確認とスケートボードのお話
憤ることが多くなった。
というよりも言葉として、文字として書き起こすことにより曖昧であった心の内が視覚化されている。
頭が冴えている時はシナプスが滞りなく働くのを感じ、思考というものが循環され、何でも出来るような気持ちで溢れかえる。
そうでない時は脳みそに流れる血液がドロドロの何かに置き換わったかのように思考が停滞する。
そういう時、決まって僕はミスを起こす。
指導報告の日付を間違えたり、受け答えにラグが生じたりする。
それは深層心理に目を向けられていないことが起因しているのかもしれない。と考えると定期的にフリック入力を媒介とした心の再確認が必要なのだ。
更には、心の状態を知った上での対策が必要なのだ。
(ここから酒を飲んだ)
この方法での自己分析を通して解ったことの経過報告としては、僕は喜怒哀楽のスパンが長い。ということだ。
正確に言うとベースとなる感情が1〜3週間単位で変わっていき、その合間合間に非常に短い喜怒哀楽がインターバル的にやってくる。
喜〜〜
怒〜キドアイラクッ〜〜
哀〜〜〜キドアイラクッ〜〜キドアイラクッ〜〜〜
楽〜
といった具合だ。
このコントロールがとても難しい。
突き詰めれば突き詰めるほど、「生きる」というものは奥が深いんだなぁ。と人間に転生した強キャラのような感想を抱いた。
誰かの言葉で「助言を受け取るに足らないと感じた相手からの批判は受け取るべきではない。(”Don’t take criticism from someone you don't take advise from.”から意訳)」というものがある。
これは全くもってその通りで、僕はどこかで嫌われることを恐れていた。だがしかし万人に好かれる人間などは存在しないのだ。
また、たまに見る実況者が「自分の人生の主人公は自分自身。合わせない周りが悪い、登場人物から消した方がいい。」というようなことを言っていて影響されやすい僕は一人、一人といらない人間を切り捨てていった。確実にQOLが上がった。
冷めた人間だと詰るのは自由だ。その時点であなたは「いらない人間」と化すのだから。
スケボーの話をしよう。
僕は趣味でスケートボードをするのだが
上記したマインドセットは確実に僕のスケボーにも影響していた。
スケートボーダーは、ある程度経験を積むと「スタイル」というものが出てくる。
板を回すトリックを多用するスタイルもあれば、そうではないスタイルもある。
足を着く技を多用したり主に手を使う技を好むスタイルもある。
スケートボードは上手ければ上手いほど良い。というわけではなく、自由で、「楽しめた者勝ち」のような側面があるのだ。
しかし僕の近所のスケートボーダーは技の数を誇示し合うような考えが根付いていた。
基礎技よりも手を使ったりするようなマイナーな技を多用する友人をポーザー(厳密には違うがニュアンスとしては「上手くない奴」の蔑視)と陰で呼ぶようなネガティブなバイブスが漂っていたので一時期の僕はマイナーな技を使うのを躊躇っていた。
躊躇うことをやめたのは承認のために半ば義務感でスケートボードをしていることに気づいたからだ。
元々の目指していたスタイルは「遊べる移動手段」としてのスケボーであって、「褒め称えられる」為のスケボーではない。そこにマイナートリックもメジャーなトリックもクソもないのだ。
賞賛を捨てたことで僕はモチベーションと楽しみを手に入れた。
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