電話、料金が発生しない通話

 とにかくすがり付けるものが欲しかった。

 とにかく落ち着ける場所が欲しかった。

 とにかく眠る時間が欲しかった。

 とにかく身体の震えを止めたかった。

 とにかく一人きりになりたかった。

 とにかく恐怖から逃げたかった。

 とにかく辛い現実を忘れたかった。

 自分の心を守ってくれるものなら思い出でも品物でも場所でも、なんなら自分の指だって。

 なんでも良いんだ。

 なんでも良いから慰めてよ。

 なんでも良いから優しくして。

 でも、だけど。

 なんでも良いけど、誰でも良いわけじゃない。

 君が良い。君以外は嫌だから。

 君の口で、君の声で、君の言葉で肯定してよ。

 私もボクも何も悪くないって。

 耳元で甘い言葉をささやいてよ。

 恋人みたいに。頭を撫でながら愛玩動物みたいに可愛がってよ。

 せめて妄想の中だけでも良いから。

 せめて眠るまでの間だけでも。

 せめて君の名前だけでも呼ばせてよ。

「うん。大丈夫、安心して雪雄からはちゃんと逃げ切れたから」

 話し相手はスマートフォン。画面には待ち受けにしている新之助の画像が写っている。

「もー、君は本当に心配性だなぁ。流石に雪雄でも走って逃げたら追って来ないよ」

 通話料が発生しない電話。話し相手のいない電話。耳にスマートフォンを当てるだけの電話。

「……うん。そうだよね? 大和もそう思うよね?」

 カーテンを閉め、部屋に鍵をかけて、灯りを消して、誰にも邪魔されない自分だけの居場所を作る。

「悪いのは大和を信じない馬鹿な奴らなんだよね? ボクは何も悪くないよね?」

 ブラウスを脱ぎ捨てて、スカートでドーナツを作って、大切な宝物と一緒にベッドの上に寝っ転がる。

「どうして“みんな”はあんなに頭が悪いんだろうね? 一体何のために塾に通ってたんだろ? ほんと、お金の無駄遣いだよね」

 タイツを脱いで、ブラジャーのホックを外して、ショーツを膝まで下ろして、準備を終えたら最後に宝物を胸の上に乗せる。手に持っていたスマートフォンは準備をしている間に床に落ちた。

「もー、駄目じゃないか大和。いきなりがっつくのはマナー違反だよ。自分の家訓を忘れたの?」

 いつもより激しく、いつもより積極的に。でも、いつもより少しだけ優しいボクの指。

「んっ……いつもより優しくしてるって……そういう意味じゃないんだけど……ふっ……はぁ……」

 妄想の中の君はボクにだけ優しくて、ボクの事だけを見てくれて、ボクの気持ちを誰よりも理解してくれる。

「んっ、はぁ……良いよ……来て、大和」

 名前を呼べば呼ぶほど君を近くに感じられるから。だから、ボクは何度でも君の名前を呼ぶよ。

「はぁ、はぁ……大和、大和……大好きだよ……ずっとボクのそばに居て」

 何度でも何度でも君に愛の言葉を伝えるから。

 だから。

 もうちょっとだけ、君のことを好きでいさせてよ。

 他には何もいらないから。気持ち良くなれればそれで良いから。

 なのに。

「……爪、ちょっと長かった? もしかしたら指に血が付いちゃったかも」

 終わるとどうしてこんなに気持ち悪くなるんだろう。デリケートな部分がヒリヒリしてちょっとだけ痛い。

「……うん。大丈夫だよ。ありがとう大和。ボクはもう大丈夫だから」

 これで少しは眠りにつける。

「ボクはもう大丈夫だから」

 瞳を閉じて宝物をギュッと抱きしめる。

「うん。おやすみ」

 愚者からは逃げられても悪夢と現実からはどうやっても逃げられないのに。

 家に帰って早々、ボクは自分の部屋に閉じこもって自分を慰める事に没頭する。

「また明日ね。大和」

 そんな言葉を呟き、ボクは微睡みに意識を手放した。

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