陰謀、彼が知らないこと。彼が知らなくていいこと(中編)
さて、ここら辺でそろそろ中間テスト期間中に話した美夜子とひめちゃんの会話を語る頃合いでしょうかね。
どうして美夜子が伊織ちゃんに接触する気になったのか。美夜子にはそれを話す義務があると思いますので。
「で? 三人目の犯人に心当たりってあんの?」
ひめちゃんに詳しい説明を求められてまず最初に話したのは三人目の犯人像でした。
犯人像というか三人目がいる具体的な根拠ですね。
「美夜子の見解では、おそらく実行犯は“女子”の方です」
「……んん? 何でそう思うの?」
首を傾げる頭の悪いひめちゃんに美夜子は
「考えてみて下さいよ。男子である雪雄くんに体操着やユニフォームが盗めると思いますか?」
「ん? 男だから体操着とか盗んだんじゃないの?」
「いえ、そういう意味ではなくて……」
理解力の乏しい頭チンパンジーに一から十まで説明するのって地味にしんどいんですけどっ。
「男子の雪雄くんでは女子更衣室とか女子バスケ部の部室に入れないって言ってるんですよ。加えてひめちゃん御自身だって警戒しているならセキュリティと難易度は爆上がりです。そんな状況下で雪雄くんが犯行に及ぶことはほぼ不可能なんです」
ちなみに体操着とバスケ部のユニフォームに関しては美夜子は一切関与していないので悪しからず。
だかこそ実行犯が雪雄くん以外に存在するという一つの仮説に信憑性が帯びてくるんです。
まぁ、もう一人どころかもっといる可能性もあるにはあるんですけど。
でも、人数が増えるとそれだけ犯行がバレるリスクが上がりますからね。慎重派の雪雄くんの場合、避けられるリスクは避けるはずですし。
「……なるほど。女子なのは何となく分かったけど、犯人が女子ってだけだとかなりの数の容疑者が浮かぶんだけど?」
「かなりの数って。ひめちゃん、どんだけ女子から嫌われてるんですか……」
「はぁ? 違うわよ! あたしべつに嫌われて……ないし、たぶん」
言葉が尻すぼみになるあたりきっと自覚があるんでしょうね。
ひめちゃんみたいな男受けの良いタイプの女って同性から嫌われやすいですからねー。
外見だけの性格ブスは死ね、みたいな感じで。
それはそれとして。
「そこで美夜子お得意のプロファイリングの出番が来るわけですよ」
「ぷろふぁいりんぐ? 何それ、オニオンリングのすごいバージョンのやつ?」
「…………」
馬鹿と話すの疲れました。
説明責任放り投げて今すぐ帰りたいです。マジで。
「……分かりやすく言うと推理と考察である程度犯人像を絞り込む方法です。犯人の動機とか行動予測とかそういう奴です」
「おお、なんかドラマっぽいわね……」
「…………」
月岡先生と伊織ちゃんっていつもこんな感じでひめちゃんに色々と教えてたんですね。
美夜子は御二方の気苦労を如実に痛感しました。
「で? そのプロファイリングとかで何が分かるの?」
頭の悪い質問に美夜子はこう返します。馬鹿にも分かりやすくハッキリと。
「ズバリ、実行犯の──容疑者の最有力候補は“伊織ちゃん”です」
ひめちゃんは。
「いや、ないない。それは無い」
間髪入れずにそれを否定しました。
「……どうしてそう思うんですか?」
いやだって、とひめちゃんは言いました。
「伊織がそんなことするわけないじゃん。だってあの子はあたしの友達だもん」
その無根拠な見解はどこから来るんでしょうかね?
いえ、この場合は信頼でしょうか。
友情なんて薄っぺらい物は
「美夜子だって雪雄くんの共犯者だったんですよ?」
その一言を突き付けたら、ひめちゃんの表情が一気に険しくなりました。
「いや、だって伊織よ? あの子があたしをいじめる理由なんて──理由なんて……」
そう言い掛けて。
ひめちゃんは口をキュッと閉じました。
どうやら、思い当たる節があったみたいです。
「伊織ちゃんレベルの知性なら難易度の高い犯行でも可能になるんですよ。加えて伊織ちゃんは当時のひめちゃんに近しい存在でした。同じバスケ部の部員として常に行動を共にしていましたし」
当時の二人は女子バスケ部の『織姫コンビ』とか言われて周囲からもてはやされていましたからね。
「裏を返すとそこがあの事件の盲点なんですよ。あの子がそんなことするわけがないって思考が捜査線から容疑者を取り除いていたんですよ。無意識で無自覚のうちに」
まぁ、実際のところ伊織ちゃんが犯人の可能性は薄いんですけど。
ひめちゃんの言葉通り、あのクソ真面目な伊織ちゃんがしょーもない事を決行するとは思えません。
何より犯行動機が不鮮明でしたし。
この場はとりあえずひめちゃんからの
少なくともこの時の美夜子はそんな事を考えていました。
「まぁ、美夜子みたいに“雪雄くんに脅されてやった”という可能性もありますし。伊織ちゃんだからという理由で容疑者から外すのは得策でない事は確かですね」
「……脅されてやった、か」
「はい。美夜子は雪雄くんに弱みを握られていますから」
「…………」
そういえばさ、とひめちゃんは美夜子に何度目かの質問をしてきました。
「アンタが盗んだのって何なの?」
何でそんなことをこのタイミングで訊いてきたのかは存じませんけど。美夜子は素直に白状しました。
「
「…………そっか」
ひめちゃんは難しい顔をしてポツリと呟きました。
「雪雄って何で大和のこと嫌ってるんだろ?」
今更ですか。思わずそうツッコミを入れそうになりました。
「そうですねー。単純に恋敵という理由もあると思いますけど」
「…………」
ひめちゃんはカッと顔を赤くして一言。
「その、やっぱさ……あたしと大和がお互い好き同士……両想いだってこと──他の子にはバレてたの?」
「今更ですか!!!」
今度はガチでツッコミを入れました。
「あの普段のイチャ付き具合で両想いじゃなかったら両想いって一体なんなんですか! むしろあの距離感で二人が付き合ってないことの方が美夜子はずっと疑問でしたよ!」
誰の目から見ても二人が相思相愛なのは十二分に分かり切っていました。
だからこそ二人の仲を引き裂く事態が発生したんです。
というか、ひめちゃん。両想いなのうっすらと自覚してたんですね。何で自分から告白しないんでしょう。もの凄く疑問です。
「しょうがないじゃん! 万が一にもあたしの勘違いだったらどうすんのよ!」
「はぁ? 何を純情ぶってるんですか? そんな無駄にデカい乳ぶら下げたビッチの癖にカマトトの真似ですか? そういうの寒いんですけど!?」
「はぁぁ? まだ未経験なのにビッチとか言わないでよ! あと、胸は関係ないでしょ!」
「ええ、ひめちゃんって乳お化けのくせに処女なんですか。意外です」
「そこは拾わなくていいから! あと、胸いじるのやめて! あたし大きいの気にしてるんだからね!」
「出ましたよ。コンプレックス装ってマウント取りにくる女子。そういうのが同性に嫌われるんですよ」
「アンタとは一回じっくりと話す必要があるみたいね……」
今まさにじっくりと話してるんですけどね。
閑話休題。
その後も
「後はそうですね……大和くんが柏崎家の子で“あの人の弟”だからでしょうね」
雪雄くんが大和くんを嫌う理由はむしろそっちの方が強い。個人的に美夜子はそう思っています。
「あの人って……みこ姉のこと?」
「ひめちゃんって本当に怖いもの知らずですよね……」
よくもまぁ、そんなフランクにあの人のことを呼べますね。
美夜子はあの人のこと苦手というか嫌いですので。
「あの人と大和くんのおじいちゃんは湯沢家の子供である雪雄くんを目の敵にしてる節がありましたから」
それに雪雄くんは雪雄くんで父親からあの人と比べられていましたから。
美夜子は雪雄くん家の近所ですから。そういうの嫌でも耳に入るんです。
「あー……なるほど、言われてみれば確かにそんな感じあったわね。みこ姉って大和が雪雄に負けるとめちゃくちゃ雪雄の悪口言ってたし」
「…………」
あの人もあの人で頭おかしいですよね。
「それを踏まえた上で美夜子はある計画をずっと前から練っていたんです」
「計画?」
「そうですねー言うなら大和くん親衛隊って奴です」
「ふむ?」
その会話の後にも頭の悪いひめちゃんに計画の概要を詳しく説明しました。
「まぁ、あの事件にはそういう背景があるかもしれない──というわけです」
「なるほど、アンタの言い分は分かったわ」
そんな。
そんな会話があったからこそ。
美夜子は伊織ちゃんに接触することを決めました。
あの時はその事を知りませんでしたから。
「伊織の奴、青海の事が好きなんだよ。お前と一緒で」
ふと、電話で聞いた雪雄くんの言葉が脳裏をよぎりました。
午後七時頃。外に出た美夜子は伊織ちゃん家に向かうため雨の中を一人で歩いていました。
暗雲のせいで暗くなった道の中、小さい美夜子は傘をさして愚直に歩き続けます。
時間にしてわずか三分の移動時間。
苦労感を地の文で演出してみましたけど……伊織ちゃん家って割と近所ですから。
立派な御屋敷の隣にあるそれなりに立派な御宅。
そこに着いて美夜子はインターホンをポチッと押します。
「はーいって……あれ? みーちゃん?」
出迎えてくれたのは普段から見慣れた顔ではなくて見覚えのある顔でした。
「しーちゃん久しぶりー」
帯織詩織。伊織ちゃんの二歳年下の妹で何を隠そう美夜子の一番のお友達です。
優秀な姉を持つ末っ子同士なので何かとしーちゃんとは気が合うんです。
会うのは中学ぶりですけど伊織ちゃんと一緒で相変わらずボーイッシュな顔立ちでした。
それでも伊織ちゃんを反面教師にしているせいかしーちゃんは女子力が割と高めなんです。
しーちゃんのトレードマークである短い三つ編みと薄着の部屋着(タンクトップにショートパンツ)から女子力をひしひしと感じます。
むう。
しーちゃん。部屋着でその素肌は眩しいよ。
中三でその女子力は張り切り過ぎだと美夜子は思うよ?
「どうしたの? うちに何か用事? 回覧板とか?」
「ううん。ちょっと伊織ちゃんに用事があって」
「お姉ちゃん? お姉ちゃんならまだ帰って来てないけど?」
「……え?」
珍しいと思いました。
あのクソ真面目の伊織ちゃんがまだ家に帰って来てないなんて。
何かあったのでしょうか?
「そうだ、聞いてよみーちゃん! 最近ね、家にお兄ちゃんが来たんだよ!」
嬉々とした顔でそんなことを言うしーちゃん。
お兄ちゃん。
しーちゃんがそう呼ぶ相手はこの世に一人しかいません。
言わずもがな大和くんです。
「大和くんがこの家に来たの? なんの用事で?」
「あー……なんかお姉ちゃんに用事があったっぽいんだよね」
露骨に嫌そうな顔をするしーちゃん。どうやら姉妹の不仲はまだ続いてるみたい。
「伊織ちゃんに用事?」
「うん。二人で散歩してたみたいなんだよね」
「………ふむ?」
なんかキナ臭いですね。
大和くんと伊織ちゃんの間で何かあったのでしょうか?
学校内では特に目立った変化は無かったですけど。
美夜子の見落としでしょうか。
「久しぶりにお兄ちゃんに会ったけど、やっぱお兄ちゃんってカッコいいよね。はぁ……」
目を細めて
「はぁ……お兄ちゃん。高校生になってますます大人っぽくなったなぁ……」
大和くんに想いを馳せるしーちゃん。その気持ちはよく分かります。
大和くんは歳下キラーですから。包容力のある歳上男子に優しくされたらそりゃ妹ポジションの末っ子はコロッといっちゃいますよ。
美夜子としーちゃんは大和くんラブ勢ですから。
「来年は絶対に上越国際に受かってお兄ちゃんと一緒の高校に通うんだ……そしてお兄ちゃんと、はふぅ……」
身悶えしながら妄想に没頭するしーちゃん。
しーちゃんの
「ああ……お兄ちゃん駄目。詩織まだ、心の準備が出来てないよ……」
妄想だだ漏れだよしーちゃん。
「……………」
ラブ勢ですけど。友達が相手でも譲れないものもあるわけで。
一先ずここはお友達を現実に連れ戻してあげましょうか。
「ふっ。しーちゃんのお子様ボディじゃ大和くんは振り向いてくれないと思うけどね」
美夜子が発した軽口にしーちゃんはこう反論しました。
「えー? みーちゃんがそれ言うの? 詩織より背が低くて“貧乳”なのに? それ言うの?」
ブスリと。
コンプレックスの刃が美夜子の胸に突き刺さりました。
「はぁ? 何言ってんの? しーちゃんなんてブラにパッド入れてる偽乳じゃん。それで勝った気になるのは間違いだから。相変わらずしーちゃんはお子様だよねー。ぷーくすくす」
「はぁ? みーちゃんにお子様とか言われたくないんだけど? 大人ぶりたいんならせめて小学生センスの子供っぽいコーディネイトを卒業してからにしてよねっ!」
しーちゃんはビシッと美夜子の服装に突っ込みを入れました。しーちゃんの指先にはいかにも小学生が着るような黄色いレインコートがあります。
「こ、これは……いつもは違うんだよ?」
くぅ、傘だけじゃ心許ないから長靴とレインコートの雨具フル装備で来たのが裏目に出た。
しかも傘も比較的子供っぽいデザインの傘ですし。
こんな格好を知らない人に見られたら小学生と勘違いされてもおかしくないでしょう。
いえ。どう見ても小学生です。
子供っぽいと大和くんにも言われましたし。
やはり美夜子は高校生になっても子供っぽいままなのでしょうか?
「はぁ、お兄ちゃんってやっぱり姫川先輩みたいな人がタイプなのかな……」
自分の胸(小さい)を恨めしそうに見詰めるしーちゃん。
「大丈夫だよしーちゃん。大和くんは胸で女を選ぶゲスな人じゃないから」
「う、うん。そうだよね! お兄ちゃんは胸で女を選ばないよね!」
そうであって欲しいと美夜子は思います。
そういえば、と思い出した様にしーちゃんは言います。
下世話なガールズトークよりも、もっと重要なことを。
「姫川先輩もさっき家に来たんだよね。お姉ちゃんに用事があるとか言って。居ないって言ったらすぐに帰ったけど」
「……………え?」
不意にピクリと身体が震えました。
ひめちゃんが伊織ちゃんに会いに来た。
雪雄くんの電話。ひめちゃんの行動。
「姫川先輩、ぶつぶつ独り言言っててちょっと怖かったんだよね」
それが意味することはつまり──。
「それって何分くらい前だった?」
美夜子の食い気味な質問にしーちゃんは少し驚いた様子でした。
「……えっと、十分も経ってないと思うけど」
結構な時間が経っていました。
あのひめちゃんが大人しく帰るとはどうしても思えませんでした。
「……ごめん、しーちゃん。ちょっと美夜子に自転車貸してくれない?」
待ち伏せするなら駅前。話すなら海浜公園。
どっちにしろ美夜子の足だと十分以上はかかる。徒歩だと確実に間に合わない。
嫌な予感がする。胸騒ぎよりもこの場合は虫の知らせと表現するのが妥当なところでしょうね。
「え? みーちゃん自転車乗れる様になったの? お兄ちゃんに抑えてもらっても転んでたのに?」
目を丸くして酷い言い草のしーちゃん。
「…………」
しーちゃんとは一度じっくりと話す必要があると美夜子は思いました。学校の屋上あたりで。
「……あれはわざとだよ」
自転車に乗れないフリをすれば大和くんに構ってもらえますからね。
「わざとだったんだ!?」
「それはいいから、早く自転車貸してよしーちゃん。美夜子、今急いでるから」
「う、うん。分かった」
車庫からママチャリらしき自転車を
「ちょっと待ってて。サドル目一杯下げるから」
しーちゃんの気遣いにいらない精神ダメージを受けつつ美夜子は自転車に
「……くうっ」
美夜子の脚が産まれたての子鹿みたいにプルプルと震えました。
「……ごめん、みーちゃん。足、ギリギリだけど家にこれより小さい自転車ないから」
「…………だ、大丈夫だから」
しーちゃんの生暖かい目に見送られて、美夜子は駅前に向かいました。
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