第8話 探索

ロシア最高の魔導騎士はだれであろうか?……そう聞かれれば俗に5本指と呼ばれる武力に秀でた者達の中から選ばれるだろう。


国際大会5年連続優勝者『雷槍』コンダコフ公爵

今世紀最大の男と謳われる『不沈艦』ホトトギスキー男爵

敵将から悪夢の体現者と恐れられた『絶対零度』クルシンスキー伯爵

精霊種エルフとの混血で200年前のキエフ攻略に従事した『旋風破壊剣』ツァレヴィチ侯爵

そして日本へ視察に赴き……そのまま帰らぬ人となった『未来人』ゼレーニン元帥


魔術戦に造詣が深い者なら迷うところだ。戦いとは胡乱な物だ…相性や状況で容易く変化する。絶対的な力など御伽の話。


たとえば『不沈艦』ホトトギスキー男爵と『絶対零度』クルシンスキー伯爵の戦いならば、近距離戦闘ではホトトギスキー男爵の勝利は動かないだろう。


しかし空中戦や十分に魔力を貯める時間を稼げるフィールドならば、魔装鎧『ストラスチ』の機動力も合わさりクルシンスキー伯爵は無敵だ。


予知能力と瞬間移動能力を併せ持つ『未来人』ゼレーニン元帥、聖なる魔剣を携え防御と攻撃を同時に行う絶技を使用する『旋風破壊剣』ツァレヴィチ侯爵の様に高い特殊性を持つ騎士もいる。


そもそもロシアは魔術大国だ、一番目立っているのがその5本指と言うだけで、二つ名を持つ実力者は他にも当然居る。


しかし一般人はコンダコフこそが最強の魔導騎士だと口をそろえる。コンダコフはロシアの英雄なのだから当たり前ではあるが、国際大会5年連続優勝の実績は伊達ではない。


欧州連合と十字教団その二頭竜に外交で常に痛い目を見るロシア。しかし、そんな欧州連合や十字教団の魔導騎士を英雄的に打倒し勝利するコンダコフ。


民衆達は英雄によって自尊心を取り戻す、という陳腐な図式というわけである。


何といっても、コンダコフ自身の良くも悪くも貴族的で酔狂な性格が結果を出し続けることで、むしろ英雄的に見えるのだ、あの人は我々とは違うのだと。


(まぁ、コンダコフ……父は私生活では娘と姪になんのかんので甘い男でした……)


そんなコンダコフの戦死は民衆たちから戦争の熱意を奪った。当然だがコンダコフだけが原因ではない、当初は贔屓目に見てもロシアが優勢か互角の戦い…しかし日本の最新兵器か何かは知らないがある日を境に突然勝てなくなり負け続けた。そして領土は奪われ、ロシア軍の損害が異常なほど増えた。


一般兵ならまだ何とかなったかもしれない、だが魔導師の損害は無視できない。特にここ最近、魔導師の行方不明が異常なほど多すぎる。


そして、民衆は知らないが皇帝陛下が戦争に飽きたのが一番大きな理由だ。コンダコフ戦死は最期の駄目押しに過ぎないだろう。


しかし、何者かに洗脳されたかのようにあの温厚な陛下が、領土野心を持つ戦争狂なるとはだれが想像できただろうか?


忍耐強く、外道共が闊歩する国際関係で欧州連合と十字教団相手に引き分けに持ち込めることが、どれだけすごいかは、上辺しか知ることが出来ない衆愚には理解できまい。


このまま何もしなければ、数週間後にはこのモスクワにて和平会議が始まる。おそらく形式上ではロシアの敗北だ。……それに欧州連合と十字教団が仕掛けてくるだろう。


これから忙しくなる。


「お嬢様…日本から特使の方が参られました。」


「そうか、そうだったなぁ。今からだった……はぁ面倒です。オリガ、着せ替え……」


わたしはメイドに寝室着を脱がされて、身だしなみを整えてもらう。

貴族達が戦地から戻らず、そのために私の様な小娘が駆りだされる。


この様な杜撰な状況はとても大国とは思えない。仮に魔法が無い世界であれば、民衆達は暴動を起こすだろうか?


「たし……か、そんな思想小説があったな…何処に隠したかなぁ」


『我々にも権利をよこせ』それは魔力が使用不能になった世界で数の多い民衆が貴族を倒す物語の一文、その後は民衆からまた貴族が生まれるという喜劇だったはず……


「子供のころ……隠れて読んでお父様に叱られたな…あの本の作者は…シェイクスピアだったかしら?」


反貴族的という理由で火あぶりにされた著名人を思い出す。彼の本は殆ど焚書されて今は手に入らない。



 ◇◆ モスクワ コンダコフ邸



蜘郎は恐ろしいほど柔らかいソファーに埋まりながら、慣れた手つきでティーカップを手に取りました。


蜘郎には紅茶の良し悪しなど正直よくわからりません……それでもポーズというのは大切です。いまも扉から若いメイド達が赤い顔をしながら蜘郎を見つめています。


蜘郎は彼女達に軽く手を振る……するとメイド達は黄色い声で慌てて逃げ出しました。


(生き生きとした従者達だな……主人は随分と器が大きいか……或いは、無礼な配下を御すことすらできないのか……それにしても此処の家主殿は時間にだらしないな……約束の時間をかなりすぎている)


蜘郎はどうせ気を使うなら、酒入りの紅茶ではなく普通の甘いお菓子が欲しいなと、自身の茶請けに出された形容できない何かを見て思いました。


ロシアの伝統菓子『シャルロートカ』……ラズベリー酒に付け込んだ丸一匹のリスに似た小さな生き物カーバンクル……そのカーバンクルの腹にフルーツやカスタードクリームを詰めて砂糖揚げにした菓子です。


……蜘郎は基本的にお坊ちゃまな生まれと育ちなので、幼いころから厳しく礼儀作法を躾けられて育ちました。


故に、出された食べ物は残さず食べます……得体のしれない甘味もナイフとフォークを使用して口に運びました。


(……甘い)


カーバンクルの外側はサクっとした軽い触感で、それでいて内側の肉質はプリンかムースの様に冷たく柔らかい…そして口内で各種フルーツとラズベリーの芳醇な甘さと混ざり合い和菓子とはまた違った品の良い甘さを醸し出しています。…が


(……不味い…肉の生臭さとえぐみが消えていない。吐きそう…)


世の中には英国料理やうじ虫チーズ等、何故存在するのか理解できない料理があります。おそらくこのシャルロートカもその一種でしょう。


蜘郎がシャルロートカを頑張って切り崩してから暫くして……現れたのはアッシュブロンドの髪を後ろで束ねた20代くらいの女性です。儚げで端正な顔にはその昏い灰色の瞳がよく映えます。


「少し遅れてしまいました……私はこの館の主の代理、アナスタシア=ニコラエヴナ=コンダコワと申します」


(ははは……少しじゃないだろうに)


蜘郎は少しじゃないだろうと思いましたが、口には出しません。蜘郎は彼女の前で片膝をつき、手を取るとそれに軽く口づけします。


これは蜘郎が昔、青木周蔵外交官の護衛と言う名目で欧州連合へ密偵として赴いた際に現地で身に着けた72の必殺技の1つです。大体の女性はこれで堕とせると確信しています。


「美しい……アナスタシア様とお呼びしてもよろしいですか?……失礼しました。僕の名はご存知でしょうが名乗らせてください。蜘郎義経です……蜘郎と呼んでください」


「……?はぁそうですか」


なかにはこんな娘もいるが……


ハンサムな蜘郎はこの女性と仲良くなるのは無理だと判断しました。

なので、早々に切り替えます。


「アナスタシア様、本日からしばらくの間、お世話になります。何分……見ての通り若輩なもので、お手を煩わせることもあると思いますが」


「フフッ、それはお互いさまです。こちらこそ、クロウさん。……それでは当家をご案内しますのでついて来な…来てくださいませ」


蜘郎はメイドを引き連れたアナスタシアに屋敷を案内してもらい……最後に3階の長い廊下の先にある客室へと入室します。


「ここが本日から一月の間、クロウさんに使用してもらうお部屋になります…それと、その邸の中は好きにしてもらって構いませんが…」


「心得ています。僕は敵国人ですからね……外出は控えます」


(………蛟賀殿が潜伏している場所に向うのは夜でいいかな)


アナスタシアが退出してから蜘郎はベッドに腰を降ろすと、この邸の人間を把握するため感覚を強化して探知能力を発動、邸中に意識を伸ばします。


身体が人間の状態でも、変態時の能力を一部使用できる器用な者は、蜘郎と蝪雪を含めて僅か5名のみ、彼らは肉体の一部を『変態』させてサムライの状態としているのです。


蜘郎がこの技術を覚えたのは、公衆の面前で『変態』することが出来ない状況に対応するため……蜘郎は大きな屋敷で働く計10名のメイドの位置を把握、そして彼女たちの服の内側…皮膚の汗腺から分泌される匂いから心理状態を推察します。


(屋敷の規模の割に人が少ない……それにこの邸には、男性の使用人は居ないのだろうか?……少女ばかりだ。アナスタシア嬢の趣味かな?……皆、一名を除いてダラダラと怠惰にリラックスして仕事をサボっている……彼女は過ぎた放任主義だな)


蜘郎は唯一、他のメイドと違い何か仕事を探して邸を歩き回る少女へと意識を集中して探ります。


少女の匂いから真面目な人間性と理性的かつ几帳面な性格だと推察、表は他のメイドらと楽しげに囀る様子ですが、彼女の心理状態は少しだけ憂いをおびています。


何処となく楽観的で和気藹々な匂いを漂わせる他のメイドとは少し様子が違うようです。他とは違うのなら他とは違うことを知っているはず……と蜘郎は考えます。


「蛟賀殿の報告書では、この邸で人外の残留魔力を発見したとあるが…とりあえずは、この娘を籠絡しようかな…」


蜘郎は自室から瞬間移動したかのように先程の少女の元へ向かいます。

薄い金髪を後ろに束ねて、白いおでこを晒す少女。可愛らしい顔で姿勢よく働いています。

蜘郎は彼女の所作からよく躾けられた人間特有の気品を感じました。


(可愛らしい娘だ……それにいい体をしている)


梯子に登り、本を整理する少女。

蜘郎は部分的に右手の一部を『変態』させて、指から糸を射出すると梯子に張り付けると……わずかに引っ張ります


「きゃ!」


可愛らしいメイドが可愛らしい悲鳴をあげて梯子から落ちるのを眺める蜘郎……彼はタイミングを計っています。


(まだ早いな………まだ……まだ………すこし……あと少し……三、二、一、良し)


「あぶない」


間一髪という感じで力強く少女を抱きしめ助ける蜘郎、まさに外側は貴公子です。

少女は目を丸くして蜘郎を見ると……礼を言います。


「あ…ありがとうございます。お手数をおかけしました…お客様」


「どういたしまして、気にしないでください…」


蜘郎は、少女に朗らかな笑みを向けます。少女が暫く茫洋とした瞳で蜘郎を見つめ若干頬を赤らめるが、顔を反らすのは失礼だと考えているのか口を手で隠すに留めました。


「くははは…それから、お客様ではありません。僕の名は蜘郎義経です」


「え?……はい、存じています蜘郎様」


「……君の名は?」


「エカテリーナと申します…」


「エカテリーナさん……可愛らしい名前ですね。…少しだけお時間をいただけますか?」


「はい、なんでしょう?蜘郎様」


「実は…大事な形見である自転…オルゴールの鍵を無くしてしまってね。この辺りを探していたのだよ」


「……どのような鍵ですか?」


「白い鍵だよ、珍しい形だから多分すぐ見つかると思うのですが、おっと仕事の途中ですまないね……またね。それから男がオルゴールを大事にしているのは、恥ずかしいのでみんなには内緒だよ」


エカテリーナは口を隠して静かに笑います。


「くふふふっ…はい、蜘郎様。よろしければ私が捜すのをお手伝いしましょうか?」


「なんだって?それは本当かい……助かるよ」(そんな鍵は無いけどね)


その後、二人で存在しない鍵を屋敷中で探索します。


蜘郎はその最中に、少女から世間話の体で、この邸の事を詳しく聞きました。


まとめると……少女の実家は貴族だったが親貴族が世渡りを誤り一緒に家が傾いた。

貴族時代の伝手で此処に住み込みで働いており、この邸のお嬢様とは仲が良かったが、最近は少し避けられていると、寂しそうに話した。


故コンダコフ将軍はかつては皇族で、その時には違う家名を名乗っていた。しかし現在は怨敵、かつては友好国である欧州連合『ドイツ』出身の令嬢と結婚する際の政治的なゴタゴタで皇位剥奪され、現在の姓へ変更したらしい。


彼女の実家は、代々この家というか皇族の血統に仕えていたらしく、ご両親が将軍として出陣したコンダコフに従者として追従して亡くなる。泥と肉片だらけの戦場では個人の判別は不可能で遺体すら帰らなかったらしい


ちなみに残りの血縁者である姉は、魔導騎士として活躍したが同僚と結婚後に寿退社……


「重要な情報は無し…」


(しかし長年仕えている娘は好都合だ。それに今の説明は作為的になにかを省いている…口止めされてるのかな?…探るか)


仲良くなるために蜘郎は、恋人が戦争で亡くなったこと、オルゴールは恋人の形見、君は雰囲気が良く似ている等、彼女に嘘を伝えました。


「では、エカテリーナさん…アナスタシアさんからしばらく貴方の手を借りられるように頼んでみます。その間は僕の部屋を探索してくれませんか?」


「はい蜘郎さん…邸でのお仕事は殆ど無くて、なので適当に何か見つけて働いていただけですから……お嬢様ならきっと快く…ですので先にお部屋にお邪魔させてもらいますね。あっそうだ!序に届いた荷物の箱を整理しておきましょうか……アレ?いない…蜘郎さん?」


蜘郎はエカテリーナと別れるとアナスタシアの気配を辿り書斎へと赴きます。

(いい御家だ…別におかしな場所はないが、さて)

そうこうしているうちに、蜘郎は迷路のような通路を抜けて書斎に到着しました。


「アナスタシアさん、蜘郎です。少々お願いがあり参りました」


扉をノックをノックして数秒後……


「クロウさん?…お入りください。私が此処にいるとよくわかりましたね……どうぞこちらに、何か私に御用ですか?」


アナスタシアが微笑みながら椅子をすすめるので、蜘郎は其処に座りました。


「ああ、そうだ……少々お待ちくださいね。珈琲を用意しますから…『念動操作』」


アナスタシアが悪戯をするような声色で魔術式を発動すると、蜘郎の後方からコーヒーカップがふわふわと宙に漂い飛んできます。


続けてコーヒーセット一式も飛んできて、そのまま蜘郎の目の前に配膳された。


「凄いですね……これが魔術ですか、初めて見ました」


便利な魔法を称賛する蜘郎ですが、意識は目の前の黒い液体に向けられています。

蜘郎は昔カフェイン中毒で脱水症状を引き起こし、丸一日くらい寝込んだ事があるのです。故に珈琲をどの様に処分しようかを悩んでいます。


「フフッ…クロウさん、砂糖は如何しますか?」

「……5つ程」


コーヒー片手に蜘郎は、アナスタシアの後方に安置されている魔装鎧を発見しました。どこかでその鎧に見覚えがある……しかし思い出せません。


(否…思い出した。蜂郎殿に斬首されかけた娘の周りに散らばっていた魔装鎧だ。あの特徴的な薔薇の紋章は間違いないだろう。その後は、リリコ様がネクロノミコンを量産するための材料としてその他の魔導師と一緒に『保管』状態にされているはず…あの娘と血縁者なのか?)


「立派な鎧ですね…」


「そうでしょう、『シィーラ』と言うの。精霊製の魔装鎧は、最初に使用した魔導師の肉体を、中枢部のホムンクルスに伝えて、それに合わせて内部構造を作り替えるのよ……」


アナスタシアは立ち上がると僅かに憂いを込めた瞳でその魔装鎧を優しくなでる。


彼女の体から無意識に匂い立つ体臭の様に微弱な魔力と反応して魔装鎧『シィーラ』が悲しげな音色を響かせました。


「だからこれは私のマリア……あの子の分身ね」


その言葉には様々な感情が渦巻いていた。アナスタシアは魔装鎧の前方部分を開けると背骨と接続するらしき機関に口づけをしました。そのまま舌で舐め始める……


「メイドのエカテリーナさんのお身体を少しの間お借りしてもよろしいですか?……なるべく早く返すので」


アナスタシアは口を腕で拭うと焦点の定まらない眼で蜘郎を視界に収めます。


「はい、どうぞ」


蜘郎は、理由も聞かずに許可を出すアナスタシアを僅かに訝しむが、今は他の情報源を確保する事に専念しました。


アナスタシアが、昏く笑いながら魔装鎧に視線を戻したのを確認して、蜘郎はサムライになる前、源氏武者時代に編み出した奥義を使用します。


『八艘飛び』


「エカテリーナさん」


「あっ…蜘郎さん!何時の間に?…鍵は見つかりませんでした。考えたんですけど他の荷物に」


蜘郎は後ろから少女を抱きしめると、そのまま唇を奪います。イケメンなので当然無罪です。


「……!?…ん!?むぐぅ!!」


エカテリーナは大きく目を見開き体が硬直しています。しかし抵抗はしない…というか思考が停止しています。


(此処からどうするかな「愛してる」嘘だとばれるな…「寂しい」これはいけないな…「妹に似てる」うーん?いつもみたいに流れで持ってくか)


「綺麗だエカテリーナさん……と」


「何するんですか!?」


(外したかな?仕方ないもう一度だな)


「むぅ……!?」


「好きだ…エカテリーナさん。なぜか、貴方を見たときに恋人だったナタリアを思い出したんだ……」


(ナタリア…嘘ではない、100年くらい前にロシアの…否あれはアンナだったか?)


「けっほ、うう……わ、わ…たしは、クロウさんの恋人ではありませんよ!?」


(……拒絶されてるわけでなし…行けるな)


蜘郎は、エカテリーナをベッドに押し倒すと彼女の髪を解いた。髪が波打つと年頃の少女の香りが広がります。


エカテリーナの息がわずかに荒くなりその体から発せられる匂いが変化したのを蜘郎は敏感に嗅ぎ取り、なので一旦彼女から離れます。


「エカテリーナさん……僕はあまり時間が無い、仕事を終えれば国に帰る。なので僕を拒絶するなら君には二度と近づかないと約束します……だけど、君が僕と一緒に来てくれるなら」


そっとエカテリーナの指と絡むように手を握る、エカテリーナは艶めいた息を吐くと目をとじた


「………どうぞ……クロウさん」


蜘郎は、その姿に親鳥から餌をねだる雛を連想して嗤う。




 ◇◆ モスクワ 生神女大魔導宮殿


生神女大魔導宮殿……此処はかつてロシアのイヴァン某が自らが率いた魔導騎士の一個師団でハン国を征服した記念に建てられたとも、天より舞い降りた使途に啓示されて建てたとも言われています。


正五角形の城壁を更に五芒星で区切られたこの生神女大魔導宮殿、その中心にそびえる搭の玉座に座らば天から導きの声が降り注ぐとすら言われています。


そんな生神女大魔導宮殿のある一室からは現在荒々しい魔力の奔流があふれている。それ故に人で賑わう魔導宮でここ周辺には誰も近づきません。


更に何か非常に巨大な物を振り回す風切り音。この荒々しい雰囲気はロシア屈指の品位を持つこの城にはふさわしくないと断言できますが、それを彼に進言できるものは居ません。


なぜなら彼は『不沈艦』の異名を持つホトトギスキー男爵だからです。彼は灰色の魔導鎧『ペトルーシュカ』を装甲し巨大なメイスを素振りしていました。


「……和平交渉か!!やはりぃ気に食わんなァ!!気に食わんぞぉ!!気に食わんダァァァ!!」


荒々しく暴力的な雰囲気を隠そうともせずに吐き捨てる、怒れる感情を全ての乗せたメイスをめちゃくちゃに振り回します。


それを半分閉じたような目をした、小太りの少年が諌めます。


「でも、アレクセイ様、仕方ないですよ。ほらコンダコフ将軍が死んでしまったんですから」


「ふんっコンダコフ……あの突撃しかできない馬鹿者は大将の器では無かったのだ!!」


あらゆる感情をそのまま怒気に変換すると、それを武器に込めて振るうホトトギスキー男爵。風切り音は凄まじくその風圧で、室内のガラスがビリビリと震えます。


ヘルムの右半分をバイザーで覆う魔装鎧『ペトルーシュカ』の胸部には美しい女性の彫刻が彩られている。しかしホトトギスキー男爵が装甲するとそれは鬼母に見えるから不思議です。


小太りの少年、セルゲイは慣れているのかホトトギスキー男爵の大暴れを特に気にした風でもなく、淡々と返事をしてあげました。


「じゃあなんで、和平会議の警護責任者なんて引き受けたんですか?」


「それはぁ!!もはやぁ!!この国ににィ余裕がぁ!!ないからだぁぁ!!この国のぉ!!周りにはぁ敵しかおらぬ!!そしてぇキエフ他多数は未だにィ!!ロシィィィアァに!!」


怒りのあまり武器を振り回すが、観葉植物を破壊しそうになり、ホトトギスキー男爵は慌てて魔装鎧の魔力供給を解除します。


そして魔装鎧が静かに彼の肉体から離れると、そこから筋肉質な禿頭の男性が全裸で現れました。服を着ていたら魔装鎧は正常に機能しないので仕方ない事ですが……


彼の全身には線路の様に傷痕が走り、片目はすでになく眼帯で覆っています。全裸でなければさぞ威厳があったでしょう。


しかし魔装鎧を失って、全裸になっても怒りは収まらぬのか自身の筋肉だけで巨大なメイスを持ち上げます。


「国内のおあァ!!ばかなこぞぉぉぉぉぉ!!いまだにせんそぉぉぉ!!続行させぇ!!はぁはぁはぁはぁはぁ………」


流石に無茶をして疲れたのか疲労で倒れるホトトギスキー男爵。


セルゲイは仕方なくホトトギスキー男爵に肩を貸しました。


「なら、最初からアレクセイ様が将になり指揮を取ればよかったですね」


「男爵ではな……だが私が大将軍ならば、国内が不安定な状態では決して開戦させなかった。せめて……ゼレーニン元帥がいてくれたらな、今さら言っても仕方ないがな…」


怒りがすべて抜け落ちれば、そこには只々疲れ切った中年の男がいました。


セルゲイは溜息を付きながら、無言で主を運びます。




  ◇◆モスクワ コンダコフ邸



朝……ちゅんちゅんと小鳥が鳴く


静かな室内には僅かな息遣いと衣擦れだけが響き、蜘郎とエカテリーナはお互い隙間なく密着し絡み合っていました。


少女の瑞々しい肌は汗で濡れ、その金髪が張り付いています。


エカテリーナは懐いた仔猫の様子で蜘郎にすり寄り、静かに微笑むと半眼で少女と女性が入り混じった甘い声を出します。


「結局一睡もできなかったですね。ふふふっ…どうしますか?アナスタシア様はこの時間まだ就寝しいるはずだから、まだいっぱい色っぽいことできますよ。なにしましょうか蜘郎さん…」


蜘郎は演技ではなく本当に少々疲れた顔をしましたが、仕事は覚えています。


まずは磁石の様にくっつく少女を外すために、ベッドの上で胡坐をかくとエカテリーナの脇に手を入れて、目の前に座らせようとしますが、


少女はなにかに気付いた様に微笑むと、男の子を椅子の様にして座する……


「蜘郎さん、蜘郎さん……はい」


エカテリーナは、貴方の事全てわかっているという様な表情で蜘郎を見ると、目をとじて唇をつきだします。


蜘郎は冷めた目でそれを眺める……蜘郎は彼女に飽きたのです。


「……まるで野良犬だな。一度餌を与えれば、またもらえると思っている」


蜘郎が働かないでいるとエカテリーナは大層心が傷ついたような顔をしました。



「……そういえば、このお屋敷は女性ばかりだね、男性は雇っていないのかい?」


(……蛟賀殿の調べた通り、この屋敷には異質な匂いが僅かにする、それにアナスタシアは今寝てなどいない、原理は不明だが彼女の匂いが先程消えた。……転移術式だとすれば面倒だ)


「今は……いえ、それは答えることが出来ません、申し訳ありません……」


「いいんだ…僕の方こそすまない………部外者には話せないことは」


「な!?…ちがいます!!ちがいます!!ちがいます!!ちがいます!!ちがいます!!ちがいます!!ちがいます!!蜘郎さんは私の恋人です!!部外者じゃありません!!」


(予想以上の反応だな……恋人って…そこはお互い少しフワッて感じの関係なのでは、だが今は好都合かな…?)


エカテリーナは、白く長い意外と筋肉質な両足と、それなりに筋肉質な両腕で蜘蛛のように、蜘郎を逃げ場なく捕食する様に抱きしめます。


エカテリーナのその瞳はかつてないほど大きく見開かれて、彼女は呼吸すらせずに蜘郎を一心不乱に凝視しています。少女は宛らカマキリの様な捕食者じみた貌に変貌しました。


少女の小柄な体にどこにこれほどの力が眠っていたのか、蜘郎はかるく力を入れてもびくともしないどころか、逃げるようなそぶりを見せると、さらに拘束を強めて捕えてきます。


蜘郎は自身の制御が効かない部分に戦慄を覚えます。端からじわじわと食い殺されるような恐怖を感じるのです。


取り敢えずは彼女から離れるため、蜘郎は優しく持ち上げようと……しかしこれに対して、エカテリーナは無表情に、表情を表さず、表情の抜けた、感情の無い顔で……憎悪の表情を見せました。


「さっきから……脇が好きなんですか?それとも離れようとしてます?離れようとしてますよねぇ……なぜ離れたいんですか!?」


エカテリーナからは、何か執念めいた怨念の様な執着を感じる。彼女の美しい顔が限界まで歪められ、白い歯をむき出しに唸る姿は霊長など所詮は動物だと教えてくれます。


その口から洩れる息は艶など消えて肉食獣を連想させます。


(昔、利理子さまからアバドンと言う悪魔を聞いたことがあるが、ははは……彼女がそうかな?徐々に白い肉に埋まっていきそうなんだが……勘弁してくれ)


蜘郎は五感を全てエカテリーナに握られています。なぜこんなことになったのかと自問自答しました。


蜘郎は怪物じみた金髪少女に軽く恐怖を覚えるが仕事に集中します。とにかく今は仕事に集中することにしたのです。


機械の様に愛をささやきます。


「あいしてる」


「はい、結婚してくださいね」


(仕事が終われば速攻帰国さ)


可愛く言えばコアラみたいに自身にくっつく少女、真実は捉えた蝶を溶かそうとする蜘蛛みたいな女に話を促します。


「エカテリーナさん、そうだね、ならば…二人に隠し事は無しにしようか」


「はい、クロウさんの事を全て隠さず教えろ…てください」


その後、二人の間には阿鼻叫喚、自業自得、風林火山、名状しがたき何かがあり、全てが終わりいまだに元気な溌剌したエカテリーナを見送った後、蜘郎は何もない空間に話しかけます。


「お疲れである。……すまないね、蛟賀殿…手間取ったよ」


『場所の情報は手に入った。問題ない…多分、此処で当たりだろう。某は行く…ではな』


「なに、僕も行くよ…特使は終わりさ…」


これよりはサムライの時間が始まる。

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