陰謀、彼が知らないこと。彼が知らなくていいこと(後編)

 ひめちゃんという人間は昔から人の話を聞かない脳みそニワトリな女の子でした。

 三歩歩けばすぐ忘れる鳥頭。

 ひめちゃんの『分かった』とか『なるほど』はだいたい分かってないパターンですから。

 その事を失念していたのは美夜子の落ち度なのかもしれません。

 自重しろって言ったのに……何やらかしてくれてるんだ、あの阿婆擦れ!

 そんなことを心の中で愚痴りながら美夜子は一心不乱に自転車を走らせました。

 心臓が激しく鼓動して息が切れそうになりました。

 美夜子は生まれ付き運動が苦手な運動音痴ですから。

 激しい運動は極力控えるようにと柏崎先生から釘を刺されたばかりなのに。

 何でこんな事をしているんだろうと自分でも思います。

 こういうのは青春と呼ぶのでしょうか。

 自分でもよく分かりません。


 結果から言って美夜子は間に合いませんでした。

 ひめちゃんと伊織ちゃんの接触を妨害する事に関しては。

 ですが、ある意味では間に合いました。

 ギリギリですけど、わざわざ自転車を借りてまで足を運んだ甲斐はあったみたいです。

 時間が少し経ち、およそ七時二十分頃。

 駅前に向かう最中に明るい色の茶髪と漆黒のタイツが連なって海浜公園に向かうのを美夜子は目撃しました。

 雨の中、傘もささずに歩く二人の女子高生。その異様な光景が暗い夜道でもハッキリと見えました。

 まるで見つけて欲しいと言わんばかりに。二人の姿が嫌に際立っていて完全に周囲から浮いていました。

 向かう場所が分かっていたので美夜子は自転車を生かして先回りを決行しました。

 慣れ親しんだ地元ですし。地の利はこちらにあると思います。

 美夜子は“かくれんぼ”が得意ですから。

 目的地に着いた後、自転車を邪魔にならない場所に停めます。

 呼吸を整え、息をひそめて。闇に紛れて、目を凝らして。

 獲物を待ち構える獅子ライオンの如く、美夜子は二人が来るのを待ちました。

 この場所、タコの滑り台の中に隠れて。

 体感にして三分弱くらいで二人はここに到着しました。

 二人のブラウスはくっきりと透けていて髪はぺったりと顔に張り付いていました。

 当然ですけど二人ともずぶ濡れでした。

「……話したい事って何かな?」

 話の口火を切ったのは伊織ちゃんの方でした。

「はっ? 今更そんなこと聞かないでよ。言わなくても、それくらい分かるでしょ?」

 声のトーンが普段よりも低いひめちゃん。顔を見なくてもブチ切れているのがよく分かります。

 美夜子はうっすらと場の空気が張り詰める感覚を覚えました。

 遠目なので二人の表情はよく見えませんでした。

 ですが──。

「アンタなんでしょ!? あたしのこといじめて大和に罪をなすり付けたの! アンタなんだよね!!!」

 声質と会話の内容で二人の仲が険悪なのは嫌でも分かりました。

 控え目に言っても修羅場の真っ只中でした。

「……今更だよ、ひめちゃん」

 伊織ちゃんは。

「どうして今頃になって『それ』が出て来たのかな? いくらなんでもそれは遅すぎるよ」

 冷淡で、それでいて怒気を孕んだ冷たい声で静かにそう言いました。

「アンタは!!!」

 ガシッと、伊織ちゃんの腕に掴みかかるひめちゃん。伊織ちゃんが引き寄せられて二人の影が重なりました。

「ねぇ、なんで否定しないの? 自分が犯人だって認めてるの!? どうなのよ!?」

 しくもひめちゃんは美夜子が知りたかった情報を伊織ちゃんに問い質していました。

「ハッキリ答えなさいよ伊織!!」

 人気がないのを良いことに胸ぐらを掴んで怒鳴り散らすひめちゃん。やってることが完全に不良ヤンキーの所業でした。美夜子だったら暴行罪で告訴するレベルの乱暴振りでした。

「“ボク”が違うって言ったら、ひめちゃんはそれを信じるの? 今のひめちゃんからはとてもそういう風には思えないけど」

 美夜子はこの時に一種の既視感を覚えました。

 既視感というより懐かしさの方が近いでしょうか。

 この二人の口喧嘩、久しぶりに見た、と。

 ひめちゃんがギャーギャー騒いで伊織ちゃんがネチネチと正論を吐き続けるこの感じ。最後に見たのはいつの時だったでしょう。

「ふざけないで質問に答えなさいよ。アンタのその周りくどい話し方、昔からイライラして仕方なかったのよ」

 それに関しては美夜子も全面的に同意します。伊織ちゃんって口論になると異常にムカつく喋り方しますからね。ホントなんででしょうね?

「ボクが犯人かどうかなんてもうさして重要じゃないんだよ。“問題”はそこじゃないんだから」

 嫌味っぽく伊織ちゃんは言います。

「とりあえずさ、掴んでる手を離してよ。人目がないとはいえ流石にそれは人としてどうかと思うよ?」

 余裕を感じさせる伊織ちゃんの言動。それが余計にひめちゃんの怒りを煽る形になりました。

「ふざけんなっ!! バカ伊織!!」

 バシャリ、と。

「…………っ」

 ひめちゃんに突き飛ばされた伊織ちゃんは公園の芝生に尻餅をつきました。それはもう盛大に。

「……やれやれだよ。口で勝てないとすぐそうやって暴力に走るところ、どこかの誰かさんとそっくりだよ」

 尻餅から立ち上がる伊織ちゃん。

 突き飛ばされたのにも関わらず、伊織ちゃんの言葉には確かな余裕が感じられました。

「は? アンタだって昔はあたしに暴力振るってたでしょ? なに人のこと棚に上げてんのよ」

「暴力振るったのは認めるんだ?」

「…………っ」

 二人の間にバチバチと火花が飛び散っている気がしました。

 一触即発で取っ組み合いが始まる予感。

 伊織ちゃんもそうですけど、シャイニー海賊団の女子メンバーって割と肝がわってますよね。

 血の気の多い武闘派と言いますか。

 シャイニー海賊団の良心である美夜子にはとても真似できない喧嘩ですよ。あー悪女って怖い怖い。

「……ああ、そうか。もしかして、話し合いじゃなくて八つ当たりにでも来たのかな?」

 例えばさ、と伊織ちゃんは言います。

「大和に愛想尽かされた、とか?」

 執拗に煽られたせいでひめちゃんの怒りは最高潮に達していました。

「……このっ!!」

 ひめちゃんは再び伊織ちゃんに掴みかかります。

 しかし。

「甘いよ」

「っ!?」

 その手は伊織ちゃんに届かず、今度は逆にひめちゃんが汚い地面に倒れ込む形になりました。

「ごめんね。二回も黙ってやられてあげるほどボクは人間出来てないから」

 伊織ちゃんは冷めた言動で地面に這いつくばるひめちゃんを見下ろしていました。

 何が起こったのかは良く分かりませんが、おそらく伊織ちゃんが柔術の一種でひめちゃんの腕を掴んでそのまま後ろに転ばせたんだと思います。

 伊織ちゃんはとある理由というか家庭事情で女子に不似合いなレベルの護身術を体得しています。

 お爺ちゃんは剣道教室の師範代。お父さんは柔道が得意な警察官。亡くなったお母さんも婦警で生前は空手を嗜んでいたとか。

 無理やり教えられたのか自ら学んだのかは存じません。ですが伊織ちゃんが『普通の女子』より圧倒的に戦闘能力が高いのは確かです。

 もしかしたら伊織ちゃんは霊長類最強の女子高生なのかもしれません。まぁ、それは流石に誇大表現なんですけど。

「……くっ」

 ひめちゃんは微かなうめき声を漏らしてゆっくりと立ち上がりました。

「……少しは頭が冷えたかな?」

 伊織ちゃんの言葉の通り、先程に比べたら幾分いくぶんか大人しくなった雰囲気のひめちゃん。

 大人しくなったというより、この場合は『心を折られた』という表現が正しいのかもしれません。

「……なんでよ」

 ひめちゃんの声は微かに震えていました。

「なんで、みんなそろってあたしの邪魔するの……あたし、何も悪いことしてないじゃない!」

 ひめちゃんのその言動には美夜子も少々思うところはありますけど。

「マジ空気読みなさいよ。あたしと大和が両想いなの……近くで見てれば分かるじゃない」

 まぁ、御本人からすればそういう風に感じるんでしょう。

「返してよ! あたしと大和が一緒に過ごすはずだった楽しい時間。全部“あんた達”のせいで無くなったんだから!」

 自分の恋路を他人に邪魔された。ひめちゃんはそう言いたいのでしょう。

 言いたい事は分かります。分かりますけど。

 それはあくまでも“ひめちゃんの視点”から見える、見ているビジョンなんです。

 視点が変われば見解も変わる。

 立場が変われば物事の捉え方も変わる。

 美夜子には……どうしてもひめちゃんが『被害者』だとは思えないんです。

 ひめちゃんは悲劇のヒロインに相応しくない。

 そして、それはおそらく──。

「……ひめちゃんってさ、悲劇のヒロインを演じるのが上手だよね。昔から」

 この場にいる『全員』がそれに該当するのかもしれません。

「本当、どうして大和はこんな子のこと……好きになったんだろうね」

 伊織ちゃんの言葉はどこまでも辛辣しんらつでした。

「ボクがずっと隣にいても、どんなに話をしても大和は動こうとしなかったのに……ひめちゃんの事になった途端目の色変えて行動するんだから。本当、その事が不可解で……堪らなく不愉快だよ」

 伊織ちゃんにしては珍しく自虐的な発言でした。

 それはある意味でひめちゃんの価値を自らの口で肯定する様なものですから。

 その気持ちは美夜子も良く分かります。抱えている恋心も劣等感も。

 燃え盛る嫉妬の炎も。

 なら、やはり伊織ちゃんが『三人目』なのでしょうか。

 この二人の会話の盗み聞きでその真偽を確かめるはずでした。

 そのはずだったんです。

「……ねえ、ひめちゃん。ひめちゃんに訊きたい事があるんだけど良いよね?」

 少なくとも美夜子はそう思ってここに来ました。

「今ならちゃんと答えてくれるよね? 『あの時』と違って」

 伊織ちゃんが不穏な一言を口にするまでは。

「あの時は上手いことはぐらかされたけど。ボクは今なら『それ』をちゃんと問い質せる用意があるんだ。まさか、ひめちゃん、この期に及んで逃げたりしないよね?」

 一体、何の話でしょう。

 美夜子は気になって仕方がありませんでした。

 ですから、美夜子はその話をこのまま聞く事にしました。

 好奇心は猫を殺す、とは言いますけど。

 結論から言って美夜子は『その話』を不用意に聞いた事を後悔する羽目になりました。

「……訊きたいことって何の話よ?」

「へぇ、この期に及んで惚けるんだ? 本当にひめちゃんは人を苛つかせるのが上手だよね」

「は? 別に、惚けてないけど?」

 お前が言うな、と。ブーメラン発言の応酬を経て。

 今まさに女同士による壮絶な女の闘いキャットファイトが始まりました。

「ボクはどうしても気になっていたんだ。ひめちゃんがどうやってあのいじめ問題を隠蔽いんぺい出来たのかってさ」

 伊織ちゃんは淡々と語ります。あの一連の事件に関わる根っこの深い部分を。

「不自然なんだよ。普通なら体操着とかユニフォームの私物が紛失した場合、ひめちゃんのお母さんがそれに気付いているはずなんだ。なのにひめちゃんのお母さんはあの時何も行動を起こしていなかった。それって何でなのかな?」

「……っ!?」

 ビクリとひめちゃんの身体が固まりました。

「それは……」

 何かが揺らぐ感覚を美夜子はこの時に感じました。

「答えてよ、ひめちゃん。自分のお母さんには紛失した私物の件はどうやって説明したの? いや、どうやって誤魔化したのかな?」

「…………」

「黙るんだ?」

「……大智と協力して上手いことうやむやにしたのよ。アイツとあたしって中学の時は体格がほぼ一緒だったから」

 言われてみれば、確かにあの事件には腑に落ちない点がありました。

 ひめちゃんにしては珍しくいじめ問題の対応が大人しかった。

 ひめちゃん御本人が言った様にあの事件が十人程度しか知らない事なら、どうしてその人数まで口外を抑制したのでしょう。

 親か学校に言えばすぐにケリがついたのに。

「……そっか。やっぱり大智が絡んでたんだ。ならさ──」

 伊織ちゃんは言いました。美夜子が疑問に思っていた事を。

「どうしてあの事件を頑なに隠そうとしたの? 学校かご両親に話せばすぐに解決できたよね?」

「それは……」

 後ろめたい事でもあるのでしょうか、ひめちゃんは直ぐに答えませんでした。

「……前にも言ったでしょ。大会が近いから余計なトラブルは避けたかっただけよ」

 もっともらしい言い訳。それに伊織ちゃんは鋭く噛み付きました。

 違うよね、と。

「あれってつまりは大和の気を引くためなんでしょ?」

「……っ!?」

 伊織ちゃんは心を揺さ振りました。ひめちゃんだけではなく。美夜子の心までも。

「可哀想な振りをすれば大和が優しくしてくれるからでしょ?」

 ガツン、と。

「ひめちゃんは気持ち良くなりたかったんだよね? 大和に心配されて自分だけを見てもらえるあのシチュエーションに酔っていたんだ。そうだよね?」

 伊織ちゃんは言葉のハンマーで。

「中三の春に『あんな事』があったから不安になったんだよね? このままだと大和の気持ちが自分から離れていくって……そう思ったんだよね?」

 だから、と。

「いじめを『自作自演』する事を思い付いた──そうだよね? ひめちゃん?」

 場の空気ごとあの事件の固定概念イメージを破壊しました。

 自作自演。

 耳を疑う言葉でした。

 伊織ちゃんは一体何を言っているのだろう。

 犯人は確かに存在するはずなのに。美夜子と雪雄くんがいるはずなのに。

 どうして、そんな見解に至ったのだろう。どうして──。

「ははっ。そっか……バレてたんだ」

 ひめちゃんは乾いた笑い声をポツリと漏らしました。

「はぁ……やっぱ、アンタって頭良いわよね。昔から」

 ひめちゃんの口から出たのは肯定でも否定でもなく称賛の言葉でした。

「……それに気付いたのアンタで『二人目』よ」

 意味がわかりませんでした。

 二人の接触を止められないならせめて情報だけでも持ち帰ろう。

 そう思って野次馬根性でこの場を見守っていましたけど。

 こんな状況を誰が予想出来たでしょう。

「……ねえ、ひめちゃん。何で否定しないの?」

 先ほどまで伊織ちゃんから感じていた怒気に近い威勢が急にフッと消えました。まるで水をかけられた火の様に。

「……違う、よね?」

 自分で言ったのにも関わらず自分の発言を否定し始める伊織ちゃん。

 場の空気が混沌カオスに包まれていく。そんな雰囲気が二人の間にありました。

「は? 何言ってんの? アンタだって否定しなかったじゃん」

「……それは、否定しても信じて貰えないと思ったから」

「ああ、ごめんね。今の話し合いでアンタが犯人じゃないのはよーく分かったから。伊織は無罪確定、おめでとう」

「いや、それはそうだけど……あれ? じゃあ、何でボクのこと犯人だと疑って──」

 もしかしたら。

 あの事件の『真相』に一番近くまで迫っていたのは他でもない伊織ちゃん自身なのかもしれません。

「アンタのプロファイリング? だったかは半分当たりで半分ハズレなのよ」

「……半分当たりで半分ハズレ?」

「決まってるじゃない。本当に犯人がいるのよ。あたしの“自作自演”に便乗して盗みを働いた輩がいるの。他でも無いあたしとアンタ以外の誰かが、ね」

 点と点だった謎がようやく繋がって一つの線になった。バラバラだった因子パズルが組み上がって一つの結論に至った。

 そう思っていた矢先にまた新たな謎が浮かび上がる。

 それがどれだけの混乱と破滅を招くかこの時の美夜子はそれを上手く想像できませんでした。

「……そうか、だから、なんだ。大和を疑ったのも、やっぱり自分に後ろめたい事があったからなんだ。……だから、あの時に「あたしって大和に嫌われたのかな」ってボクに訊いてきたんだ」

 伊織ちゃんは美夜子と違ってこの状況をちゃんと理解している様子でした。

「そうよ。あの時あたしは勘違いしてたの。アイツならその事に薄々は気付いていたんじゃないかなって。大事なバスケの大会を邪魔したあたしを大和は許さないと思ってね。でも、実際はそうじゃなかった」

「…………」

 バシャリ、と。

 真相を知り伊織ちゃんが膝から崩れ落ちました。

「……そんな。そんなことって……」

 愕然がくぜんとした伊織ちゃんにひめちゃんは歩み寄って手を差し伸べました。

「だからさ、“あたし達”で犯人を捕まえるのよ。それで今度こそ終わらせるの」

 一体どういう神経をしていたらそんな発言が口から出てくるのでしょう。

「伊織。アンタも今日から“あたし達”の仲間だから。これからよろしくね? ウチらが協力すれば犯人なんて直ぐに見つかるんだから」

 ひめちゃん。

 いくらなんでも、それは酷すぎますよ。

「ふざけないでよ!!!」

 伊織ちゃんはその手を振り払いました。

「大和があの時、どんな気持ちで、どんな想いで、無実の罪を受け入れたと思っているんだ!! それじゃあ、それじゃあ大和があまりにも報われなさ過ぎるだろ!!!」

 伊織ちゃんの叫びは悲鳴に近いものでした。

「そうよ。だからこそ犯人を捕まえる必要があるの。犯人を捕まえてソイツにキッチリと罪を償わせるのよ。今まで苦しんだ分、全部まとめて」

「そうじゃないよ!」

 それは違うと伊織ちゃんは言いました。

「もう犯人が誰かとかじゃないんだ。ボクは、“ボク達”はあの時に大和に対して取り返しのつかない過ちを犯したんだよ。誰かがじゃなくて。『みんな』にその責任があるんだ」

 みんな。

 それはつまり、大和くん以外の全員に対して、という意味なんでしょうね。

「……大和がどうしてあの時に自分の無実を主張しなかったか、ひめちゃんは知ってるの? ううん。知らないよね。知らないからそんな事が言えるんだよね?」

「……ああ、それね。あたしもそれが一番分からないのよ。なんでなんだろ? せっかくだから教えてよ」

 ひめちゃんの無神経な言動に伊織ちゃんは律儀に答えました。

 おそらく、それだけはひめちゃんにちゃんと理解して欲しかったんだと思います。

「……大和はね、自分を犠牲にして守ってくれたんだよ。ひめちゃんだけじゃなくてあの事件に関わった『みんな』の事も。もしかしたら犯人のことも含めて」

 それは美夜子もずっと疑問に思っていました。

 大和くんはどうして無実を訴え続けなかったのだろうと。

「追放されて一人ぼっちになっても。学校に行くのが嫌になっても。大和はその事をずっと学校に言わなかったんだよ? 多分、お母さんにも相談しないでずっと隠していたんだと思う。学校に言えば、少なくとも追放からは開放されたのはずなのに。その行動が何を意味するか、ひめちゃんはちゃんと理解しているの?」

 それはつまり。

「大和はずっとみんなを守ってくれてだんだよ? 学校に話したらきっと良くない問題が起きると思って。ずっと、ずっと我慢していたんだ」

 そういう事、なんですよね。

 ああ、そうか。

 伊織ちゃん、本当に大和くんが好きなんだ。

 それだけは信じてあげても良いと思えました。

「そっか。そうなんだ……。せんせー。あたし、やっと宿題の答えが分かったよ」

 雨天の空を見上げてひめちゃんは一言だけ呟きました。

 まとう空気に不吉な何かを宿して。

「やっぱり大和があたしの『王子様』だったんだ。当然よね、だって大和は“あたしのもの”なんだから」

 ひめちゃんは自分自身を抱きしめて悦に浸っている様子でした。

「本当、大和ってばどんだけカッコイイのよ。あたし、ただでさえ大和にメロメロなのに、これ以上惚れさせてどーすんのよ。もう、あたし我慢出来なくなって大和のこと襲っちゃうかもしれないわね。やだもー」

 ひめちゃんの声は気持ち悪いくらい上機嫌でした。

 どうやら伊織ちゃんの心の叫びはひめちゃんにちゃんと届かなかった様です。

 ひめちゃんは人の話を聞かない子ですから。

 でも。美夜子には届きました。

 伊織ちゃんの心の叫びは美夜子がしっかりと受け取りました。

「……今ので良く分かったよ。やっぱりひめちゃんには大和を任せておけないよ」

 伊織ちゃんは言いました。事実上の宣戦布告を。

「この機会だからハッキリと言わせもらうね。ひめちゃんには『姫川姫光』にはボクは何があっても屈しないし、どんな困難があっても“絶対”に負けないから!!」

 覚えておけよ、と言わんばかりに伊織ちゃんは告白しました。

「ボクは大和の事、絶対に諦めないからね!」

 それは闇夜を切り裂く様なほどの一途な愛の告白でした。

「だってボクはずっと昔から大和の事を愛しているから!!」

 あっそ、と。

「だから何? こっちはそんなのとっくの昔に知ってるんだけど?」

 ひめちゃんは動じる様子が微塵もありませんでした。

「つーかさ。アンタ状況分かってんの? もしかして、あたしがこのまま黙って帰すとでも思ってんの?」

 伊織ちゃんに詰め寄るひめちゃん。

 今度は冗談抜きのガチの殴り合いリアルファイトが始まる雰囲気でした。

「いいの? 悪いけど、ボクは手加減とか器用なこと出来ないよ?」

「はっ、上等よ。ボコボコにして暫くの間表歩けない様にしてあげるから」

 武闘派二人による冗談抜きのガチ修羅場。

 そこに予想外にも程があるレベルの救世主が乱入してきました。

 救世主というより珍客が近いですけど。

「あれー? ひめちゃんとイオちゃんじゃないッスかー。こんな所で何してるんッスか?」

 二人に近づく目測170センチくらいの傘をさした金髪の女性。

 見覚えの無いシルエット。ですがその特徴的な言動には覚えがありました。

「……もしかして美未?」

「……え? アンタ美未なの? 嘘でしょ?」

 二人は突然の乱入者に驚きを隠せない様子でした。

 正直言って美夜子もビックリです。

 あの美未ちゃんがあんな風に変わっているのですから。

「ちーす。二人とも久しぶりッスねーって……んんん?」

 ずぶ濡れの二人を交互に見比べて美未ちゃんは首を傾げました。

「あれーもしかして二人ともまーたヤマくんに内緒でガチ喧嘩してたんッスか? 駄目ッスねー。ヤマくんはそーゆーのが一番嫌いなんッスからね? それは二人ともよーく知ってるはずなんッスけどねー」

「それは……」

「そうだけどさ……」

 美未ちゃんの登場で場の空気が一気に弛緩しかんするのが分かりました。

 もうこれ以上、盗み見する必要はないですね。

 後は美未ちゃんに任せましょう。間に美未ちゃんがいれば二人とも無茶な事はしないはずですし。

 ここら辺が引き際ですね。

 そんなこんなで美夜子はその場をこっそりと離脱しました。

 帰り道で色々と情報の整理をしながら。

「あれ? お姉ちゃんとは一緒じゃないの?」

 自転車を返しに行くとしーちゃんが出迎えてくれました。

「うん、ちょっとね。色々あって伊織ちゃんには会えなかった」

「ふーん? ……って。じゃあ、お姉ちゃんはいつ帰ってくるの?」

「大丈夫だよしーちゃん。伊織ちゃんは後十分もすれば帰ってくると思うから」

「んん? そうなんだ?」

「うん。だからね、お風呂入れといてあげて」

「う、うん。分かったけど」

「じゃあ、またね。しーちゃん」

「う、うん。またねみーちゃん」

 しーちゃんのことだから美夜子が家に来たことは伊織ちゃんに話さないかもしれません。不確かな予想ですけど。

 伊織ちゃんは頭が良いですから。何かの弾みで美夜子が犯人の一人だと分かる日がそう遠くないうちにやってくるでしょう。

 その時はその時です。

 美夜子も覚悟を決めましたから。

 もしかしたら、大和くんはその事に気付いていたのではないでしょうか。

 美夜子が大和くんに告白したあの瞬間に。

 大和くんなら有り得ない話じゃないですし。

 そうであるなら。

 美夜子が取る行動は一つです。

「あ、クズ──雪雄くん。今大丈夫ですか? 結果報告の件で電話したんですけど」

 美夜子は決意表明の代わりに雪雄くんにこう言いました。

「あの件は大和くんにバラしたければ勝手にバラしてくれていいのでどうぞご自由に。美夜子は金輪際“クズの雪雄くん”に一切協力しませんので悪しからず」

 美夜子の不遜な言動に雪雄くんは怒りを露わにしていました。

「つーか、クソ真面目の伊織ちゃんが味方になるわけないだろ。頭チンパンジーなんですか? いい加減、自分自身の力でちゃんと勝負しろよバーカ!」

 そう言って美夜子は電話を切って電話帳にある雪雄くんのアドレスを削除しました。

 正直言って頭がぐちゃぐちゃでしたけど。

「……ふう。今のは完全にブーメランでしたかねー」

 それだけは分かります。

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