生きられないサワムラーの飛び膝蹴り

笹熊美月

第1話 プロローグ・インド

プロローグ


 インドに行きたい。

 みなさんはインドがどういう国か御存じですか? インドは「最も古くて新しい国」と呼ばれておりまして、現代では世界各国から注目せざるを得ない存在です。その理由を最初から説明しましょう。


 紀元前1800年頃にインダス文明が衰退すると、インドの地に肌の白い遊牧民が侵略して来ます。彼らは神への賛歌を始め、宗教を利用して自分たちの地位を固めたのです。


 そして紀元前6世紀頃にガンジス川流域の覇権争いも収まると、インドにアレクサンドロス大王が攻撃を仕掛けてきます。大王自体は撤退したものの、これによりインダス川流域には複数のギリシア系政権が成立することになりました。


 このままインドがギリシア人に乗っ取られてしまう不安の中、身分の低いチャンドラグプタという人物が立ち上がり、当時の王朝を打倒して新しくマウリヤ朝を創設します。


 その後も王朝が栄えたり滅んだりを繰り返し、インド史上最大のイスラム国家である、ムガル帝国が1526年に建国されました。



 ところが、1764年にイギリスは北インドの植民地支配を開始しました。ムガル帝国は貿易により貨幣経済が広まり、金融業は栄えて簿記も発達するものの、資本主義経済を成立させることができません。またイギリスから機械製綿織物がインドへ流入し、インドの伝統的な綿織物産業は破壊されます。


 こうした要因から1857年、第一次インド独立戦争が起こり、イギリスはこれを徹底的に鎮圧する強硬手段に出ます。1858年にイギリスはムガル帝国を完全に滅ぼし、インドを直接統治下におきました。


 しかし、民族資本家の形成に伴い反英強硬派が台頭したことや、イスラム教徒とヒンドゥー教徒を住み分けるベンガル分割令への憤りなどから、インド人の反英機運が一層強まっていきます。



 その一方でドイツとの対立が深まってきたイギリスは妥協し、ベンガル分割令は取り消すことで一時的にインドは治まります。ですが、第一次世界大戦で自治の約束を信じて、イギリスに戦争協力したにもかかわらず裏切られたこともあり、インドではさらに民族運動が高揚しました。


 そしてマハトマ・ガンディーが登場し、今まで知識人主導であったインドの民族運動を、幅広く大衆運動にまで深化させていきました。ガンディーが主導した非暴力独立運動は、イギリスのインド支配を今まで以上に動揺させます。



 第二次世界大戦では、国民会議派から決裂した左派のチャンドラ・ボースが日本の援助によってインド国民軍を結成し、独立を目指す動きを強めました。そして終戦後の1947年に、インドは独立を果たします。


 しかし、それはイスラム教国家であるパキスタンとの分離独立としてでした。インド内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収拾されません。その上、お互いの教徒との融和を説き、分離独立に反対したガンディーは暗殺されてしまいました。


 それでも冷戦時代は中立非同盟を貫くのですが、相変わらずパキスタンとの対立は続いており、三度も領土を獲得するために戦争をした影響で、周囲の国と人種と宗教が滅茶苦茶に混ざり合うことになります。



 1990年代からは、インド人民党が勢力を伸ばし始め、アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー政権が誕生しました。ヴァージペーイー政権はアジア諸国との関係を重視し、中立非同盟とはいえ、アメリカ、イギリスとも友好な関係を築きます。


 また、1991年にインドで導入された経済自由化政策の直後に、IT革命が起きるというタイミングが絶妙に重なり、自国のソフトウェア産業育成を国家の新しい経済戦略の核としました。


 近年はIT産業や製造業を中心に経済成長を続けており、ロシアやブラジルなどと共に、BRICsの一角として注目を集める存在となっています。



× ×


 ……などなど、インドが「最も古くて新しい国」と呼ばれる所以の説明は以上となります。お分かりいただけましたでしょうか? それとも、途中で読むのを止めてしまいましたか? 飽きてしまうのも無理はありません。僕が述べたのはストーリーではなく、ただのプロットなのですから。


 実は僕自身、インドの歴史は全てインターネットから得た知識です。正しいかどうかも確かめる術はありません。序盤の伏線でも何でもありません。



 ですが、これだけの文章だけでも、読む人にとっては取っ掛かりを感じると思います。例えば、宗教問題、民族問題、格差社会、情報化社会など、これらは現代で大きく取り上げられている事柄です。テーマを絞って本格的に論じようとすれば、いくらページ数があっても足りません。


 でも、そんなの興味ないでしょう? 自分のことで一杯いっぱいでしょう? 僕は自分に関係ないからと言って、それ以外のことを深く考えようとしない人が嫌いです。そういう人に限って、不平不満の減らず口をたたきます。もう救いようがありません。



 だって救おうにも、僕から全てを教えることはできません。十の内、一つだけしか伝えられないのです。それは相手が理解できないからではなく、理解するためには自分の力で調べないといけないからです。


 それなのに、ただ表面的な情報だけを受け取って退屈とは、人として好奇心の一欠けらもありませんね。だって自分に関係ないわけがないでしょう? 宗教も、民族も、格差も、情報も、現代社会で生きるのなら必ず自分の身に降りかかる問題だとは思いませんか? あれも駄目、これも駄目では、人として一向に成長できません。


 つまらないのなら、自分で面白くしましょうよ。勝手に決めつけないでくださいよ。僕は相手と語り合う言葉を持っています。ですから僕の物語を読んでください。


 それは十の内の一つにしかすぎませんが、僕は世界を変えるつもりで書いています。



一章


 ほんの僅かに開いた窓から風が流れ込み、黄ばんだカーテンを柔らかく揺らしている。穏やかな日光が教室内に差し、思わず昼食後の眠気を誘った。


 だけど眠れないのは、そこら中に耳障りな喧騒が飛び交っているからだろう。今の時間は中学三年の春に行われる修学旅行について、自由時間に行動する班を決めている真っ最中であり、どいつもこいつも自分の居場所を確保したいがために必死である。


 学級委員長が静かにしろと声を張り上げようと、誰も聞く耳を持とうとはしない。それを横で見ているクラス担任は事態を収拾しようとはせず、班決めくらいは彼の裁量に任せようとしているらしい。


 ああ、外に出たい。こんなにも気持ちの良い天気なのに、何が悲しくて自己顕示欲が渦巻く空間に押し込まれなければいけないのか。早く大人になって自由になり、インドの地を放浪したいものだ。


「おい、村西。話し合いに参加しないと部屋割り決まっちまうぞ」


 一人でインドに思いを馳せていると、それなりに親しい後藤が俺に忠告してきた。教壇に立つ学級委員長は困り果てて黙り込んでいるというのに、一体いつの間に部屋割りの話へ移行していたのか。


「……班決めじゃないの?」

「それは先に女子が決めてから。そうしないと面倒なことになる」


 自由行動の班は男女三人ずつであり、一グループ計六人になる。このクラスには合計で二十九人の生徒が在籍しているから、一グループだけ一人足りない計算だ。


「僕はどっちでもいいっす」

「えー。俺、高橋のグループに入っちまったよ」

「あっ、そうですか。どうぞ、ご達者で」


 どうせ、いじられキャラとして誘われただけだろう。男子は女子より大雑把なのが利点ではあるが、それでも二分割されるとなると立場の危機管理能力が働く。俺は別に高橋と同じ部屋で寝たくない。息苦しそうだし。


「そんなこと言うなら俺の班に入れてやらねーからな」


 すげーどうでもいい。さっさと高橋の所へ行ってしまえと思うのだが、後藤は俺の席から離れようとしない。ある方向を見つめている。


「三年になってから、初めて夏澤が登校してきたな」


 後藤が見ていたのは夏澤夕景(なつさわゆうけい)という名の女生徒だった。前髪の長い陰気な女子である。わざわざ後藤が彼女を話題に出すということは、ただ暇を潰したいだけのようだ。それよりも俺にとっては聞き流せないことがあった。


「いやいやいや、ちょくちょく学校に来てたよ」

「そうだっけ?」

「そうでしょ」


 夏澤は学校を休みがちではあるが、それでも地味に登校してきてはいた。決して明るくはなくとも、協調性に欠けているわけでもない。やる気がないように見えるだけで、やらなければいけないことは真面目にやっている……と思う。


「だって影が薄いからさ。今まで気が付かなかったよ」


ここは笑い所なのか? 後藤と話しているだけ時間の無駄だな。俺は席を立ち、夏澤が座っている席へ向かった。


「おい、どこ行くんだよ?」


 後藤が後を追う気配はない。夏澤の前の席が空いていたため、そこの椅子にどっしりと腰を下ろした。


「夏澤さん、コンバンワ」


 まずは満点のスマイルで挨拶をする。夏澤さんとは二年生の頃から同じクラスだが、正直に言って会話した回数は少ない。それらは取り留めもない事務的な内容だったため、こうして腰を据えて話せば新たな一面が見つかるはずだ。


「誰だっけ?」


 笑顔を崩すな俺! 俺は今まで人から馬鹿にされようが、持ち前の愛想笑いで修羅場を潜り抜けてきたという自負がある。


 気を取り直して、夏澤のド忘れすらギャグの前フリに虚飾する自己紹介から入った。


「誰って、僕ですよ僕! 他人の白髪を抜かせたら右に出る者はいない天道中のムードメーカー、またの名を旋風の青き初期衝動ブギーこと、村西準(むらにしじゅん)です! あなたの白髪も選り分けて抜きましょうか!」

「何か用?」


 渾身のギャグは滑りに滑った。このままナンパするチャラ男を演じるとキレられそうなので、ふざけず単刀直入に切り出す。


「僕と一緒の班になってください」

「私に気があるの?」


 その瞬間、頭の中で警報が鳴り響いた。学校生活で長い期間を孤立して過ごしていたせいか、すっかり自意識過剰の勘違い女に成長していたらしい。これ以上近づいては身に危険が及ぶため、咄嗟にセクハラという名のバリアーを張った。


「僕と一緒の墓に入ってください」

「今、私のこと自意識過剰だと思ったでしょ?」

「キスしたいっす」


 その口を塞いで窒息死させたい。


「ぶっちぎりでイカレタ女だと思ったでしょ?」


 そこまでは思ってねぇよ。とはいえ、いい加減に俺も夏澤なりのギャグだと気付いたため、ここら辺で潔く降参する。


「すみません。もう、その辺で許してください。お願いします」


 頭がおかしい奴だと思われれば引いてくれると思ったが、あろうことか夏澤はボケに乗っかってきた。俺が負けを認めたことで彼女は満足し、警戒心を緩めて話くらいは聞いてやっても良いという態度を示す。


「えーと、確か旋風の青き初期衝動ブギーだっけ?」

「いや、それ全部が僕の名前じゃないですから!」


 盛大に滑った二つ名の自己紹介で、そこまでネタを引っ張られるとは思いもしなかった……。こいつ性格悪いな……。


「そうなの? じゃ、ブギーで」

「そこ略すの⁉ 普通は本名からじゃない⁉」

「ブギーから班に誘ってくれなくても、どうせ余り者同士で組むことになるよ」


 うわ、本当にブギーを無理やり押し出して来たよ。このあだ名が定着するかどうかはともかく、なんとかして夏澤を乗り気にせねば。


「そんな寂しいこと言わないで、せっかくなんだから楽しみましょうよ」

「私そういう意識高いの苦手」

「いやいやいや、こういうのは自分で楽しくしないと」

「例えば?」


 えーと、確か修学旅行は京都だったな。京都には歴史的建造物や、食と芸能などの伝統文化や、学生の街として活気ある側面もあるし、はたまたロックの聖地とも呼ばれている。その中で楽しむのなら、やはり体験することが一番だ。


「京都なら舞子になるとか」

「ブギーが舞子になるの?」

「誰が喜ぶんすか⁉ どうせなら夏澤さんが舞子になってくださいよ!」

「さっき影が薄いとか言われてたしなぁ」


 クっ、さっきの後藤との会話を聞かれていたか……。だが、夏澤さんは会話してみると意外に面白いし、その地味すぎる外見だけ変えれば割と人気が出そうだ。俺自身、おめかしした夏澤さんを一目拝みたいため、なんとかしてプロデュースしてやりたい。


「だからこそ、舞子になって男子を見返してやりましょう」

「うーん、魅力を感じない。どうでもいい」


 このクソ女……。その自信はどこから湧いてくるんだ? 話の進展しなさに気を揉んでしまいそうになったが、ここは我慢して平常心を保つ。


「そんなこと言わずに。何か新しい道に目覚めるかもしれませんよ?」

「今、お高くとまってんじゃねぇよブス、って思ったでしょ?」


 図星を突かれて硬直したことを悟られないよう、笑いながら軽く受け流す。


「そんな酷い奴いませんって! 優しい世界ですから!」

「でも、お前みたいなブスは日常系の萌えアニメには絶対に登場しないけどな、って思ったでしょ?」

「思ってねぇって言ってんだろ!」


 勢い余って大声を出してしまい、図らずして教室の喧騒を切り裂いてしまった。クラスメイトの視線が俺に集まる。


「あ、なんでもないです」


 ふぅ、危なかった……。瞬時に愛想笑いを浮かべて謝り、事無きを得る。

それにしても一体どのように思考したら、これほどまでの僻んだ思考に帰結するのだろう? 夏澤は臆する様子もなく会話を続けた。


「てか、舞子って可愛い?」

「元も子もないッ⁉」


 一連のやり取りは何だったのだろう。大きな声を出してまで付き合ったというのに、どっと疲れが出てしまった。ここは趣向を変えて、修学旅行に制限されない好きなフリートークをしてみよう。


「夏澤さんは行ってみたい場所とかあります?」

「誰もいない所かな」

「大自然の中で優雅に過ごすとか?」

「密室」


 予想の斜め上! あまりにも話が広がらない返答に対し、ハイテンションを保っていた俺もいい加減に苦言を呈す。


「あなたね、若い内から寂しいこと言ってると、そのまま寂しい大人になっちゃいますよ。少しは見聞を広めなきゃ」

「それじゃブギーはどこに行きたいの? 人に駄目だしするくらいだし、さぞかし立派な場所なのでしょうね」


 何か皮肉を言い始めたが、安い挑発には乗らない。のらりくらりと受け流す。


「そりゃあ立派ですよ。どこだと思います?」

「監獄?」

「自首しろってか? そりゃあ潔いだろうよ!」


 さっきから夏澤が自由にボケまくるせいで、一向に俺の話が進まない。ボケに負けじと応酬するため、強引にトークの舵を取る。


「僕が行きたいのはね、インドですよ、インド」

「インド? なんでそんな汚い国にわざわざ行きたがるの?」

「汚いって……。あなたねぇ、現代のインドがどれほど進んだ社会か知ってます? 日本みたいな先進国に引けを取らないどころか、今や追い抜かれてますよ」

「ジョジョの知識しかないからなー」


 その様子だと、インドのトイレは豚に尻の穴を舐められる、くらいの貧困な印象しか持ち合わせていないらしい。インドの名誉挽回が俺の手にかかっていると思うと、なんとしてでもインドの魅力を伝えねばなるまい。


「ちょっと、ちょっとぉ。漫画を読んだくらいで、行ってもないのに偏見で決めつけるのは早計ですって。BRICsは御存知ですか?」

「ブリッツ? 何それラモーンズ?」

「それは『Blitzkrieg Bop』でしょうが。僕が言っているのはブリックスですよ。ブラジル、ロシア、インド、チャイナの頭文字をとって、B・R・I・Cでブリックス。これらの国は2000年代以降に著しい経済発展を遂げているんですよ」

「で、それが何?」

「これらの国が経済成長により注目されているのは、一重に広大な土地から採掘できる豊富な資源が主なる理由ですが、その中でもインドは一味違うんですよ。インドは世界最先端の情報工科学に精通しているんです」

「へー。立派なのは分かったけど、行って何がしたいの?」


 そんなのは決まっている。もちろん……あれ、おかしいぞ? あれだけインド好きを語っておいて、今更答えられないわけがないじゃないか。


 必死に脳内の記憶を探ろうと、いつものように回避しようと足掻こうと、インドへ行ってまで何かやりたいことを考えても、何も思い浮かばなかった。


「……何って、勉強とか?」

「何のために?」

「い、いろいろっすよ、いろいろ!」


 俺の苦し紛れな返答に対し、夏澤は呆れたように溜息を吐く。


「あのね、ブギー。それインドに行きたいって言わない」


 やめろ、その先を言うな。少し話をしたからと言って、むやみに俺の本質を傷つけようとするな。このキャラを演じている仮面が剥がれてしまえば、俺はこの教室にいられなくなる。後に戻れなくなる。


「それはね、どこかに行ってしまいたいだけ」


 授業の終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。早く帰宅したい生徒たちは途端に雑談を中止し、まるで訓練された軍隊のように素早く席に戻る。俺も夏澤との会話を切り上げ、無言のまま帰り支度を始めた。


 あのタイミングでチャイムが鳴らなければ、どこにも逃げ場所がなかったことに戦慄する。おかげで命拾いした。

 それにしても、序盤から核心を突きすぎじゃないか?


× ×


 帰りのホームルームが終わり、清掃の時間になった。生徒たちは椅子を机の上に置き、その机を教室の後ろの方まで運んでいる。


 ふと、さりげなさを装い、埃が立ち上がる教室の中で夏澤の姿を確認しようとしたが、どこにも彼女の姿は見当たらなかった。彼女は一番後ろの席なので、早々に机を片付けて帰宅したらしい。


 ちなみに、今週の掃除当番は俺の班だ。夏澤のように速攻で帰ることは許されない。ロッカーに収納されている箒を人数分だけ取り出し、それを同じ班のメンバーに手渡しながら、夏澤と会話したことを振り返ってみた。


 夏澤は要注意人物だな。話してみれば思っていたよりユーモアのある女子だったが、謎に包まれすぎていて自分が火傷するところだった。なるべく今後は関わらないように、細心の注意を払おう。


「自分どしたん?」


 などと決意を固めていながら、俺は上の空だったらしい。気づいたら同級生の釈迦戸永介(しゃかどえいすけ)に心配されていた。


「おっ! 宇宙人の襲来だ!」

「誰が火星人やねん。この頭のこと言っとるんやったらシバくで?」


 釈迦戸は小学校の頃に関西から引っ越してきており、中学生になっても関西弁なのは変わらないままだった。そしてなぜかスキンヘッド。


「ここは極楽浄土ですか⁉」

「修行僧でもあらへんわ! って、自分で言うとるがな!」

「早くパンチパーマになれるといいね」

「別に仏さん目指しとらんわ! 勝手に悟り開かせんなや! ……もうええから、はよ机運んどけアホ」


 即興の漫才を終わらせ、釈迦戸は教室の掃除に戻った。小学生の頃から釈迦戸のことは知っていたが、実は同じクラスになったのは今年度が初めてだったりする。このようにコミュニケーションをとったのは、夏澤と同様に新鮮な経験だった。


 本当は面白い奴なのかもしれない、という感想を抱きながら俺も清掃に戻ろうとすると、今度は後藤が話しかけてきた。


「お前、よくアイツと普通に喋れるな……」


 釈迦戸の外見は身長が高いことから威圧的であり、褐色の肌が目つきの悪い強面さを強調していた。また、関西弁であることが態度の悪さを勘違いさせている。その上スキンヘッドでは、後藤のような第一印象を受けても仕方がない。


「別に普通っしょ?」


 俺は自分が自分で自分を演じる仮面を被っていることを自覚しているため、なるべく外見だけでは人を判断しないように心掛けている。努力目標みたいなものだが、それを後藤に説明してやる義理は無い。


「何されるか分かったもんじゃねぇよ」

「ハハ……」

「ちょっと、アンタら! 教室の真ん中でボーっと、突っ立って無駄話してる暇があんだったらね、口よりも手を動かしな!」


 乾いた笑いを発していると、同じクラスの女子である国府台クロエ(こうのだいくろえ)に注意された。ハーフの金髪碧眼に江戸っ子気質と言う、なんともアンバランスな外見と性格をしている。


「へいへい。おっかねぇでやんの」


 後藤は悪態をつきながら、すごすごと掃除を再開した。

 俺も親しくない夏澤には自分から話しかけといてなんだが、キラキラした女子は苦手であるため、さりげなく自然を装って目立たないように机を運ぼうとする。しかし、目ざとい国府台に呼び止められた。


「あ、それと村西。これ、ゴミ捨てに行ってきな。いいね?」


 冗談ではない。外のダストボックスまでゴミ捨てなどに行こうものなら、一人だけ遅れて教室に取り残されてしまう。咄嗟の機転で言い訳する。


「うっ、末っ子の送り迎えが……」

「もうとっくに小学生だろうが! ネタは上がってんだよ!」


 そういえば、俺の弟と国府台の弟は友達だったっけ……? 何度か家に金髪っぽいのが遊びに来ていた気がする。クソ、これだから地元の狭いネットワークは嫌いなんだ。


「あ、歯医者を予約してたんだった!」


 我ながら妙案である。これならば病人と言う罪悪感を仰ぎつつ、ゴミ捨てを回避できると思いきや、国府台には通用しなかった。


「なんだってぇ? アンタら男子が食っちゃべっている間に、アタシら女子たちゃ掃き掃除を終わらせたんだ。男なら口答えするんじゃないよ!」

「ハイハイ。ハイは一回」

「自分で言うな!」


 江戸っ子ぶっているくせに、吉本新喜劇は毎週欠かさずチェックしているらしい。仕方なく中身の入ったゴミ袋を持ち、渋々と怠さを見せつけるように教室を出る。


「……おかしなやっちゃな」


 教室を出る間際に釈迦戸の呟きが聞こえた。これを機に仲良くなれたかもしれないのに、国府台のせいで機会が失われてしまったな。


 大体、国府台は外見が目立つ上に気が強いから、どうにも気後れしてしまう。小学生の頃から一緒にバスケットボールを練習してきた経験上、あいつは口よりも先に手が出るタイプの女だ。とはいえ、男勝りな部分にも年相応な乙女心も持ち合わせているわけであり、女友達として接するには難しい……。


 ああ、こんなことを思い出しても憂鬱になるだけだ。さっさとゴミをダストボックスに放り投げ、そそくさと教室に戻ろうと扉を開けると、今まさに会いたくなかった国府台が机の上に座って待ち構えていた。


「よう、待ちくたびれたよ」


 女子にしては高い身長だけあり、机の上に座るだけでスラっとした足の長さが強調される。新入生の頃には膝下まであったスカートも、今ではすっかり短くなっているようだ。ハイソックスとの間からチラリと露出している膝小僧を見すぎないように、意識しながら俺は努めて平常心に質問した。


「……何か用ですかね?」


 俺がゴミを捨てている間に、掃除をしていたクラスの連中は下校してしまった。本来は国府台も部活があるはずなのだが、俺が来るのを待ってまで話したい事があるとすれば、一つしか思い浮かばない。


「村西、バスケはどうするのさ?」


 やはり部活のことか。国府台とはミニバスの頃から切磋琢磨し合った仲のため、数少ない思い出を共有できる知り合いとして動向が気になるのは分からないでもない。

しかし、幼馴染と呼べるほど親しいわけではなかったし、鬼気迫る雰囲気で問い詰められるとは思っていなかった。

 怒られる理由が不明なので、適当に当たり障りない返答でお茶を濁そう。


「今度の大会で全国制覇を目指すため、日々精進している所存であります」

「よくも抜け抜けと、そんな軽口が叩けるもんだね。今年に入ってから一度も練習に参加してないくせに、アンタは何がしたいんだ?」


 逃げたいけど、逃げられない……。見つめる国府台の澄んだ碧眼が俺を捕らえ、後ろめたいことを見透かしている気がした。いや、俺は誰にも迷惑をかけてはいないし、ましてや心配されることでもないと考え直し、彼女と対等に話すため強気に出る。


「まぁ、それなりに? 今のところ優先したいのは、いつものようにヌルヌルっと、なるべく穏便にやり過ごす感じですかねぇ?」

「いじけたガキみたいなこと言いやがって……。まさか、これまでの練習を全部ふいにするつもりか?」

「いやー、バスケが全てってわけじゃないですし、他の道を模索したいじゃない? いくらなんでも大袈裟っすよ」

「アンタが他にやりたいことあるならそれでも別にいいよ。でも、違うだろ? 家に帰っても無為に時間を浪費しているだけじゃないか」


 どうして家での俺を知っているんだ、とは口が裂けても訊けない。そのことを尋ねてしまえば、国府台の言っていることを認めたことになってしまう。ここは真実を煙に巻いて、俺が不利にならないよう論点をズラそう。


「仮にそうだとして、国府台さんには関係ないですよね? 特に親しいわけでもないのに、どうしてデリケートな部分に触れるのか、僕には理解できそうにないっす」

「……あたしは、このままアンタが腐っていく姿を見たくないだけさ」


 ようやく絞り出したような声だった。それなのに苦悶の表情を浮かべるわけでもなく、真正面から俺のことを見据えている。力強い碧眼の視線は俺の心臓を射抜き、高く積み重ねてきた壁は決壊しそうだ。


 しかし、今の俺には国府台の期待に応えられるような、立派な答えを持ち合わせてはいなかった。だからこそ、俺は彼女から嫌われたい。


「国府台さんは清廉潔白なんでしょうけどね、十人十色という四文字熟語があるように、人の生き方は人の数だけあるんすよ。押し付けがましい個人の考えは、はっきり言ってウザがられるだけじゃないですかね?」

「それは妥協だよ」


 もう泣きたい。俺は泣きたい。泣けるものなら泣きたい。この女の前で地面に這い蹲り、一切合切の感情を撒き散らして懺悔したい。


 まさか夏澤とは違う方向性で、塗り固めた仮面を剥がされるとは思いもしなかった。とはいえ、本当に泣くわけにはいかない。でも後で泣く。必死になって表情を取り繕うため、いつもの常套手段に出る。


「トイレに行ってきまーす!」


 国府台の視線から逃れるように目を背けながら、俺は手早く自分の荷物を担いだ。そして教室の扉を開けて廊下に出ると、その先には同じクラスの安瀬樹理(あんぜじゅり)が眼前に現れていた。


「きゃッ!」


 もはやブリーチし過ぎて茶髪がオレンジ色になっている髪色と、腰にまで届きそうなロングヘアーをツーサイドアップにし、校則なんぞクソ喰らえと言わんばかりの風体である彼女こそが、天道中のクイーンビーこと安瀬樹理だ。俺が最も苦手とするギャル系女子であり、できれば卒業しても関わり合いになりたくない人種である。


 そして今、俺は安瀬樹理と出会い頭に正面衝突する直前の状況に陥っている。彼女に目を付けられれば、後々の学校生活が面倒になることを瞬時に悟りながら、俺は自然の摂理に身を任せるしかないのだった。


「生きることに疲れるな!」


 ぶつかろうとする寸前に、国府台が俺の襟首を掴んで衝突を回避してくれた。なんとか助かったことに安堵するが、今度は首が締まって呼吸ができない。そのついでに、ちょっとカッコいい台詞は耳に入らなかったことにした。


「……っと、安瀬か」


 国府台は意図して俺を引き止めたわけではなかったようだ。廊下に安瀬の姿を確認し、バツの悪そうな顔をしている。


「きょ、教室で二人きりで、何やってたの⁉」


 安瀬の疑問は尤もだ。放課後の教室で男女が二人きりなど、甘すぎるシチュエーションに思春期の妄想が加速してしまう。


「アンタに関係ないよ。ほら、付いて来な」


 つっけんどんに跳ね返す国府台は、俺の襟首を掴んだまま廊下を歩こうとするが、それでもなお安瀬は食い下がった。


「か、関係ないって何さ!」


 しかし、それは負け犬の遠吠えにしかならず、国府台は悠然とした態度で無視を決め込む。引き摺られている俺は二人の関係に何があるのか知る由もなく、女同士のいざこざに巻き込まれないように口を噤むしかなかった。


 学校の上履きから靴に履き替えるため、ようやく下駄箱で解放された俺は謎の行動力を見せる国府台に質問する。


「あのー、これからどこへ?」

「釈迦戸を尾行する」

「なんで?」

「アイツもバスケ部だろ。早くしないと見失っちまうよ」


 ああ、そういうことか。俺以外にも似たような境遇の人に声をかけてたのね。それなら納得だわ。サバサバした気概のある国府台は面倒見がよく、後輩からの人気も高ければ教師からの人望も厚い。部活に熱心な彼女は、情けない男子バスケ部に対しても世話を焼きたくなってしまったのだろう。


 でも、そう考えると残念な気持ちになってくる。てっきり俺だけが特別だと勘違いし、落ち込んで段差に腰を下ろすと、ちょうど国府台も対面の段差に腰かけてスニーカーを履こうとしている最中だった。


 足が長いだけあり、膝を折り畳んだ姿勢は窮屈そうだが、いつもはスカートに隠れている太腿は素晴らしく官能的に見えた。ついこの前まではガサツな部分が目立っていたというのに、いつの間に健康的な色気を身に付けたのだろうか? 成長を感慨深く思っていると、国府台と目が合ってしまった。


「どこ見てんだよ!」


 即座に頭をブッ叩かれ、またもや首根っこを掴まれる。さっきから踏んだり蹴ったりな酷い目にばかり遭っているが、太腿を拝めただけで俺は寛容的な気分に浸ることができた。

 俺は国府台に引き摺られながら、下校する釈迦戸の後を追うのだった。


× ×


 清掃後も遠くへ行くことはなく、すぐに釈迦戸を通学路で見つけた。というか、そもそも釈迦戸を尾行しなければならない必要性を問う。


「家は知ってますよね?」


 釈迦戸家も俺の村西家も同じ、天道町の花見月商店街に属する一家だ。つまり、ご近所さんなのである。学校帰りに寄り道する生徒も多いことから、国府台が釈迦戸の家を知らないはずがない。


「釈迦戸もバスケ以外に熱中できることがあるなら構いやしないけど、そうじゃなくて暇を持て余してんだったら無理やり部活に強制参加させる」


 我が天道中学校では、生徒は強制的に部活へ入らされる決まりがある。その部活動が生徒数の都合上、体育会系しか存在しなかったがゆえに、釈迦戸は一番やる気の無さそうな男子バスケ部に籍を置いたのだろう。


 釈迦戸とは一年の頃から同じバスケ部に所属していたが、あいつは幽霊部員みたいなものだ。あの厳つい見た目だけあり、先生も先輩も彼を咎めるようなことはしなかった。


 身長が高くてフィジカルの強い釈迦戸が男子バスケ部のセンターをやってくれるのなら、大幅な戦力増加に繋がるとは思うが、今更になって心変わりして加入するとは考えにくい。それこそ、こんな電柱に隠れながら尾行するほどに無意味な行為だろう。


「おう、準。何やってんだ?」


 商店街の出身である俺と、金髪美女の国府台がいて目立たないはずがない。さっそくパチンコ帰りである俺の親父に声をかけられた。適当に誤魔化す。


「かくれんぼ」

「国府台の嬢ちゃんも一緒じゃねぇか。もしかしてデートか?」

「そんなんじゃないよ!」


 全く人の話を聞いていない。親父は人をからかうことを生き甲斐としているような人間である。いくら国府台が真っ赤になって否定しようと、親父の頭の中だけで話は進展してしまうのだった。


「か~~っ! 最近のガキはマセてんなぁ! 受験勉強でもしてろ!」


 なおも人をイラつかせる発言を繰り返す親父を無視し、俺たちは釈迦戸の尾行を再開したところ、ちょうど彼が自宅へ帰る現場を目撃する。


「これで証拠は掴んだね。さっさと乗り込むよ!」


 乗り込んだところで何ができるというのか? 大きな謎と不安を残しつつ、俺は国府台に腕を引っ張られる形で、釈迦戸の実家である定食屋へ入った。


「あら、いらっしゃい」

「こんにちは、オバちゃん」


 大衆食堂の「照屋」は昼と夜にしか営業しておらず、今は営業時間外だというのに釈迦戸母は快く出迎えてくれた。


「えらい別嬪さんが来た思うとったら、クロちゃんやないか。ちょうどええ時に来たなぁ。試作品食べてってくれへん?」


 俺は家族で出前を取ったりしているため、釈迦戸母と少なからず面識がある。おそらく国府台も家族と一緒に来店した経験があるのだろうが、今は主婦の井戸端会議に巻き込まれている場合ではない。


「いや、僕たち永介に用があって来たんですよー」

「そっちは準ちゃんやないのー。お茶漬け食うか?」


 早く出て行けということらしい。営業時間外とはいえ、久しぶりに来店したというのに辛辣な挨拶だ。いや、久しぶりだからか? 何はともあれ、俺もテンションを商店街の中高年チャンネルに合わせる。


「ひょっとして、お母さん京都の生まれですか? 育ちの良さが滲み出てますね!」

「冗談や、冗談。オバちゃんは生粋の大阪人や。あんまし無粋なこと言わんとって。もう準ちゃんには敵わんなぁ。ほれ、スウィーツでも食べていき」

「この商店街は話を聞かない大人ばっかりだなぁ!」


 定食屋兼居酒屋のくせにスウィーツなんか出すんじゃねぇ! 息子の釈迦戸永介に用があって来たというのに、これではおばちゃんの押しの強さに負けてしまいそうだ。


「ま、ええやん。厄介になっとこ」

「うつってる、うつってる」


 いつもの江戸っ子口調はどこへやら。長年の洗脳により国府台が関西弁に馴染みかけたその時、カウンターの奥から目的の釈迦戸永介が現れた。


「なんや騒がしい思っとったら、どうして自分らがおるん?」

「アンタに用があんだよ」

「ハァ? 自分が何かしたか?」


 いや、国府台さんよ、何もそこまで上から目線じゃなくてもいいんじゃないか? ほら、釈迦戸も厳戒体制に入っちゃったし、このままだと一触触発の雰囲気に……。


「あら、永介に用があったん? それなら最初に言ってくれればええやんかぁ!」


 なぜか釈迦戸母に勢いよく背中を叩かれた。堅苦しい空気を打開してくれたとはいえ、俺は意味の分からない痛みに悶絶する。


「いったぁ! これ本当にボケましたかね? 最初から言ってましたよ!」

「永介が友達を家に誘うなんてな、お母ちゃん信じられへんわ」

「やかましいわオカン! こっちのテーブル借りるで!」


 窓際にあった六人掛けの長机と椅子を借り、そこに三人とも腰かける。さっきから話の邪魔をする釈迦戸母がキッチンに入っていることを確認し、落ち着いたところで釈迦戸の方から話を切り出してきた。


「で、用って何や?」

「部活に参加しな」

「そんだけか?」

「それだけさ」


 どうやら国府台には相手を妥協させて説得するという、交渉術の才能が欠如しているらしい。みんなが俺のように姉御肌の気負いに押され、勢いに流されるまま尻に引かれるわけではないのだ。自分で言っていて悲しくなってきたぞ。


 ましてや、釈迦戸のような硬派ぶっている男児となれば、お互いに一筋縄ではいかないだろう。俺とは違い、正面衝突するのは避けられない。


「ハッ、くだらんわ。今更になって戻れるかい」

「今なら準も付いてくるよ」


 まるで魅力的な特典でないことは確かだ。そしてナチュラルに下の名前で呼ぶのは良いにしても、俺を出しに使うのは止めてくれ……。胃が痛くなりそう。


「いらんわ。大体、どの面下げて戻れ言うんじゃ」

「せっかく反省の意を示して坊主にしたんだからさぁ、自分に素直になっちまいなよ。これだから男ってのはさぁ……」

「自分の頭は元からや!」


 さっきのは国府台なりの冗談であり、釈迦戸もそれを分かっていて対応したのだろうが、まだ親しくないがゆえに距離感をつかめていないのが分かる。いい加減に話も脱線気味だし、俺が助け舟を出して収拾つけようとしたところ、思わぬ珍客が来店してきた。


 扉を開けて店内の注目を浴びたその人物とは、先に下校していたはずの夏澤夕景だった。彼女は無言で俺たちの隣にあるテーブルに座り、指をパチンと鳴らして一言。


「マスター、ブレンド一つ」

「そんなもんあるか!」


 釈迦戸が立ち上がってツッコミをする。この店が何屋かさえ分かっていない夏澤だったが、ちゃっかり釈迦戸母は注文を受け取っていた。


「はいよー」

「あるんかいッ!」


 親子漫才はさておき、俺は夏澤に店へ来た理由を訊く。


「なんで夏澤さんがここに?」


「青春が芽吹く開放的な風が流れる中で、麗らかな木漏れ日が穏やに降り注ぐ頃、その一方で憂鬱な雨の残り香に誘われて……ね」

「……いや、理由になってないし!」


 文学的な言い回しに少し聞き入ってしまったが、何も関係の無いクソどうでもいい情報だった。それなのに満足気な夏澤は俺たちのテーブルへ移動し、さりげなく会話に割り込もうとしてくる。


「で、何の話をしているの?」

「いくらなんでも入るには無理があるからね⁉ 話がややこしくなるだけだから早く帰ってくんないかな!」

「準の言う通りだよ。アンタには関係ない」


 敵にすると俺のヘタレスキルが発動して厄介極まりない相手となるが、味方にすると俺よりも男前すぎて頼もしい国府台さんだった。部外者を拒絶しようとする威圧的な態度の前に、夏澤も安瀬樹理のように引き下がってくれるのだろうか?


「じゃ修学旅行の話をしよう」


 ……という淡い希望は容易に打ち砕かれた。


「図々しいよ! 空気読めよ!」

「空気ばっかり読んでいると、自分が空気になっちゃうぞ?」

「うるせぇよ! 張り倒すぞ!」


 もはや嫌がらせとしか思えない夏澤のウザさに四苦八苦していると、同じくイラついているであろう国府台も話を終わらせようとする。


「修学旅行の話をしようにも、まだ班すら決まっちゃいないからねぇ。アンタには悪いけど、また今度にしな」

「それならこの四人で組もう」


 この女は何を考えているのか分からん……。俺が班に誘った時は散々渋っていたくせに、今度は自分からグループを形成しようとしている。

 あまりにも唐突すぎる誘いに釈迦戸は突っかかった。


「自分もかいな⁉ 勝手に決めんなや!」

「どうせ釈迦戸君は最後まで残って惨めな気持ちになるだけなんだから、ついでに入っといた方がお得だよ?」

「自分に言われとうないわ!」


 俺も人のことは言えんが、釈迦戸は夏澤に丸め込まれやすいタイプだな。その辺、国府台はしっかりしている。


「どっちにしろ、最低でも後一人は決めないといけないんだろ? なら人数が足りないし、ここで修学旅行の話をするわけにはいかないね」

「No problem」


 やけに発音の良い英語がイライラを加速させていくのを抑え、夏澤が指を鳴らした後に店へ入って来た人物を見て俺は言葉を失った。


 来店した客とは帰り際に会った安瀬樹理だったのだ。国府台に関係ないと念を押されてから後を追ってきたとは考えにくいのだが、彼女は妙に威風堂々とした面持ちで俺の隣の席へ座ると、メニューも見ずに手慣れた様子で注文した。


「マスター、いつもの」

「一見さんやろが!」

「はいよー」

「あるんかいッ!」


 嫌な予感がしていた天丼ネタはさておき、俺は安瀬に店へ来た理由を訊く。


「どうしてここに?」


 数拍の間を置いた後に、伏し目がちになっていた安瀬は意を決したように喋り始めた。


「君が為、捨つる命は惜しまねど、心にかかる花は桜木」


 夏澤の二番煎じにも劣る寒いギャグの反応に困った俺たちは、テーブルの上で身を寄せ合うように緊急会議を開いた。


「急に短歌とか詠み始めてるよ。頭おかしくなった?」

「これ国府台さんのせいっすよ。良い精神病院とか知りません?」

「なんでアタシなのさ。連帯責任だろ」

「おい、変な客を招き入れんなや」


 わざと安瀬にも聞こえるような声量で会話していると、輪の中へ入れない彼女は泣きそうな顔でテーブルを叩く。


「ちょっと! 同じテーブルなのにコソコソ内緒話しないでくれる⁉」

「ひぃ! こっち見てる!」

「な・つ・さ・わぁ~~っ!」


 どのような経緯でそうなったのかは知らないが、二人の反応から推測するに安瀬は夏澤に唆されて痛いギャグを行ったようだ。見事に夏澤の引き立て役になってしまった彼女に対し、俺の苦手なギャルであっても同情する。


「えーっと、安瀬さんも話があって来たんすよね?」

「…………いや、無いけど」

「無いの⁉」


 それじゃ一体、あの体を張った寒いギャグは何だったのだろうか? 絶対に何かしらの理由があるはずなのだが、安瀬は頑なに突っぱねる。


「うるさいっての! 別にいいじゃん!」


 いきなり激昂する安瀬に怯んだ俺は、そこから深く追及することを諦めた。理不尽なキレ方に内心で傷ついている俺を尻目に、夏澤はマイペースに話を進める。


「まぁ、何にせよ、これで班の人数も規定に達したね」

「え、何の話?」


 どうやら夏澤は、途中参加した安瀬のことも班に組み込みたいらしい。まだ状況を呑み込めていない安瀬に対し、国府台は皮肉を言う。


「アンタら四人グループのせいで横着してた修学旅行の班決めだってさ。確かにこれなら丸く収まるね」


 班決めが難航していた理由は、安瀬を含む四人の上位グループが一緒の班になりたがったからである。それでも男子二人の班に入ればいいのだが、学校側の指示で男女比を均等にしなければいけないため、どうしても女子四人の内の誰かが妥協しなければいけない。


「それは他の三人にも相談してみないとなー」


 安瀬の煮え切らない返答に、国府台の額に青筋が浮かぶ。国府台もクラス内では女子四人といる事が多いのだが、争いの種を消すために自らグループから離脱したのだ。暗にお前もそうしろという意図が伝わらない以上、彼女は早々に話を切り替えた。


「また話は振り出しに戻ったね。夏澤もいい?」


 有無を言わさぬ気迫で確認し、夏澤が首を縦に振った時だった。


「はい、特大パフェお待ちどう!」


 釈迦戸母が巨大な器に盛られたスウィーツなるものを運び、テーブルの真ん中にドンと置いたのである。その圧倒的な質量に俺たちは一人残らず慄いた。


「何やコレぇ⁉」

「パフェ言うてるやろハゲ」

「ハゲ言うなババァ!」


 リアクション芸人さながらの反応を見せる息子を置いて、釈迦戸母は一人ひとりに飲み物を配る。


「黒髪の嬢ちゃんはブレンドコーヒーで、茶髪っぽい嬢ちゃんはレモンティーな。後は茶でも冷めん内に飲んどき」


 夏澤と安瀬に受けた注文には律儀に応えるくせに、大きく余計なものが追加されている。そのことについて国府台が質問した。


「パフェなんて頼んでないよ?」

「だから試作品や、試作品。昼と夜の空いた時間で新しく喫茶店を開こ思うてな。君らには練習台になってもらうで」


 いやいやいや、親切な厚意はありがたいが、よりによって男女五人のメンバーで一つのパフェを食べるなんて、思春期の中学生にはハードルが高すぎる。そのような俺たちの想いとは対照的に、釈迦戸母の機嫌は良い。


「まさかウチの息子が女の子に囲まれる日が来るなんてなぁ、お母ちゃん嬉しくて泣いてしまいそうやわ」

「あれ? お母さん僕のこと見えてますか?」


 パフェは取り皿で分けて食べるとして、これから辛気臭い部活動の話をする雰囲気ではなくなってしまった。

 意外と美味かったパフェを平らげ、今日のところは解散となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る