魔王は頷いた。一刻も早く転移する必要があるのは確かだが、焦って失敗すれば元も子もない。また「いかにも魔族」という姿で現地に現れれば、転移先の世界の者たちと争いになるだろうことは容易に考えられた。


 武器や防具を携帯していけぬのには一抹いちまつの不安があったが、他の魔族をはるかに上回る実力を持つ魔王はそれほど心配はしていなかった。なんせ自分は勇者を倒している。そんな自分が異世界とはいえ人族に簡単に遅れを取るはずはない。またいざとなればこちらに戻ってくればよい。


「分かった。ではわれの肉体も人族に似せておいた方が良いのではないのか」

「さすがは魔王様。そこまでは考えつきませんでした」

「まあよい。姿を人族に似せるなどたやすいことよ」


 そう言い残すと魔王はカーテンの中へと入った。再び現れたとき、そこには背の高い若く魅力的な人族の青年の姿があった。その美青年ぶりはまわりの魔族たちが感嘆の声をもらすほど。何人かの女魔族が思わずときめいてしまったのも無理はない。


「では、こちらをお持ちになってください」


 ひとりの魔族が魔王に小さな機器を手渡した。魔王の大きな手のひらに隠れるほどの大きさ。厚みは薄く服のポケットに容易に収まりそう。片面のほぼすべてがディスプレーになっている。


「これは一種のレーダーでございます。これで正しい異世界についたかどうか、さらには対象者への方位とおおよその距離がわかります。思念波の場を形成することで、周囲の者どうしが相手の話した言語を受け手側の言語で聞き取ることができるようになります。またこちらの世界との連絡にも用います」


 機器の説明を聞きながら「うむ」と魔王は頷いた。もし対象者から離れたところに転移しても、この機器さえあれば対象者の発見は容易であろう。必要であればあちらの世界の者との意志疎通も可能になる。


 ついに魔王は転移装置の上に立った。やがてそれまで慌ただしく機器を操作していた魔族たちの動きが静かになった。


「魔王様、いつでも飛べます」


 フロアから声が掛かる。大きく頷く魔王。


「よし。では、やれ」


 魔王の言葉と同時に、彼の姿は空間に溶け込むようにかき消えた。魔王は異世界へと旅立った。

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