対決、恋敵への宣戦布告

 身体が震えたのは吹き抜ける夜風が悪寒を覚えるほど冷たかったせいだと思う。


「何しに来たって訊いてんだよ。早く答えろよ、なぁ、青海!」


 会敵エンカウントした瞬間に脳内にある選択コマンドが『にげる』にカーソルを合わせる。


 退路はある。質問に答える義理は無い。身の安全を確保するなら戦わないのが一番賢い選択のはずだ。

 はずなんだよ。


「何って、姫川に──いや、姫光に会いに来たんだよ」

 脳内の選択コマンドが『バトル』を選択。

 自分でも驚くほどすんなりと言葉が出た。


 多分、疲れ過ぎて肩の力が抜けたんだと思う。クソ重いバッグも持ちたく無いし、目的地に着いてすぐトンボ帰りするのはしゃくに触るし。出来たら少しくらい休んでから帰りたいし。血液型がBの奴は基本的に自己中でマイペースだから。


 それに、久しぶりに大輔さんにも会ってみたいし、奥さんがどんな人かこの目で見てみたいし。

 まぁ、そんなのは全部建前であって主目的では無い。

 もういい加減、逃げるのに疲れた。

 破れかぶれ。自暴自棄。もうどうにでもなれ。

 どうせ駄目なら、がむしゃらに足掻いて悔いのない最後を迎えたい。

 もう後悔はしたくない。

 ジレンマはもうウンザリだ。

 だから──。


「人ん家の前でストーカーみたいに出待ちしているお前に用は無いんだ。さっさと退けよ」

 俺は雪雄に『全力』で喧嘩を売る。

「プハッ……ハハッ──アハハハハハッ」


 ケラケラと壊れた機械の様に笑う雪雄。第三者が見たらキチガイの不審者だと思われても不思議じゃないレベルの高笑いだった。


「愉快そうな所を悪いけど、ここ人ん家の敷地内だから近所迷惑考えて笑えよ、なぁ、ストーカーの湯沢さん」


 ガッと。

「ストーカー、ストーカー五月蝿いんだよっ! それしか言えないのかよ犯罪者ァ!」


 俺の腕を強引に掴んで万念力の様にギリギリと締め付ける雪雄。

「…………っ」

 控えめに言ってめっちゃ痛い。

 悲鳴が出るほど痛いけど、痛がると相手に優位マウントを取られるから鋼の精神で痩せ我慢を決行。


「手を離せよ。あと、静かにしろって言ってんだろ。お前はチンパンジー以下の学習能力しかないのか? 騒いだら夕方の二の舞になるだろ」

「……チッ」

 舌打ちを一つ、雪雄は憎たらしそうに掴んでいた俺の腕を投げ捨てる。


「つーか、否定しないならお前も犯罪者になるんだけど、そこんとこ分かってて人を犯罪者呼ばわりするんだよな? なぁ、メンヘラのしつこいエゴイストの湯沢さん」


 こちとら伊達や酔狂で地元最強の口喧嘩番長である委員長様と日々、口論してないからな。雪雄程度に口論で遅れを取ったら委員長様に顔向けが出来ない。


 口喧嘩もとい、口論での基本行動は全部で三つ。相手を煽る。相手の矛盾を突く。そして自分はあえて後手に回り冷静さを失わない様に観察にてっする。


 それが今までの委員長様との口喧嘩で培った口論の必勝法だ。

 なお、それを踏まえた上でも俺は未だに一度も委員長様に勝てていない。


 舌戦において知性が拮抗した場合だと最終的に冷静さを欠いた方が負ける。

 人は冷静さを欠くと正常な判断を下せず論理に矛盾が生じる。

 矛盾が生じて虚偽が生まれる。

 虚言を吐く偽りの正義では何も守れないし何も救えない。


 だから俺は雪雄を否定する。

 偽者の王子様には舞台からさっさと降りて貰おう。


「ハッ、何の根拠があってオレをストーカー呼ばわりしてるか知らないが、お前が犯罪者なのは揺るぎない事実だろ。盗人猛々しいんだよお前」

「へぇ、ブーメラン投げるのが得意になったな湯沢。立場が逆転するとお前も俺と似たような事言うんだな」

「似てる? オレとお前を一緒にするなよ。お前は姫を傷付けた犯罪者だろうが」

「似てるだろ。お前は今、何の証拠も無いのに俺にストーカー呼ばわりされてるし、お前は何の証拠も無いのに俺を犯罪者と呼んでいる。ほら、一緒だろ? 何が違うんだよ?」


 二年近く経ったからこそ言える事もあるし、時間が経った分だけ準備出来る事もある。あの事件の不自然な点を王子様に突き付けるシミュレートは万全だ。


「何つーか、思い込みって本当に怖いよな。気持ち一つで相手を簡単に悪者に出来るんだから。犯人扱いされる方はたまったもんじゃねーよ。なぁ、そうだろ湯沢?」

「ふざけるなよ。お前の方は立派な証拠があるだろうが」

「へぇ、前から思ってたけど目撃証言ってさ『お前』が『俺』の不審行動を見たんだよな?」

「……ああ、そうだ。お前が早朝や放課後に姫の机や下駄箱の周りでウロウロしていたのをオレはあの時見たんだ」

「…………」


 不覚にも、この時ボイスレコーダーにちゃんと雪雄の肉声を録音していなかったことを俺は後で割と後悔する羽目になる。


「へぇ……じゃあ訊くけど、何でそんな時間のそんな場所に『お前も』居たんだ? 何の用事があって姫光の私物がある場所をうろついてたんだよ?」

 俺の問いに雪雄は──。

「…………」

 押し黙り深く考える素振りを見せる。長考するという事はつまり反論する材料を探しているという事になる。


「……お前は何の目的でうろついてたんだ? 姫の私物を盗むためだろ? なぁ、そうだろ青海」

「はぁ、お前、忘れたのか? 俺は姫光を苦しめる犯人の手掛かりを探していたんだよ。つーか質問に質問で返すなよアホかお前。俺はお前に質問したんだよ早く答えろ」


 そして。

「……オレもそうだよ。姫を傷付けた犯罪者を──見つけるために証拠を探して──」

 雪雄は欠点ボロを出した。

「今確かに言ったよな? 犯人を探すために自分も姫光の私物がある場所をうろついていたって」


 ならさ、と俺は言う。

「立場が逆転したらお前は一体どうするつもりだったんだ? 自分も立派な容疑者の一人だって自覚はあったのかよ?」

「…………」

「おい、黙るなよ湯沢。ちゃんと答えろ、お前は何の根拠で自分と同じ境遇の相手を犯人扱いして糾弾したんだよ? なんか他にあるならさっさと言えよ」

「…………」

「まぁ、そりゃ言えないよな? なんせあの時の糾弾材料はそれしか言ってなかったからな?」

「…………」


 気が付けば口論は俺の優勢で進んでいた。

 雪雄も意外と大したことないな。

 そう思える様になったのも、ひとえに俺が夕方の時『ある事』に気付いたせいだろう。


 俺は雪雄に負けたんじゃ無い、雪雄を中心にした『数の暴力』に負けたんだ。あの時と今の状況に決定的な差があるとすれば、それは今この場に雪雄に味方する取り巻きがいない事だ。


 王子様は家臣がいないと一人で何も出来ない腰抜けだった。

 そう思ったらもう雪雄が怖くなくなった。


「あともう一個、お前に訊きたいことがあるんだよ。お前、何で大智に『犯人を探すな』って止められてたのにそれを無視したんだ? 俺はそれを無視したおかげで大智と絶交する羽目になったんだけど──何でお前だけおとがめがなかったんだ? 不自然だよな、事後処理も含めて『あの事件』は不自然だらけだった、そうだろ湯沢?」

「……るさい」

「あっ? なんだって何か言ったのか?」

「ごちゃごちゃ五月蝿いんだよ! 犯罪者は犯罪者らしく大人しくしてればいいだろ、目障りなんだよ、お前!」


 論理もへったくれもない返しと共に拳を振り上げる雪雄。

 雪雄が繰り出した右フックを俺は華麗に避け──れなかった。

 原因は背負ったクソ重いバッグに身体の重心をずらされたからだ。


「……っ!?」

 雪雄のパンチが回避に失敗した脇腹に直撃する。鈍器で殴られた様な鈍痛が腹部にズキズキと走る。


 だが、忍耐力だけは人の何倍もあると自負している俺はそれを「はっ、お前のパンチなんて屁でもないぜ」という雰囲気を醸し出して痛みに耐え忍ぶ。

 本音を言うと今にも悲鳴を上げて地面に転げ回りたいほど痛かった。気分的に肋骨が何本か折れたマンガキャラの様な心情だった。


「……はっ、口論で勝てなくなった途端に暴力かよ。お前も随分と地に堕ちたな。俺の知っている生徒会長だった頃の湯沢雪雄はもう少し利口だったはずなんだけどな。偏差値低い高校に通っている間にお山の大将にでも成り下がったのかよ?」

「減らず口叩くんじゃねえよ! クソ野郎が!」


 雪雄がもう一度拳を振り上る絶対絶命のピンチの最中、俺の前に救世主が現れる。


「あらあら、どちら様ですか?」

 姫川家の玄関からそんなのほほんとした温和な声を発する人影がガチャリとドアを開けて外に出て来た。


「あらあら、まぁ……これは随分とカッコいいお客様ね。もしかして姫光ちゃんのお友達かしら?」

 細目で優しそうな表情の少し天然そうな空気をまとった二十代くらいの女性。心なしかお腹のあたりが少しだけ膨らんでいる様に見える。


 俺の知る姫川家の人物の誰とも一致しない黒髪の女性。

 俺はその女性が件の『お義姉ねえさん』だと悟る。


 ぱっと見の印象でかなりの美人だと思った。これが人妻の気品てやつか。いや、何考えてるんだよ俺、今それどころじゃないだろ。


「ごめんなさいね〜。わたし、まだこのお家に引っ越して来たばかりだから貴方のお名前分からないの。良かったら教えてちょうだい、ね?」

 のんびりとした口調で俺に語りかけるにっこり笑顔のお姉さん。

 呼称が奥さんとお義姉さんとかで迷ったけど名前を知らない以上ここはお姉さんで通すのが一番自然だと思う。


「あ、……初めまして。俺は大智と姫光の同級生の青海大和です。夜分遅くに突然訪問してすみません」

「あらあら、これはご丁寧にありがとうございます。わたしは大輔くんの妻の真姫まきです。よろしくね大和くん」

「あっいえ、こちらこそよろしくお願いします」


 大輔さんの奥さんである真姫さんにぺこりと会釈され少しかしこまった挨拶を返す俺。


「それで今日はどういった御用件でうちに来たのかしら?」

「えっ、あーそれは……」

 視線をウロウロと周辺に彷徨わせていたら、さっきまで口論していた王子様の姿が消えている事に気がつく。


「…………」

 雪雄の野郎、俺を囮にして逃げやがったな。アイツ、マジなんなん?

 いや、むしろこっちとしては好都合か。これで邪魔者は消えたわけだし。


「その、実はですね……」

 そして俺はこれまでの経緯をかいつまんで真姫さんに説明する。

 無論、姫光の家出理由を含めた話せない内容は伏せたままだ。

「あらあら、それは大変だったのね〜わざわざ届けに来てくれてありがとうね」

「それでですね……大変申し訳ないんですけど、少しだけ姫光に合わせてもらってもよろしいですか?」


 俺のお願いに真姫さんは申し訳なさそうに眉を八の字にする。

「ごめんなさいね大和くん。姫光ちゃん、まだお家に帰って来てないのよ」

「……えっ?」


 まだ帰って来てない? まさか、アイツあのままの格好で家出を続ける気なのか?

 予期せぬ事態に当惑する俺。

「それでね、さっき大輔くんが姫光ちゃんを探しに出掛けたから、わたしは一人でお留守番してるの」

「…………」


 大輔さんが探しに行ったのならもう俺の出る幕じゃない。

 あとは大人に任せよう。家族問題は家族が解決すれば良い。

 そう思い掛けた時である。

「大和くんも心配よね。場合によっては『お巡りさん』に捜索願いを出さないといけないから。大輔くんには頑張ってもらわないとね?」

「……っ」

 少し意地悪そうにニコッと微笑む真姫さん。その悪戯っ子みたいな顔は俺の事を試している様に見えた。

 この婦人、天然そうなのに意外とあざとい。


「大和くんはどうする? お姉さんと一緒にここで待つ?」

「…………」

 そうだよな。このまま終わらせるのは──終わりにしたら駄目だよな?

 俺はまだ姫光にちゃんと謝っていない。


「すいません。俺、行きます」

 軽いお辞儀をして「これお願いします」とクソ重いバッグを玄関の入り口の段差に置く。妊婦に重い物は持たせられないから自分で運べる場所まで運ぶのが最低限の礼節マナーだと思う。


「いってらっしゃい。頑張ってね」

 別れ際に手を振られたのは『帰る』からなのか『行く』からなのかはよく分からない。

 分からないけど。

 分かる事が一つだけある。

 それは──。


「青海、お前はもう帰れよ」

 姫川家を離れた途端に王子様と再び会敵する。どうやらさっきの会話を盗み聞きしていた様だ。

「姫はオレが探す、お前は──」

「いつまでガキみたいなこと言ってんだよ!」


 俺は雪雄に言わなければいけない事がある。

「お前、状況分かってんのか? 今は一人でも捜索にあたる人数が必要なんだぞ。早くしないと姫光の奴が警察に補導されるかもしれないこの状況下で自分の自我エゴを人に押し付けるなよ!」

「分かってないのはお前だろ。役立たずのお前が行ったって姫の迷惑になるだけだ。無能はさっさと消えろ。邪魔なんだよ」


 時間が経って冷静さを取り戻したのか、さっきよりはマシな煽りをする雪雄。

 けどな、こっちはお前にかまってる時間も余裕も無いんだ。

 昨日はともかく今日の姫光の家出は俺にも責任がある。

 責任は果たさなければならない。

 だから──。


「この機会だからハッキリと言わせもらうわ。お前には『雪雄』には何があっても屈しないし、どんな困難があっても負けないからな」

 俺は雪雄に宣戦を布告する。

「今まで姫光を守ってくれてありがとうな雪雄。でもな、もうお前一人だけに良い格好はさせないから」


 よく覚えておけよ、と啖呵たんかを切って俺は言う。

「俺はからな!」


 雪雄は。

「……そうか、勝手にしろよ」

 思いのほか、あっさりとそれを聞き入れた。

「もう一度警察に捕まっても知らないからな」


 そんな捨て台詞を残し雪雄は俺に背を向けて闇の彼方へと消えていく。向かう方角から察して、おそらく今から海浜公園に向かうのだろう。


「はっ、大きなお世話だよ馬鹿野郎」

 俺もきびすを返して雪雄とは真逆の方向へ走り出す。


 別に雪雄と勝負をするつもりはない。単純に効率の面で二手に分かれた方が都合が良いから。


 いや、でも。やっぱり、雪雄に負けたく無いという意思が俺の中にあったのかもしれない。


 一人相撲だろうが何だろうが闘わないまま負けを認めるのは癪だし。


「やっぱ自転車チャリ乗ってくれば良かったな、クソッ」

 そんなしょうもない愚痴を吐き捨て俺は夜道をひたすら走り続ける。


 目指す場所に──姫光の居場所に当てはある。心当たりがある。

 アイツも馬鹿じゃないから同じてつは踏まないだろう。


 俺が姫光の立場になって考えるなら最期に頼る相手と場所は『あそこ』しかない。

 今はもう失われた場所である『直江津サンシャインスクール』の跡地に。きっと姫光はそこにいる。俺もきっとそうしていたから。


 そう思ったせいか、疲れていたはずなのに、足取りは不思議と軽かった。

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