本番、君と歩む仲直りのその先へ

 涙が枯れるほど泣いたのはいつぶりだろう。

 お母さんの葬式の時だってこんなに泣いたことなかったのに。

 本当、なんでだろう。

 考えれば考えるほど疑問ばかり浮かんでくる。

 心が死んでも思考は停止しないんだ。人間ひとの身体って本当に不思議だ。

 死にたい気分なのにまだ生きていたいと思ってしまう。

 日も沈んですっかり暗くなった午後八時。

 ボクは逃げる様に自分の部屋に引きこもった。

 心労ストレスが涙と一緒にオーバーフローしたせいか、心も身体もカラカラに乾いて何もやる気が起きなくなっていた。

 自分を慰めることすら放棄した。抱えた痛みがまだ癒えていないからだろうか。

 自堕落な駄目人間。

 そんなボクに残されたものなんて。

「……ははっ、最後はやけ食いに走るんだ。ボクってそういうところだけは分かりやすいなぁ……」

 自嘲。乾いた笑い。

 家にあるチョコレート菓子をありったけかき集めた後、それを勉強机に広げ、何も考えず無心でチョコレートを口一杯に頬張ほおばる。

 カラカラに乾いた口内に溶けて広がる甘くて苦いチョコレート。

 ベトベトしたチョコが舌に絡みつく。溶けたチョコを唾液と一緒に飲み込むとドロドロした物が喉奥に引っかかる。

 喉奥が少し塩辛い。泣き過ぎて水分が無いから。溶けたチョコがネバネバして少し飲み込み辛い。

 でも、これで良い。溜飲りゅういんを下げるには丁度いい。

「お前なら、もっと良い方法を思い付けただろ、か……」

 彼に言われた言葉を反すうして復唱してチョコレートと一緒に噛みしめる。

「……ベストアンサーなんてボクには無理だよ」

 アーモンドチョコを一粒だけ口に含んで舌の上でそれをコロコロ転がして執拗にねぶる。

 はしたない、卑しい食べ方。でも、それが一番美味しい食べ方なんだ。

 噛み砕くとすぐに無くなるから。甘い余韻に少しでも長く浸りたかった。

「いっそのこと、あの場で“食べちゃえば”良かったのかな……」

 それが叶わないのは自分が一番知っているのに。

 本当は分かっていたんだ。最初から。

「問題は、一番の障害は──仲直りした先にあるって」

 結果が全てを証明している。

 仲直り自体は難しいことではなかった。

「ひめちゃんがいる限り何も変わらないんだ」

 振り出しに戻る。それが嫌だったから。

 あの時ボクは自分の本音を大和に伝えた。

 ひめちゃんが嫌いだと。

「…………」

 ガリッと。

 アーモンドを噛み砕いて『何か』と一緒に苦い物を飲み込む。

「ほんと、不器用」

 なんで手遅れになる前に行動しなかったの?

 自問自答。自分の脳内から出す心の処方箋おくすり

 理由は簡単だ。

 大和に犯人だと疑われたくなかったから。

 もしも、万が一にも、高校入学の段階で大和と和解出来ていれば。邪魔者がいない状態で大和が負った心の傷をボクが舐めてあげれていたら。

 大和の恋人になっていたら。

 それはおそらく──。

 そう遠く無い未来で“必ず”ひめちゃんが障害になって現れる。

 ボク達の仲睦まじい姿を見たら多分ひめちゃんはボクにこう問い質すだろう。

『もしかして、アンタが犯人だったの?』

 まぁ、そう思われるだろうね。

 その状況を客観視すると疑われても仕方がないと自分でも思うから。

 ひめちゃんを虐める理由。

 犯行動機も充分だし、犯行を可能にする条件を満たした一番の容疑者。

 それが他でも無いボクだったから。

 その事象を脳内シミュレートで予測してしまったから。

 だから。

 ボクは大和と距離を置いて接する道を選んだ。

 最悪の事態を回避するために。

 だってそうだろ。

 ボクの中には魔女がいるから。

 たらればの話が現実になったら大和の前で泥沼の醜い争いが起こる。

 疑心暗鬼におちいったら一番傷付くのは大和だから。

「ほんと、なんでボクじゃなくて大和のことを犯人だと思ったんだろ」

 それだけが、どうしても分からない。

 ひめちゃんはボクの『気持ち』を薄々は気づいていたはずなのに。

『大和はあたしのものなの!』

 気づいていなければ、そんな台詞が口から出るわけがないんだ。

 そんな台詞を吐いてひめちゃんがボクに突っかかってくるから──。

 口論になって喧嘩になった。

 ボクはただ大和と一緒に帰りたかっただけなのに。

 なのに。どうして。

 ボクだけ大和に平手打ちされなきゃいけないの?

 ううん。違う。

 答えはもう出ているんだ。

 長年にわたって解き明かしていた問題が。小学生の時から出ていた宿題が今日で終わった。

「自分の失態ミスで自分に引導を渡したんだ。後は後続の憂いを断つだけ、そうだよね?」

 大和にひめちゃんへの憎しみを知られた。弁明なんてするだけ無駄だから。

 最後の希望は今日で潰えた。

 なら、せめて最後くらいは大和の役に立ちたい。

 当初の計画通り他の容疑者を道連れにする。それで全部終わらせよう。

 何度目かの決意かは知らないけど。

 今度こそさよなら、ボクの初恋。

 そう勝手に自己完結していた。

 身勝手に。彼の気持ちも考えず。

 だから、だろうね。ボクは失念していたんだ。

 今日の運勢。蟹座は一位。同じ日に生まれた彼も蟹座だから。

 今日はまだ終わっていない。

「お姉ちゃん」

 トントン、と。

 ノックの後にドアの向こうから聞こえるボクを呼ぶ不機嫌な声。

 声の主は詩織。

 鬱陶しい、と思った。

 機嫌が悪い時に話しかけてこないでよ。

 ああ、そうか。

 おじいちゃんとおばあちゃん、今夜は町内会のツアー旅行でいないんだった。

 自分のことくらい自分でやってよ。

 そう思ってドアの扉を開ける。

「…………何? 何の用?」

 そんなあからさまなほど、不機嫌な態度でボクは自分に反抗的な態度の妹にそう訊き返す。

「…………“お兄ちゃん”が家に来てる。お姉ちゃんに用事があるって、今家の外で待ってもらってる」

 面白くないと言いたげな顔で詩織はそう返した。

 予想外の返答。

 お兄ちゃん。

 その単語に身体が脊髄反射してビクッと震える。

 家族は全部で五人。帯織家に──ボクと詩織に男兄弟はいない。

 詩織がお兄ちゃんと呼ぶ相手はこの世界に一人しかいない。それはつまり──。

「…………っ!?」

 それを理解した途端、死んでいたはずの心の臓器がバクバクと早鐘のように鼓動する。

 窓のカーテンを開けて外を確認。玄関の前には見覚えのある自転車と目測180センチ前半くらいの見慣れた造形の影絵シルエット

 考えなくても直感で分かる。

 誰が為の来訪者。

 分かるけど。

 なんで家なんかに来たんだろう?

 この辺りに来るの、『あの家』に近付くの、あんなに嫌がっていたはずなのに。

 あの時も、珍しいとは思っていたけど。

 詩織なんてそっちのけで。

 そんな事を考えながら玄関に急いで向かい──。

 そして、ボクは気付いてしまった。

 彼が我が家に来た理由を。ボクは勘繰ってしまった。

 ボクの容疑を問い質しに来たんだ、と。

「悪いな、突然来て。こんな時間に連絡もなしは迷惑だったか?」

 出会い頭に投げかけられる彼からの気さくな言葉。ボクには相応しくない柔らかな対応。

 なのにボクは。

「…………ボクに何の用かな?」

 この期に及んで、そんな不遜な態度を──彼の前でまた悪役の仮面ペルソナを付ける。

 責任は果たさなければならない。そう思っていたから。

 ボクは今一度、彼の前で──。

「これ、お前にやるよ」

 ポン、と。

 ボクの腕に乗せられるフワフワで柔らかな白い物体。

 ボクはこの物体を何と呼ぶか知っている。

「その枕、家にいっぱいあって持て余してたから」

 渡されたのは某テレビショッピングで有名なトゥ○ースリーパーのセブ○スピローだった。

 びっくりするくらい指が沈む低反発な枕だった。

「……………なんで?」

 予想外な彼の行動に思わず訊き返すボク。はっきり言って意味不明だった。

「いや……だってお前、最近寝不足だったんだろ?」

「それは、そうだけど……」

「もし不眠症なら寝具を変えるだけでも多少は改善すると思うぞ」

「…………」

 やめてよ大和。

 もうボクに優しくしないでよ。

 優しくされると“また”勘違いするから。

 自分にも可能性があると、自分も対象に含まれると、自分勝手に思い込んでしまうから。

 ボクは思い込みが強いから。

「……建前はいいからさ。いい加減『本題』に入ったらどうなの?」

 家に訪ねる理由なんて一つしかないから。

「……そうだな。たまには散歩にでも付き合ってくれよ」

 お前が嫌じゃなかったらでいいから、そう言ってボクを夜の散歩に誘う大和。

「…………っ」

 ジレンマがボクを責め立てる。

 ボロボロと仮面が剥がれ落ちる。

 凍てついたはずの心の氷が熱でチョコレートの様にトロトロに溶けていく。

 氷炭相愛。氷をも一瞬で溶かす熱くて情熱的な真っ赤に燃える炭。

 冷たくない水なんて理性と一緒にすぐに蒸発してしまう。

 断らないといけないはずなのに。

「まっ、そりゃそうだよな。そんな顔と格好じゃ、恥ずかしくて外になんて出たくないよな?」

 大和は。

「……口にチョコ、付いてるぞ」

 見ているこっちが恥ずかしいと言わんばかりにそう指摘する。ボクのだらしない部分を。

 口の周りに付いたチョコ。身に付けている部屋着は中学時代のジャージ。女子力ゼロのだらしない格好。誰の目から見ても、はしたない格好なのは明白だった。

「ひゃう!? こ、これは、その……」

 言いようのない恥ずかしさが込み上げてきて、羞恥心にチリチリと身が焦がれる。

「……支度するから十分、いや五分だけ待ってて」

 気が付けば。

 ありがとうも言えないままボクは大和に背を向けていた。

 脳が考えるよりも先に心が行動を選択していた。

「別に、急ぐ必要はないだろ。まだ時間はたっぷりあるんだから」

 待っててやるよ。

 そんな彼の言葉に後押しされてボクは身支度を始める。

 本音を言うとゆっくりお風呂に入りたかった。髪だって洗いたいし。

 それに念入りに身体の隅々まで身を清めたかったから。

 清楚感のある下着を選んで服装はラフ過ぎない程度のパンツスタイルにした。

 最後に念入りに歯を磨いて口の中にあるチョコレートを落とす。マウスケアはエチケットの基本だから。

 化粧メイクはしなかった。そこまですると時間が掛かるから。

 体感時間おおよそ十分くらいで家の玄関に戻る。待ち人が空賊のお頭だったら間違いなく置いていかれただろう。

「…………」

 無言でボクを睨む詩織。「なんだ、もう戻って来たのか」と言いたげな表情を浮かべていた。

 その反応に少しばかり思うところはあるけど。

「つーわけだから、詩織、悪いけど自転車チャリここに置かせてくれ。後で取りに戻るから」

「う、うん。わかったおに、青海先輩」

「おう、またな詩織」

「う、うん。またね、おに──青海先輩」

 分かりやすい猫なで声を発する妹。そういうところだけは本当に分かりやすい。

「じゃあ、行くか」

「……うん」

 恨めしそうに見送る妹を尻目にボクは大和と一緒に夜の世界へと繰り出す。

 家を出る時に少し心配事があったけど。

 幸いなことに会敵エンカウントしないようにずっと避けていた彼女の姿は道中の間、影も形もなかった。

 初夏の夜道は少しだけ生暖かく、そよ風が緩く穏やかに吹いていた。

「……何処に行くの?」

 時刻はまだ八時半くらい。深夜徘徊には抵触しない時間帯だけど。

「ああ、公園だよ。海浜公園」

「……クロは連れて来なかったんだ?」

「ああ、アイツは今回置いて来た。脚は早い方だけど流石に本気ガチで走った自転車の速度にはついて来られないからな」

 チャ○ズは置いて来たみたいに言う大和。

「そっか。ちょと残念」

 出会い頭もそうだったけど。

 会話の最中も、大和のまとう空気は柔らかく、穏やかな雰囲気でボクに接してくれる。

 あんな事があった後なのに。

「なんだ、クロと遊びたいならいつでも会わせてやるよ」

 まるで昔に戻ったかのような。そんな懐かしい空気感。

 二人そろって並んで歩く。そんなこと、最後にしたのはいつの時だっただろう。

 懐かしい想い出がボクの胸の内を甘く緩く締め付ける。

 ドサクサに紛れて手を繋ぎたい。その長くて無骨な指に自分の指を絡めて。君の手の大きさを触って確かめたい。心からそう思った。

 このまま時間が止まればいいのに。

 公園に着いたら今度こそ終わりを迎える。

 話す内容は嫌でも想像がつくから。

 逃げ出したいけど、彼のそばに居続けたい。

 彼と話す和やかな談笑が楽しくて仕方がない。

 自分の犯した過ちを彼に問い詰められられるのが堪らなく怖い。

 葛藤する心。矛盾した思想。

 そんなボクの想いとは裏腹に時間は無情に過ぎ、そして──。

「とりあえず、ここに座るか」

 人気の無い公園にたどり着いた。

 ベンチの前で大和はボクに着席をうながす。

 ボクはその指示に素直に従う。肩が触れ合う距離での着席に胸が熱くなる。体の火照りは家を出てから全然治まる気配がない。

「お前に訊きたいことがあるんだ」

 開口一番に告げられた問題提起。

「……お前、なんであの時泣いていたんだ?」

 質問がそれだけなら良かった。心配してくれたんだって喜ぶことができたから。

「……姫光のこと嫌いだって言ったけど──それと何か関係があるのか?」

 その口調はさきほどの談笑と比べると明らかに重々しい。

「…………」

 瞬間冷却。

 浮ついた身体の火照りが一気に冷めた。

 灼熱のオーブンから一気に氷点下の冷凍室に放り込まれた冷凍食品のような気分。

「…………それは」

 直ぐには答えられなかった。

 というより答えたくなかった。

 その返答は関係の終わりを意味するから。

 ボクは大和の質問に答える義務がある。責任も。正直に、嘘偽りなく。

「…………」

 なのに言葉が出ない。自分の気持ちを喋りたくない。

 やっぱりボクは卑怯者の偽善者なんだ。都合が悪くなると誠意を欠いて自己保身に走ろうとする。

 そんな自分が堪らなく嫌いだ。

 そんな自分だから、最終的にこういう結果を生むんだ。

 エンドロールは目前に迫っている。

 舞台の幕を下ろす時が来た。

 道化なら道化らしく滑稽な演技で。上手く笑えないけど、壊れた仮面でもまだ顔は隠せる。

「……白々しい質問をするんだね君は。本当はもうとっくに気づいているんだろ?」

 ボクは大和に告白する。心の中で『さよなら』と『ごめんなさい』を呟いて。

「……そうだよ。ボクがあの時、ひめちゃんをいじめた犯人なんだよ!」

 それで終わらせるつもりだった。

「ん? いや、それは有り得ないだろ」

「………………え?」

 びっくりするくらいの即否定だった。

 というか、なんかリアクション薄っ!

「え、なんで? なんでそんなにリアクション薄いの!? ひめちゃんをいじめた犯人なんだよ! 君はひめちゃんをいじめた犯人が憎くないの?」

「ん? いや、犯人を許す気はないけど?」

「ほら、そうでしょ!?」

「でも、お前は犯人じゃないから」

「その謎の信頼性はどこから来るの!? 何を根拠にそう思ったの君は!?」

 いや、だってと、大和はボクの質問に答える。

「お前なら、そんな回りくどい事しないで、姫光に何かムカつく事があったら本人に直で文句を言うだろ?」

「…………」

 説明に納得しかけた自分がいた。

 たしかに。

 中学時代はそうだった。バスケの練習中に何度も意見の対立でひめちゃんとぶつかっていた。

 あの子、部長キャプテンのくせに考えなしで行動するから。

 それは小学生の頃も同じだ。

 ボクがひめちゃんにブチ切れたから。

 ひめちゃんと取っ組み合いの喧嘩をしたせいで。

 だからこそ、大和にあの時ぶたれた。喧嘩の仲裁に入ったドサクサで大和はやむなく実力行使に出た。不本意な暴力をともなって。

 ボクの方が怒りのほこを収めなかったから。

「それにな、もしも仮にお前が本当に犯人だった場合。いじめの内容が軽過ぎる。お前の場合だと、もっとこう精神メンタルをガリガリ削るようなエグくてヤバいやつを思い付きそうだからな」

「………………ええっ」

 何そのマイナス方面への異常な信頼性。今の発言は結構ショックなんだけど!?

「つーか、お前マジでどうした? そんな“分かりやすい嘘”付いて、やっぱ何かあったのか?」

「…………」

 分かりやすい嘘。

 大和はボクのことを疑っていないの?

 それともボクの事、信頼してくれてるの?

 だとしたらそれは──。

 そんな事を考えたせいだろうか。さっきまで冷えていたはずの心の臓器がカッと熱を帯びて激しく鼓動した。

「何かあるなら遠慮なく言ってくれよ。聞くだけなら俺でも聞いてやれるからさ」

 大和から再度投げかけられる答え辛い問い掛け。

「……ボクにだって言えないことがあるんだよ」

 ひめちゃんを嫌う理由。それは裏を返せば君への愛の告白だから。

「言ったでしょ。ボクは君が思っているよりもずっと弱くて……駄目な人間なんだ」

「……そっか。そうだよな」

 大和は。

「俺もそうだから。お前の気持ち、多少は分かるよ」

 またそうやって。

「俺もお前にずっと言えなかったこと、あるから」

 自分の事を犠牲にするんだ。

「俺はな、お前にずっと謝りたいことがあったんだ」

 大和はボクに。

「あの時、お前の顔を引っ叩いたこと──悪かったと思っていたのに……俺は結局、今の今まで、そのこと、お前にちゃんと謝ってなかった」

 ずっと抱えていた自分の罪の意識を包み隠さず話してくれた。

「今までずっと謝らなくて悪かった。あの時は痛かったよな?」

 痛かったのは張られた頰より心の方だったけど。

「ごめんな伊織。俺はもう二度とお前にも他の奴にも暴力は絶対に振るわないから」

「…………」

 なんでなの?

 最初に浮かんだ疑問がそれだった。

「なんで君が謝るの?」

「いや、それは暴力を振るってお前を泣かせたから」

「たしかに暴力は悪いことだけど。それにだって正当な理由があったはずだ。そうだよね?」

「……………」

 ボクは言う。大和に対する想いの丈を言葉に乗せて。

「君、何も悪くないじゃんか。何も悪くないのに……勝手に謝らないでよ!」

 そして。

 ボクと大和の二人きりの口喧嘩が始まる。

 相手の非を真っ向から否定する珍妙な口論。

 大和を悪者にしたくない。

 彼の名誉を守るためにも、自身の存在意義を、人としての価値を正しく理解してもらうためにも。

 この口論にだけは絶対に負けるわけにはいかない。

「君さ、本当に自分が悪いと──自分が悪者だと思っているの?」

「え? ……ああ、自分自身でもそう思っているから」

 違うよ。

 そう周囲に思い込まされているんだ。

 悪いのは君をそう思わせた環境と、それを取り巻くボクを含めた『みんな』のせいなんだ。

「じゃあ、言ってみてよ、自分の悪いところ。ボクが君の非を──悪いところを全て否定してあげるから」

「…………?」

 唐突な口論の申し出に面を食らう大和。

 まぁ、その気持ちは良く分かるよ。自分でもおかしな発言をしてる自覚はあるから。

「ほら、早くしてよ。言わないと始まらないからさ」

「え? えーと、たまに遅刻する……とか?」

「たまになら誰にでも起こり得ることだから、決して悪いことではないね。まぁ、反省の色が無い場合は問題があるけど……君はそうじゃないから大丈夫だよ。はい、次」

「次? えっ、えーと。中学の時、お前の制服姿をからかったこと、とか」

「あっ、うん。それは今でも根に持ってるけど」

「やっぱ根に持ってたんだ……」

「うん。でも思い出の1ページとして脳内補完したから、もうそれは悪い事では無いね。はい、次」

「はぁ? いや、後は似たようなもんだぞ? 小学生までお前のことを伊織“くん”呼びしてたりとか、後は……」

 チラリと遠慮がちにこちらの顔を覗き見る大和。見ている部分はおそらく前髪で隠れた右目の方だろう。

「右目の事はボクが勝手に気にしているだけだから、君のせいでは無いね。はい次」

「……後は、バスケの自主練の時にぶつかってお前の胸を──触ったり、とか」

 気不味そうにポツリと呟く大和。

「…………ふぁ」

 思わず変な声が漏れた。

 そのことは鮮明に覚えている。

 ゴール下の位置どりポジショニングの時に抑えられた拍子で割としっかり胸を掴まれたから。大和の手のひらにボクの胸がすっぽりと収まる感じで。

 あれは鷲掴わしづかみにしていると言っても差し支えのないレベルのボディタッチだった。

 言っておくけど断じてボクの胸が小さいわけではない。大和の手のひらが平均より大きいだけだから。ボクは別に胸小さくないし!

 いや、そんなことはどうでもよくて。

「それは、仕方がないよ。事故なんだから……」

「いや、お前、あの時めちゃくちゃ怒ってただろ。あれは悪いことなんじゃ……ないのか?」

「……それは周りの目があるから、“仕方なく”怒ったんだよ」

 あと、ボクの胸に対する君の視線が「やっぱり小さいな」って目で語ってたから。

 それはボクの被害妄想だと信じたい。

「……あん? 言っている意味が分からないんだけど?」

「そ、それはいいからっ、はい次!」

「…………?」

 怒ってない理由は割愛した。本人を目の前にして説明するのは恥ずかしいから。

 というか、さっきから悪いと思っている内容が小学生レベルのしょうもない事ばかりで口論にすらなって無いんだけど。

 いや、裏を返せばそれは大和が悪事を全然働いていないという証明でもある。

「さっきから下らない事ばかりを悪事みたいに言っているけど。君ってさ、噂されてるほど悪い奴じゃないんだよ。もしかして自覚がなかったのかい? 君って割といい奴なんだよ」

「………………うん?」

 首を傾げて珍妙な顔をする大和。どうやらリアクションに困っているみたいだ。

「……なんでお前、俺のこと褒めてんの?」

「ん? 褒めてないよ。ボクはただ君が悪いと思っていることを否定しているだけだから」

「…………んんん?」

 まぁ、昼間の件に対する意趣返しも多少はあるんだけどね。

 よくもまぁ、本人を目の前にして褒めちぎってくれたもんだ。

 倍返しにするから覚悟してよね。

「君ってなんだかんだで律儀だよね。口では文句たれているけど掃除とか雑用はサボらないでちゃんとやるし。だれにも頼まれてないのに率先して兎小屋の掃除したりとか」

「……それは生き物係の仕事だからだよ」

「君って意外と責任感あるよね」

「……意外は余計だ」

「あと、割と優しいよね」

「割とって、何を基準にしてそう判断したんだ?」

「それは秘密」

「…………?」

 偶然か必然なのか。

 奇しくも今回ボクが仕掛けた大和の非を否定するこの口論は裏を返すと彼に好意を寄せている証明にもなっていた。

 偶然が三つ重なるとそれはもう偶然では無い。

 ボク達は同じ日に生まれた同じ故郷の隣同士。

 今日の星座占いは一位。ラッキーポイントは公園のベンチ。それは彼も同じ。

 彼の運勢はボクの運勢。

 表裏一体。裏の裏は表。

 好きだから嫌いだと伝えたい。

 それが叶わないなら、せめて気付いて欲しい。

「君が自分自身のことをどう思っているのかは……大体は把握しているんだけど。その被害妄想からくるネガティブな思考は今すぐ捨て去るべきだよ」

 どうか、この想いが彼の心に届きますように。

「この際だからはっきりと言わせてもらうけど、君って結構、魅力的な男なんだよ」

 そう言ってる途中で『その事』に気付いてしまったから。

「そんな魅力的な男であるボクの『大切な人』を悪く言うのは、たとえ相手が“君”でも許さないんだからね?」

 ボクは心の中で告白する。

「しっかりしてよね。君がだらしないとボクまでだらしないと思われるから」

 ずっと昔から──。

「いつまで経ってもだらしないままだと、いつかそう遠くない未来で──」

 ボクは君のことが──。

「ボクが君のこと『逮捕』しちゃうからね?」

 大好きだよ大和。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る