魔法が壊れる日
チョロすけ
第1話「不死者の死」
「不死者が死んでるんです。これはおかしいと思いませんか?」
中央寺院の地下、石台に乗せられた死体を前に、ぼろ布で顔を覆いながら魔術師サイファは上級魔術師エイダに問いかけた。エイダもマフラーで鼻と口を押さえている。二人とも腐乱死体など生まれてこのかた見たこともない。もちろん死臭などに耐性があるはずもないのだから、この反応は当然だ。
「おかしいのは見れば解るわ。腐ってるわね。これが人間が腐るってこと?」
いまいましげにエイダは死体を見下す。おそらく生前は整った顔立ちの若者であったろう男の顔は、カビの生えたトマトのようにぐずぐずに崩れていた。緑がかった腐肉の表面では大量の白い蛆が嬉しそうに頭を振っている。
ごぼりという音を立てて、死体の鼻の穴から腐汁の泡が飛び出した。エイダはきゃあという女らしい悲鳴をあげて死体から離れる。腐汁が術服に飛んでいないかと必死に体中を見回している。見かねたサイファは膝まずくと、彼女の裾を布で丁寧に拭き清めた。術服が汚れているようには見えなかったが、そうすることによって少しでも心安らかにしてもうらおうと思ったのだ。
「耐えられない。出ますよ」
死体に背を向けると、エイダは逃げ出すように階段を駆け上り地下室を出て行った。慌ててサイファも後を追う。いつもエイダはサイファの都合などお構いなしだ。不死者の死因を一刻も早く調べるのが二人の任務なのに、彼女は死体の不快さに耐えられず職務放棄してしまった。
「待って下さいエイダ様。恐れ多くも中軸魔術師様からの直々のご命令なのです。ちゃんと死体を調べましょう。中央寺院への聞き込みもせねばなりません」
追うサイファのほうへ振り向きもせず、エイダは、
「あなたがやりなさい。私はこんな下賤な仕事はしませんよ」
と吐き捨てた。幼少時から彼女のことは良く知っている。こうなってはもう言うことを聞くような人ではない。諦めの滲んだ顔でサイファはエイダの小さくなってゆく背中を見送った
*
エイダとサイファが魔術界最大の実力者、中軸魔術師ゴダールの自宅に呼び出されたのはつい先日のことだ。
思わぬ大物からの呼び出しに緊張する二人を前に、ゴダールは、
「まぁ座れ」
と椅子を勧めた。中軸魔術師の前で椅子に座るなど論外の無礼である。二人は固辞したがゴダールは聞く耳を持たず、ほぼ無理やりに二人を座らせた。ゴダールの姿は雄偉でいつも若々しい。もう百年も生きているという者もいれば、いやいや二百年以上だという者もいる。しかし、目の前に座る男はせいぜい30才そこそこにしか見えなかった。
「二人共、いくつになったかな?確か同い年であることだけは記憶しているのだが」
「20才になりました」
エイダが答えた。
「ほお、ついこの前は二人共オムツをつけて歩いていたような気がするが。何にせよ時間が経つのは早いものだ。さて、無駄話はこれくらいにしようか。今日お前たちを呼んだのは他でもない。折り入って頼みがあるのだ」
「仰せのままに」
依頼の内容も聞かず二人は即答した。条件反射のようなものだ。魔術師にとって中軸魔術師の言葉は絶対であり、否という返事はない。
「よい返事だ。嬉しく思うぞ。」
満足げにゴダールは笑うと、彼は本題を切り出した。
「実はだな、先日ある不死者が動かなくなった」
「動かない、と申しますと?」
右目を少し細めながらエイダが聞き返す。片目を細めるのは彼女が緊張しているときの癖で、サイファはこの表情が好きだった。居丈高で冷たいように見える彼女の、弱い部分が垣間見える気がするからだ。
「死んだ、ということだ。不死者が死ぬとは矛盾しているが、実際その不死者は死んだ。そして街の中央寺院で腐り始めておる」
「まさか、そんな話聞いたこともありません」
エイダがかぶりを振った。同調するようにサイファも頷く。生まれてこのかた不死者が死ぬなどという現象は聞いたことがない。
不死者はその名の通り、決して死ぬことがない奴隷である。殺人や姦淫など、重い罪を犯した庶民が死刑になる代わりとして不死者にされる。
病気になることも年を取ることも無く、その代り永遠に魂の安らぎを与えられることも無く、ひたすら感情のない肉人形として働かされるのだ。数千万の不死者と数千万の庶民。彼らが肉体労働を担っているおかげで、貴族階級である数万の魔術師の生活は成り立っていると言えた。
「不死者は名誉ある医療魔術師たちの魔力によって、不死者たらしめられておる。その不死者に不具合があるということになれば、庶民は我らの魔力に疑念を抱くであろう。それはあってはならないことだ
ゴダールは見事なガラス細工が施された器でワインを一気に飲み干すと顔をしかめた。予想外にワインが不味かったようだ。
「そこでお前たちにこの件の調査を任せたいのだ。本来なら魔法省の本省幹部クラスが調査するべき案件だが、それでは事が大きくなりすぎる。人の口に戸は立てられんからな。身分の軽いお前たちならば、極秘裏に調査を進めることも可能だろう」
「はい、私どもを選んで下さり身に余る光栄です」
サイファは椅子から素早く立ち上がると、おもねるようにゴダールへ拝礼した。やや遅れてエイダも拝礼する。
「ともかくも、あり得ないことである。何者かが悪意を持って不死者を死に至らしめた可能性も否定できない。どういう方法を使ったかは正直わからんがな。だがサイファよ」
ゴダールは太い眉の下で独特の光を放つ目を、サイファに向けた。
「魔術院始まって以来という秀才のお前なら、必ず原因を突き止めることができると思っておる。頼むぞ」
返事をする代わりにサイファは軽く頭を下げた。本来は畏まりましたと言いながら深く腰を折るべきなのだが、エイダに気を遣って必要以上にへりくだることをやめたのだ。
ゴダールの態度は明らかにおかしい。本来ならゴダールはまずエイダに「頼むぞ」と声をかけるべきだった。エイダはサイファの主人であり上司でもある。それなのにエイダを差し置いてサイファにだけ声を掛けるとはどういうことなのだ。なぜこのような態度に出たのだろうか?
サイファは成績優秀だ。だが彼はあくまで庶民出身の身分の低い魔術師に過ぎない。魔術師は何よりも血統を最重要視される。サイファは貴族階級であるエイダにつき従うことで魔術師としてどうにか身を保っている軽輩者だ。エイダを差し置いてしゃしゃり出ることなど逆立ちしてもできないし、するつもりもないのである。
「エイダ上級魔術師のご指導の元、全力を尽くします」
無言で佇むエイダをかばうように、サイファは必要以上に大きな声を張り上げた。エイダはただ黙って立ちすくんでいる。
「詳細は中央寺院の医療魔術師に聞け」
それだけ言うと、ゴダールは子犬を追い払うような仕草で手を振った。
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