旅に行く夏
篠岡遼佳
旅に行く夏
暑い。
とにかく暑い。
テーブルを中心にコンビニ弁当の空箱が散乱しているが、どうも食べ残しが匂いを放っている気がする。
よく見れば時計も狂っており(今は午後4時だ、11時ではない。多分電池切れ)、そのことに気がついているが、俺はなにもする気が起きず、ささくれた畳の上にうつ伏せになっていた。
あー、DVDも返さなきゃ。
今回のはハズレだった……男優の声がでかいのは俺の好みではないのだ。
仕方が無いので、俺はTシャツを着替え、サンダルを突っかけて、ドアを開ける。
瞬間、強い風が吹き、部屋の中よりはマシだなと思った。
とりあえず、アパートの前にある、誰のものでもなくなったスクーターを借りる。
ヘルメットはないが、取り締まる人がそもそもいないので、問題はない。
ここは都市部の住宅街のはずだが、全く人の気配はない。ノラ猫一匹いない。
立派だったのだろう一軒家たちは、もう朽ちたカーテンや伸び放題の観葉植物、荒れ果てた庭のものだ。
おそらくだが、このあたりにいるのは俺も含めて三十人程度だろう。
世界は滅んでしまったからだ。
ひょっとしたら、唐突な話かも知れないが、この崩れて行く建物や無人の団地は当たり前の景色だ。
俺が学校で教わった限りでは。
確かに、当時世界は緊張状態にあった。
だが、実際のところ平和が続くことを誰もが無言で望んでいた。死にたくないのは根本的な欲求だからだ。
けれど、どこかの国はそれを踏み越えた。何かを何らかのミサイルに乗せて、破壊を行った。
そして、「終焉の灰」が降った。
この国では、国民保護のためのサイレンを聞きながら、鼠色の空からそれが降るのを見ていたそうだ。
俺が生まれたのはその頃らしい。
いつものDVD屋に行くと、なじみの店員がいて、何事もないかのように仕事をしている。
「灰」が降った後、世界はひたすら混迷を極めた。
戦争の口実が出来たから、破壊衝動のままに生きた人々も居た。
それと同じくらい、通常の生活を続けることを選んだ人も居たのだ。まったくなんの後ろ盾もない、かりそめの日常だ。
世界人口は大体1/4くらいまで減ったので、インフラはだんだん死につつある。
そもそも、メンテナンスが出来る人がいないのだ。そのための道具や部品を作っていた人も、もういない。
コンビニに行けば、かろうじて動いている流通で飯が食える。もちろん、店員がいて、電気も皓々とついている。
まだ紙幣も硬貨も使えるというのは、なんだか笑ってしまうが、それもそのうち物々交換になるだろう。
終わっていく世界というのは、なんとも言えずに侘びしい。
おそらく、「世界の終わり」というのは、文明が終わっていくということだ。
TV、ラジオ、文芸本、漫画本、そういうものが段々減っていく。
生きていくことだけに必死になっていくからだ。
人間、余裕がなければ文化など生み出さない。
俺はこの世界に生まれてきてしまったわけだが、想像以上に、「世界」を看取るのは大変だ。
それとも、この「終わり」をまた石版にでも刻んでおけば、次の知的生命体がそれを解読してくれるだろうか?
そうでもして、未来があると思わないと、おそらく俺はまた畳の上で寝転がったまま夕暮れを迎えることになりそうだ。
――だから、旅に出ようと思う。
石版はさすがに重たい。ノートでもなんとかなるだろう。
スクーターは適当に燃料を拝借できるから、移動手段はそれだ。
俺は俺が生きることをあきらめられない。
俺は俺が生きていることを未来に残したい。
数年先死ぬことがわかっていても、アパートの一室の夕焼けだけを見て終わるなんて、冗談じゃないと、いま思ったのだ。
おそらく、俺は死ぬのが怖くて――
世界は終わる。
だったら、その分、世界をじっ立ち尽くしたまま看取るのではなく、どんなヤツだったかたくさん書いてやろうと思う。
――生きていきたくて仕方がないのだ。
準備を終えて(といっても、大した荷物ではないが)、とりあえず、DVD屋の店員に旅に出ることを伝えてみた。
店員は、「そうですか」と言い、バーコードを読み込む手を止めた。
「あなたは、進んでいけるんですね。留まったりしないで、前へ」
そして、ぎこちなく笑ってくれた。
俺以外に客も店員もいないみたいだから、久しぶりに笑ったのかも知れない。
コンビニで少し水を買い足して、俺は、旅に出る。
終わりがわかっていても、旅と言えるのだろうか?
終わりは俺の死だとして、それは幸せと言えるのだろうか?
俺はふと笑ってみた。
違うな。
過程を走り抜け、結論へたどり着くこと、すべてが旅なのだ。
俺は麦藁帽子をしっかりとかぶり直し、発進した。
この世界最後の夏は、きっと長くて暑い夏になるだろう。
旅に行く夏 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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