空に右手をさし出して

@m_e_yszw

第1話 できの悪い子

「ねえ、ようくん。お母さんが何で怒ってるか、分かる?」

 小学校から帰ってきた洋平の両かたをがっしりとつかんで、お母さんは言いました。声がいつもよりも低く、まゆげがゆがんで、怒っているというよりも悲しそうなようすです。

 洋平は自分のつま先ばかりを見ていました。目を合わせるのがこわいからです。お母さんが怒っているわけは、いやというほどよく分かっているのに、言葉がうまく出てこないのです。だけど、だまっていたらもっと怒られることでしょう。洋平は怒られるのが大きらいです。

「……約束を守れなかったから。」

 洋平は口をとがらせ、小さな声で言いました。お母さんは大きなため息をつきました。

「さっき、先生から電話があったのよ。どうしてまた教室を出ていったの。教室を出ていったら先生もみんなも困るって、お母さんがあれだけ言ってるのに、忘れちゃったの?」

「ごめんなさい……。」

 それだけ言うと、洋平はまただまりました。何を言っても怒られそうでしたし、自分が思っていることをうまく言えないのです。お母さんみたいにぺらぺらしゃべることはできません。学校で、何か話をしないといけない時も、洋平はだまってしまうことがありました。

 でも、本当は洋平は、頭の中ではいろいろなことを考えていました。

 

 しかられたり、笑われたりすると教室を出ていく。これが、洋平のくせでした。

 教室を出ていくのは、いけないことだと洋平にはわかっているのです。教室を出てしまって、だんだん落ち着いてくると、どうして教室を出てしまったんだろう、とこうかいします。教室を出てしまったことが、子供っぽくて、はずかしくて、それから、またみんなの注目をあびながら教室にもどるのがはずかしくなります。

 でも、先生に何度もしかられたり、友達に笑われたり、からかわれたりすると、洋平は腹が立って、悲しくて、はずかしくて、かっとなって、逃げだすように教室を飛び出してしまうのです。

 洋平のお姉さんのあかねさんは、洋平に、むしゃくしゃしたときは目を閉じて深呼吸するといいのよ、と教えてくれました。洋平はためしてみましたが、成功するときも、失ぱいするときもありました。成功して、がまんできたときは、洋平はとてもほこらしいきもちになりました。でも、深呼吸をしようとしているのに、友達が何かからかってきたり、

「人の話はちゃんと聞きなさい」

 と、かえって先生に怒られてしまったりすると、がまんをするのはなかなかむずかしいことでした。

 洋平が一年生になったばかりのころは、嬉しくて、わくわくしながら小学校に通い始めたのに、今は先生やお母さんにしかられることが多くて、学校はあまり好きではなくなってしまいました。

 でも、学校にはたくさんの友達がいて、校庭には遊具がたくさんあって、楽しいこともありました。休み時間になると、洋平たちはわっと外に出て遊び始めました。ドッジボールやおにごっこは苦手でしたが、どろぼうとけいさつごっこ、というのが洋平の好きな遊びでした。洋平は小さいころからヒーローアニメが好きでした。今はもうそんな子供っぽいものを見るとかっこわるいので見ていませんが、戦いのマンガが大好きです。洋平は遊びの中でも友達と協力しててきをたおしたいと思っていました。ドッジボールには特に「ストーリー」はありませんし、おにごっこでは友達と協力できませんが、どろぼうとけいさつごっこでは、どろぼうやけいさつになりきって、友達と協力して遊べるから、洋平はこの遊びが大好きでした。

 どろぼうとけいさつごっこはあんまり面白かったので、家に帰ってからも近所の友達と遊ぶことがありました。洋平たちの家の周りは空き地がたくさんあり、木が植えられており、工事に使うためのブロックや土かん、レンガやブルーシートなどが置かれていたので、洋平たちはそこでひみつきちを作って遊びました。とっても面白かったのですが、時々は、けんかもします。どんな遊びをするか、とか、どんなひみつきちを作るか、で、友達と意見が合わないと、洋平は、教室を飛び出してしまうときのようにかっとなってしまうことがあるのです。

 そういう時は、

「いやだ!」

 といって、家に逃げ帰ってしまうこともありました。もちろん本当は友達と遊びたいし、そうやって帰ってしまったときは悲しい気分になるのですが。




 五年生になった今は、教室を出ていくことは減ってきました。でも、やっぱり、いやなことがあると、腹が立ったりはずかしかったりするので、机に顔を伏せて、寝たふりみたいにしてやり過ごしたり、大声を出してしまったりすることがありました。そうするのはいいことではありませんが、教室を出るよりはいいということで、先生はだいたい見逃してくれました。でも、時々失敗してしまうことがあります。そうすると、先生からお母さんに電話がかかってくるのでした。

 洋平は三きょうだいの真ん中でした。中学一年のあかねさんというお姉さんと、小学三年の晴希という弟がいました。あかねさんと晴希は勉強も運動もできて、先生やお母さんやお父さんの言うこともよくきく優等生でしたが、洋平はあまりできのいい子ではありませんでした。それは、洋平の悩みでした。思っていることをちゃんと話せないことや、怒りや悲しみなどの気持ちを抑えることがむずかしくて、先生にしかられたり友達とけんかしたりするのも、洋平の悩みでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る