幼馴染

 桃花は学校指定の紺の体操服に身を包んでいた。細身で上背があって、顔立ちも整っているがゆえに女性らしい柔和さよりもシャープさが全面に出たどこかユニセックスな雰囲気がある。妹の郁子香とは全く異なるタイプだ。

 服装からして部活を途中で抜け出して来たのだろう。彼女は男子バスケ部のマネージャーをしている。時間からして用具出しなんかの準備だけ済ませてここに来たというところか。


「よかった、いたいた」

 戸を閉めて入室した彼女は、パイプ椅子を移動させてカーボンヒーターの前に陣取った。椅子こそ俺のほうを向いているが、半身のような恰好でてのひらをヒーターの橙色の光にかざしている。


「これでもいちおう部長だからな。けど、なんだよまた。お前がこんなとこ来るなんて珍しいな」

 文庫にスピンを挟んで閉じそのまま左手もろとも太ももの上に乗せる。

 ネームプレートさえ出ておらず、そこに部屋があると把握している生徒は少ないため部外者によって文芸部の門が叩かれることはめったになかった。熱心に勧誘するような部活でもないので、体験入部の時期に訪れる新入生でさえ数えるほどしかいなかったくらいなのだ。


 部活らしい活動はしていないとはいっても、部長として俺は毎日部室の鍵を開けることにしていた。放課後は決まって部室にいる。郁子香もだいたいはいる。ここへ足を運べば俺や郁子香がいると桃花は知っているが、そこまでして放課後にどちらかに会わなければならない事態などそうそうなく、たいていの用事はスマートフォンのやり取りで済んでしまう。彼女は彼女で部活があるのだから、この時間帯に桃花と校内で顔を合わせること自体稀だった。


「ちょっとね」

 思わせぶりに言葉を濁した桃花は長机の上に視線を落とした。

 机の上には、飲みかけでキャップの空いたボトル缶のコーヒーと、そして、リボンのついた透明のOPP平袋があった。袋のなかには、まだ手をつけていないショートブレッドが二本残っている。

 明らかに桃花は小袋とその中身を見ていた。


 彼女がどんな反応を示すのか気が気ではなかった。バレンタインにもらったショートブレッドを、その翌日に人目を避けひとり部室で食べていた、その事実が露呈してしまった。郁子香でなくとも誰かに見つかるのはできることであれば避けたかった。むしろ桃花のほうがよほど性質が悪いかもしれない。こんなことならば下手に策を弄して本棚の下段に隠したりなどせず大人しく持って帰っていれば良かった。


「なに? 持って帰らなかったわけ? こんなとこで食べて隠れてるみたい」

 みたいというか実際俺は隠れていたわけだが、桃花の口調は冗談めかして印象をそのまま言葉にしたという口ぶりだった。ふーんなどと訳知り顔で頷き、我が子を見守る親のような温かなまなざしを投げかけている。


 変に食いつかれあれこれと言われるよりは良かったが、すべて了解しているといった表情で見つめられるとやりにくい。自宅で味わうでもなくこんなところに籠って人目をはばかりひとり義理のショートブレッドを食べている俺のこの心理を見透かされているような心地がした。口元が歪むのが自分でもはっきりとわかる。苦笑いじみた乾いた息しか漏れない。こうしたときに、おどけて気まずさを洗い流してしまえる性格であったならどれほど楽だっただろうか。笑い飛ばしてみようとしても喉もとで言葉は閊えて声になってくれない。


「これ一個もらうよ」

 桃花は座ったまま椅子に片手をかけて少し体重を前にかけるようにして手を机の上へと伸ばした。器用に指をかけて袋を回転させ、なかのショートブレッドを摘まみ取るとそのまま口にほうりこんだ。口元を手で覆いしばらく顎を動かしていた彼女がやがてつぶやく。


「これちょっと粉っぽい」

「お前なぁ。いくらなんでもそれははないだろ」


 そうぼやきつつも、普段通りの雰囲気になって言葉が自然に出てきたことに俺は安堵する。異性だからなんでも話せるわけではなかったが、それでも幼馴染としてお互いの性格は理解し受け入れていた。俺がこの手の話題を苦手としていると桃花はわかっているし、こちらが拒めば彼女は無理に詮索しようとしないと知っていたではないか。変に気負う必要などなかった。


 いつものように接すればいいのだと思えば気が楽になり、最後のショートブレッドをつまんで頬張った。

 だというのに、桃花は何気ない調子でこう言ったのだ。


「レイは告白とかしないの?」

 気が緩んだところだっただけに完全に不意を突かれてむせそうになる。ショートブレッドだというのもいけなかった。噛み砕いて崩れたかけらが、ともすれば気道に入りかねない。口をふさいだまま咳をして胸を叩いてなんとか呼吸を落ち着ける。


「いきなりなんだよ」

 人心地ついたところでコーヒーで喉を湿らせてから俺は抗議の声をあげた。

「ほら、逆チョコとかあるでしょ」

「バレンタインはもう終わっただろ」

「たしかにそれはそうかもしれないけど、ホワイトデーがあるでしょ。バレンタインのお返しだけじゃなく自分から告白とかさー」


 長机の上の透明の小袋に目をやる。全部食べてしまって空になった袋の隅には、崩れてできた焦げ茶の粉が溜まっている。ショートブレッドは机の天板と似た色合いだったが、粉になったせいか色が薄まっていて木目調の化粧板の上でも目立った。

 食べかすがこぼれないよう口を内側にして縦に三つ折りにして、さらに横に二つ折りにしてリボンと一緒にブレザーのポケットに入れる。部室にゴミ箱はない。

 

 桃花の表情をうかがってみる。笑みをたたえるでもなく自然に細まった目が俺を見つめていた。自身が投げかけた言葉の反応を探るのような視線は、だからこそ感情が読みにくく、その言葉の真意を確かめることはできなかった。

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