SF関係の何か

ロバート・L・フォワード

 SFジャンルの中でも最も難解な印象を与えるものがハードSFと呼ばれるものだ。何をもってハードSFと定義するのか絶対的な回答はないのだが(そもそもSF定義自体揺らぐもの)、取りあえず科学理論なり思想なりになるべく忠実に沿ったものを指すのではないのかと思う。但し、完全に忠実である必要はないかと思う。でも思想面では科学的でなければならないだろう。ここで言う科学とは自然科学に留まらず、社会科学、人文科学も含めてもいいかと思う。


 ハードSFの作品にはどんなものがあるのだろうか?

 西欧圏ではクラークやアシモフなどの大御所、最近ではグレッグ・イーガンの著作などが挙げられる。東欧圏ならスタ二スワフ・レムやストロガツスキー兄弟が有名だ。日本人作家なら石原藤夫や堀晃が挙げられるだろう。

 クラークは「都市と星」など遠未来を舞台としたものでは人類や宇宙の行く末を思索する傾向が強く、「地球光」など近未来を舞台としたものではハードウェアに焦点を当てて社会や時代の変化を描写したものが多い。「2001年宇宙の旅」は両方の性質を兼ねているかな。

 アシモフはミステリとスペースオペラを兼ねたものが多い。前者は「鋼鉄都市」などロボットシリーズ、後者はファウンデーションシリーズだ。自分にとって最も印象に残るのが「夜来たる」だ。これぞセンス・オブ・ワンダーの極致であり、ハード云々は別としてSFとは何かを知るのに一番いいテキストになるかと思う。

 レムは科学哲学、特に不可知性を思索した作品が多く、その頂点として「ソラリス」がある。思弁的寓話スペキュレイティブ・フェビュレーションという言葉はこの作品に触れた時に初めて知った。因みにアンドレイ・タルコフスキーが映画化しているが、あれは主人公の内面に焦点を当てたものでレムの原作とはかなり性質が違うかなと思う。ついでに言うとジェイムズ・キャメロンがプロデュースして再映画化しているが、あれはラブストーリーと言うべきだろう。

 ストロガツスキー兄弟では「ストーカー」(原題「路傍のピクニック」)が挙げられる。やはり不可知性に焦点を当てた作品だ。どうも東欧圏では人類の認識能力の限界を述べる傾向の作品が多いみたいだ。彼らの生きた世界・時代の反映だろうか? 「ストーカー」もタルコフスキーが映画化しているが、やはりというか、原作とはかなり印象が異なる。

 イーガンは正直言ってかなり難解だ。基礎物理学や純粋数学をテーマにしたものが多く、変に解りやすくしようとするようなことはなく(つまり妥協しない)、門外漢には何が何やら分らなくなってしまう。それでもその中というか、果てに示されるヴィジョンのようなものが垣間見え、そのイメージが心地よく思える。「ディアスポラ」のラストに向けた高次元世界への旅路などは意味が容易に把握できなかったが、壮大さは感じ取れて酔いしれたものだ。

 石原藤夫や堀晃の作品はワンアイディアものが多く、ひねりの心地よさにニヤリとしたものだ。



 ハードSF作家と言っても結構多くいるものだが、今回のピックアップ対象としてロバート・L・フォワードを挙げる。この人は本物の物理学者で専門が重力工学という見事なまでの科学者である。そしてSF小説も書いているが、これが完璧にハードSFだ、だからピックアップした。著作は少ないが、どれもこれもハードSFそのものと言える作品ばかり書いている。その中でも最も有名なのが「竜の卵」になると思う。自分はこの作品を初めて読んだ時、そのあまりにもぶっ飛んだアイディアに言葉を失ったものだ。


 「竜の卵」

 木星の500倍以上の質量があり、直径は20km、自転周期は0.2秒(!)、平均表面重力は670億G、鉄の原子核の大気をもつ地表温度8000度の回転する中性子星パルサーを舞台とし、そこで発生し、進化した体長3mmほどの殻のないアワビのような姿をした知的生命チーラとのファーストコンタクトを描いた物語だ。

 この中性子星上で発生・進化した生命というのが驚いた。読み始めた頃は、幾ら何でもそんなの有りえんだろうと思わず突っ込みたくなったものだ。ところが、この中性子生命体なるものは科学的に有りうるのだそうだ。

 密度がバカ高いの中性子星の上では、その中性子が高分子化合物のようなものを構成する可能性があるらしく、その組み合わせ如何では生命の発生も考えられるのだそうだ。この説は70年代の初め頃、一部の科学者の間で論じられていたらしい。

 フリーマン・ダイソン(ダイソン球殻で有名)は中性子星の外層にある種の疑似化学反応が存在すると述べていた。別のある学者は素粒子のレベルで生命の素材となる物質が作られ得ると示唆したという。こうした議論を経て、中性子星上で化学反応のかわりに核反応を利用して生きる生命体という仮説が出て来た。

 1971年、当時のソ連・ビュラカンで開かれた地球外知的生物との交信に関する第1回米ソ会議の記録「異星人との知的交信」でも中性子生命体について記されている。73年にはアストロノミーという科学誌でこのアイデアが一般向けに発表され、多くのSF作家たちの注目を引いた。でも、なかなか作品には結びつかなかった。

 だが、それをやったのがフォワードになる。


 作品は緻密な理論の上で構築されていて、破綻の少ないものだ(そう言われている。自分には判断できないが、緻密なのは分る)。完全無欠のハードSFなのだが、でも理論などの説明は意外と少なく、読んでいて頭が痛くなることはなかった。寧ろファンタジックにすら感じられた。チーラの進化や社会の発展などが描かれるが、その描写はどこか幻想的でファンタジー世界のようなものにも思えた。ハードサイエンスも行くトコまで行くとファンタジーになるのかと思ったものだ。

 このチーラがやがて人類と接触するのだが、極端に時間感覚の違う(100万倍の差がある)彼らの間のコンタクトは難しく、しかしその違いを乗り越えてコンタクトを果たす描写はまさに科学者魂もかくやといった感じだった。

 人物描写などは甘いという評価もあるようだが、アイディアや構築される世界の描写、結構ハラハラさせる展開など読み応えは十分だった。理系の人は当然ながら、文系の人にも楽しめるのではないだろうか。分からなくてこんがらがることも少なかったし。


 一つ気になることがある。チーラの風習や思考だが、人間に近すぎると思う。気にはなるが、チーラの進化には人類が関与しているので、その影響が出たとは言える。

 太陽系に接近した中性子星を人類の探査船が調査するのだが、その過程で走査波を中性子星上に照射している。その波がチーラたちの刺激となり、知的進化を促したという経緯がある。よって人類的思考の影響が現れたのかもしれない――などと考えてみた。しかし、イエスの伝説をまるごとなぞる(前半のチーラ文明勃興期のエピソード)のはやりすぎのような気もする。



 フォワードというより「竜の卵」のピックアップになったな。まぁ、それほどこの作品の印象が強いのだ。

 他に「ロシュワールド」、「スタークェイク」、「火星の虹」などがある。どれもこれもガチガチのハードSFだ。

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