第25話「旅の終わり」②

 試合は、なかなかに白熱したものになっていた。


 原田の奇襲が成功したのは最初だけで、何気に総合的な運動能力は向こうの方が上だ。理久はテニスの県ベスト4で、芹沢も確か高校テニス部では良い成績を出していたみたいだし、健吾は体力バカだ。


 一方、こちらは原田こそ抜群の運動神経を誇っているが、俺と亮は高校ではそこまで真剣に部活に打ち込んでいたわけではなかったので、基礎的な運動神経の差が勝負に明確な影響を出し始めていた。


 ポイントは、向こうが7ポイント。こちらが4ポイントだ。


「ふっふっふっ。原田さんよ、そろそろ俺を選ばなかったことを後悔してるんじゃないか?」

「…う、うっさいわね。そんなことあるわけないでしょ」


 健吾は、ビーチボールを構えながら余裕の笑みを浮かべていたが、もうすでに汗だくだ。原田も、頬を伝う汗を拭いながら流石に疲れを隠しきれない様子だった。


 それは他の皆も同じで、もう全員が肩で息をしていて身体が汗で光っていた。


 何せ、原田の作ったルールではあくまでボールが先に地面に着いた方が負けで、特に範囲というものはない。しかも、ビーチボールなのでいくら強打でスパイクを打ったとしても、そこまでスピードは出ないので決定打になるのは稀だった。(最初の原田の奇襲は、それこそ神懸かった一撃だった。)


 結果、浜辺を右へ左へ前へ後ろへ走り回ることになり、全員漏れなくヘトヘトだ。


「…おい、お前ら。今日、昼からまた、自転車で帰るってことを忘れんなよ」


 亮が、息絶え絶えに警告する。確かに、そう言いたくなるくらい体力を持ってかれている。


「それもそうだな…体力は残しておかないと…と見せかけて!」

「甘い!」


 油断させたところで撃ち込まれた健吾のスパイクは、原田が反射神経ですぐさま対応し、見事なトスを上げた。


「ちっ…!」

「ナイス、原田。オーライオーライ」


 亮が上を見上げながら、両手を掲げて補給体勢を取る。


 となれば、当然アタッカーは俺だ。


「行くぞ、昇」

「おう、任せろ」


 こちらも、いつでも打ち込めるように助走の構えを取る。その状態で、どこに打ち込もうかとチラリと向こうサイドの配置を見る。


 健吾は、奇襲に失敗して悔しそうに唇を噛んではいるが、しっかり腰を落として捕球姿勢を取っている。位置は多少、右寄りだ。そして、その後ろでは理久が同じように捕球姿勢で控えている。


 芹沢の方は、少しスペースとして開き気味だった。そして、俺のいる位置は芹沢のほぼ直線上だ。


「……っ!」


 本当は、芹沢を狙って打てば威力は出たのに、身体を捻って少し無理な体勢で打ち込む角度を変える。


「うおっ!まさかのクロスアタック!」


 まさか、そんな急角度で打ち込まれてくると思ってなかったのか、健吾は自分に向かってきたボールに慌てて反応する。しかし、そこはきっちりボールに追いついて片手でトスを上げる。


「よし、理久任せた!」

「オーケー。芹沢さん、行くよー」


 すぐさま横に退いてスペースを開けた健吾のところに、両手を挙げて理久が入ってくる。


 そして一瞬、芹沢の方をチラリと見てアイコンタクトを取る。芹沢も、理久の方を見ていたので、バッチリ目が合う。


「うん、任せて!」


 息ピッタリで、理久から上げられたトスを、芹沢がキレイなフォームでスパイクを打ち込んだ。ボールは、ちょうど原田と亮の間に飛んできた。


「…うおっ!」

「…わぁっ!」


 亮と原田は、同時に手を伸ばしてそのボールに反応したが、咄嗟に見えたお互いの手に、思わず手を引っ込めてしまった。


 ボールは、亮と原田の間をキレイに切り裂いて浜辺に打ち込まれた。


「ナイス、我らがリーダー!流石、あそこを撃ち抜くなんてセンスの塊!」

「ナイス、芹沢さん」


 両手を掲げてベタ褒めしている健吾に、理久も拍手で芹沢のプレーを称える。


「えへへ、ありがとう」


 芹沢は、照れ臭そうに頬を掻いて笑っている。そんな芹沢に駆け寄り、健吾と理久とハイタッチをする音が浜辺に響く。


「もう、何してるの、井川!」

「いやいや、今のは仕方ないだろ!」


 一方こちらは、どっちが取るべきだったのかと原田と亮でやんややんやと言い争いをしている。チームワークの差は、歴然だ。


「さぁ、あと2ポイントで俺たちの勝ちだ!この二日間、散々原田に虐げられていたのが、間もなく報われる…」


 健吾が、片手で顔を覆いながらヨヨヨと泣き真似をしている。しかし、声の後半は何だか本当に少し湿っぽい。


「うー、ここであいつに負けるのだけは本当に嫌だ…あと6点、何とか逆転できないか」


 原田は、悔しそうな顔を隠そうともせず、今にも地団駄を踏みそうな勢いだ。確かに、この二日間で初めて健吾が原田に勝つという瞬間が訪れそうだ。


「お前ら、悔しがるのもいいけど、ボールを取りに行かないと」


 向こうサイドに悔しそうな顔を向けるだけで、二人とも一向に転がっていったボールを取りに行こうとしないので、ため息をつきながらボールを取りに走った。


 ボールは、芹沢のスパイクの威力が思いの外強かった為か、結構遠くまで行っていて、結構な距離を走らされた。


「あいつら、だからわざと気付かないフリしてたな…」


 ここまでで少し息が切れて、思わず悪態が口をついて出た。 


 ボールを拾い上げ、引き返そうと踵を返すと、その視線の遠い先で、芹沢とその隣で笑っている理久が見えた。


「……」


 二人は、何やら楽しそうに話をしているようだった。


『うん、本気で好きだよ』


 昨日、キッチンで聞こえてきた理久の声が脳裏を過ぎる。


 あの後、意識がぼやけてしまって自分が何をしていたのかは覚えていない。なので、その理久に対する芹沢の返答は聞いていない。


 だけど、


「……あの二人、やっぱり付き合い始めたのか?」


 そんな呟きが、思わず口から零れ落ちた。


 声に出してみると、また意識が落ちてしまいそうになる。もはや、それが何でなのか、なんて自分を誤魔化すには色々なことに気付き過ぎてしまっていた。


 そんな中で、あの二人が仲睦まじく一緒にいる姿を見ると、心の中がざわついてぐちゃぐちゃになる。


 ただ、少しずつ冷静になってきた意識の中でよく考えると、一つどうしようもない違和感があった。


 理久が芹沢のことを好き、というのは本当だろうか。


 男三人の中で、理久と一番仲が良いのは恐らく俺だった。お互い、中学時代も一緒にいることは他二人よりも多かったし、やかましい二人に比べて大人しく落ち着いた理久と一緒にいるのは心地良かった。そんな中で色んな話をして、理久の性格もよく分かっているつもりだった。流石に、好きな人は誰かとかそういった込み入った話こそしたことないが、そもそも中学時代ではそういった話題はより仲が良いほどこそばゆいものだ。


 だから、理久が誰を好きとかそういうことは知らない。


 でも、あの理久が芹沢のことを好きというのは、どうしても想像ができなかった。


 そして何より、理久の性格を考えるとこの旅行のタイミングで果たして芹沢に告白なんてするのだろうか。


 おそらく、この旅行を通じて理久も俺と芹沢の話は聞いただろう。どんな風に話を聞いてるかは知らないが、ただその上で、果たしてあの優しい理久が、この旅行中のあのタイミングで芹沢に告白したりするのだろうか。


 いや、もしかしたら…


「遅いぞ、昇!さぁ、俺たちの勝利まであと2ポイントだ。ボールを早くこちらに寄越したまえ」

「昇、思いっきりあいつの顔面に全力で投げつけてやればいいからね」


 あれこれ考え事をしている間に、気が付くと皆の元に戻ってきていた。向こう側では、健吾がボールを寄越せと手招きしており、それに対して原田は親指を立ててクイクイと「健吾にぶつけろ」と物騒な指示を出してくる。


「…おう、行くぞー」


 原田の指示は無視して、普通に山なりにボールを投げて寄越した。「あー、何で普通に渡すのよ!」と原田はご立腹だが、それに関しては自然にスルーだ。


「なーに、ここで2,3ポイント連取すれば全然逆転も可能だろ」


 原田の怒りの矛先がこちらに向きそうになったところに、亮が助け舟を出してくれた。「…まぁ、それもそうね」と原田も矛を収めてくれたので、渋々向こうへ向き直った瞬間に亮に「サンキュー」と口パクで礼を伝えた。


「よーし、じゃあそろそろ、俺たちの勝利へのラスト2ポイントをスタートしようか」


 健吾が、片手でポンポンとビーチボールを弾きながらこちらに笑みを向けていた。


 その健吾の態度に、前で腰を落としていた原田がゆっくりと振り返った。


「いい、何が何でも勝つわよ」


 有無を言わさぬ迫力で言われた言葉に、味方であるはずの俺と亮は「はい…」と情けない声を出した。


「行くぞー!…おらぁ!!」


 健吾のジャンピングサーブで試合再開だ。風の抵抗で、最初のスピードが次第に減速してこちらへと飛んでくる。


「昇ー!」

「分かってる。亮、行くぞ」

「おう、任せとけ」


 両手を組みながら上空にトスを上げた。我ながらいい感じに上げられたな、と思っているとすかさず亮が下に入り込む。


「では、原田さん、決めちゃってください」

「任せといて!…おらぁ!!」


 亮が上げたトスに、原田が驚くほどの高さまでジャンプし、そのままボールを叩きつけた。掛け声が健吾と一緒だったことは、今は伏せておこう。


「えっ…!わぁっ!」


 原田の放ったスパイクは、健吾の顔面にぶつけた時と同じような威力で芹沢のすぐ前方に撃ち込まれた。予想外の速さに、さすがの芹沢もほぼ反応できなかった。


「ちょっ…と由唯、流石にそれはやり過ぎだよー」

「…桜、悪いけど、今は私とあんたは敵同士なの。情けは掛けないわ」


 苦笑いを浮かべている芹沢に対して、原田はクルリと踵を返して、元の自分の位置へと戻る。


「くそー、しぶとい魔女め」


 転がっていったボールを拾いながら、悔しそうに健吾が呟く。


「誰が魔女よ!」


 しかし、俺の方までその声は筒抜けで、ということは当然原田にも聞こえている。さっきから、健吾はこの二日間の恨みを晴らさんとばかりに、原田に対しての言葉に遠慮がなくなっている。そのことに、勝てたとしてもその後の健吾の末路を少し案じる。


「さぁ、5対8!絶対逆転するよ!」

「「おう!」」


 気合充分な原田の掛け声に、思わず俺と亮の声もユニゾンする。


 次のサーブは、俺だった。健吾から投げられたボールを受け取り、二度バウンドをさせてからサーブの構えに入る。


 相手の配置は、開始の時からずっと変わっていない。こちらから見て、前方中心に健吾、その右後ろに理久、そして左後ろ、つまりは俺から真正面には芹沢だ。おおよそコートと思われる範囲の中に、三人がバランスよく陣形を取っている。基本的に、三人とも運動神経がいいので、特に穴らしい穴はない。


 しかし、ここまでのゲームの中で、俺は頑なに芹沢の方には打ち込むことはなく、だからさっきも無理な姿勢から逆サイドにスパイクを打ち込んだのだ。


 でも、もしも俺から芹沢の方に打ったらどうなるだろうか?


 そんな考えが頭を掠めた。


「……」


 それは、ただお遊びのゲームの中でのたったワンプレーだ。そんなことで何かは変わるわけはない。


 それでも、


「……」


 俺は、真っ直ぐボールを片手で掲げて狙いを定める。ここまで、意図的に避けてきた方向に。


 ボールを天高く上げて、サーブを打ち込んだ。


「…えっ?」


 やけに遠くの方で、そんな声が聞こえた気がした。

 ボールはゆっくりと山なりの軌道を描き、真っ直ぐ芹沢へと飛んでいった。


「よし、芹沢、チャンスボールだ!俺にトスを上げろ!」


 カモンカモンと言わんばかりに、大きなジェスチャーでボールを寄越せと健吾が両手で手招きする。


「う、うん。行くよ」


 芹沢は、戸惑った様子でチラリと健吾を見て、両手を前で組んでトスを上げた。しかし、当たりどころが悪かったせいか、ボールは芹沢のほぼ真上に向かって跳ねた。


「あっ、ごめん!」

「大丈夫、僕がカバーする!健吾、行くよ!」

「おうよ!さぁ、この二日間の恨みを込めた一撃を喰らえ!」


 横に避けた芹沢の所へ、理久が素早く入り込みトスを上げた。それを、高らかに飛んだ健吾がスパイクを放った。


「あんたのスパイクなんて、私に効くか!」


 原田の足元(流石にそこは顔面狙いではなかった)に打ち込まれたスパイクを、原田は素早く腰を落として絶妙にトスを上げた。


「おぉ、流石原田様!あとは、俺たちに任せろ!」


 キレイに上空に上がったボールの下に亮が入り込み、トスの構えを取る。


「ほら、昇!」


 亮がトスを上げた。ボールはキレイに、俺の真上へと打ち上げられた。


 それを確認して、跳んだ。その中で、どこに打ち込もうかと僅かに視線を向こうサイドに向ける。


 その時、驚いた表情で固まっている芹沢の姿が目に飛び込んできた。


「……っ!」


 思いがけない芹沢の表情に、変に力が入った。


 そしてそのまま、無我夢中でスパイクを放った。


 ボールは、鋭くストレートに芹沢の左側。誰もいないエリアに向かっていった。


「えっ…!」


 そちらに来るのは無警戒だったのか、右寄りに身体を向けていた芹沢が慌てて身体を捻って左に向き直った。その速さは、流石に運動神経が良い。


「くっ……!」


 そのまま、捻った勢い任せに腕を伸ばしながらボールに飛び込む。


「あっ……!」


 しかし、ボールは芹沢の拳に当たったものの、明後日の方向に跳んでいってしまった。


「おぉ、昇、ナイスフェイント!」


 連続ポイントに、亮が両手を上げて喜びの声を上げる。


 俺も、着地と同時に亮の方を向いて、思わずグッと親指を立てた。


「よくやった、昇!…って、桜大丈夫!?」


 同じように、両手を上げてこちらに向かって来ようとしていた原田が、顔色を変えて走り出した。


 何事かとそちらを見ると、芹沢がその場で蹲ってプルプルと震えていた。左手が、足を庇うように伸びている。


 その様子に、「どうした?」と亮が慌てて駆け寄って、一足遅れてその背を追って駆け出した。


「…あっ、由唯、ごめんね。大丈夫だから」


 側に駆け寄った原田に、芹沢はゆっくりと顔を上げた。かろうじて笑顔を浮かべるが、その顔は少し歪んでいる。


「無理な体勢で飛び込んだせいかな、少し左足を捻っちゃったみたいで…」

「大変!すぐに冷やさないと!」


 原田は、すぐさま芹沢の側で腰を下ろし、痛めたであろう足に手を伸ばした。


「桜、自分で立てる?肩貸そうか?」

「ありがとう。多分大丈夫、本当に少し捻ったくらいだから」


 そう言いながらも、芹沢の表情は曇ったままだった。


 そんな芹沢に、原田は何も言わずに芹沢に自分の手を掴むようにと手を伸ばした。芹沢もその手を掴んで引き起こされた。芹沢が立ち上がると、原田はすぐに芹沢の背中に手を回して身体を支えるように寄り添った。その原田の対応に、芹沢はまた少し笑って「ありがとう」と言った。


 芹沢は、視線を原田から外して俺達四人を眺めた。


「皆ごめんね。そんな大したことはないんだけど、少し帰りのこともあるから休むね」


 芹沢は、そう言って笑った。


「おう、そんなことは気にしなくていいぞ。これで、健吾の勝ちもなくなったしな」

「ちょっと待て!点数的にリードしてるんだから、俺達の勝ちだろ!」

「いや、あくまで10ポイント先取した方の勝ちだから、今の試合はドローだ。とりあえず芹沢、無理しないでとりあえず足冷やして休んで来いよ」


 健吾からの抗議をサラッと流しながら、亮は芹沢に早く休みに行くよう促した。その横で、健吾は絶望に打ちひしがれた表情を浮かべていたが、すぐに芹沢が気を悪くすると思ったのか、「…いや、お前が悪いって言ってるわけではもちろんないから、気にせず安静にしろよ」と気遣う言葉を掛けた。


「芹沢さん、大丈夫?無理せず、とりあえず安静にしてね」


 理久が、心配そうな表情を浮かべながら芹沢に声を掛けた。


「うん、ありがとう理久君。休めば大丈夫だと思うから」


 理久に対しても、芹沢は笑顔を浮かべた。


「じゃあ、もう少し遊ぶならそれでもいいけど、片付けはあんた達に任せるからよろしくね」


 片付けを俺達に任せて、原田は芹沢に寄り添ったままペンションへと戻っていった。


 その間、芹沢は一切俺の方を見ることはなく、俺も何も声を掛けられなかった。


「さーて、どうしますかね?」


 二人を見送り、健吾が俺達に向き合った。


「そうだな。あの二人を無視してこのまま遊び続けるってのもあれだし、正直帰りの為に体力も残しておきたいから片付けて俺達もペンション戻るか」


 亮の提案に、誰も異存を挟むことなく、片付けをしてペンションに戻ることになった。と言っても、片付けすることといったらビーチパラソルを畳むくらいで、健吾と理久がそれも素早く済ませてしまい、一足先にペンションの方へと歩いて行った。


 必然的に、砂浜には俺と亮が取り残された。


「……」


 変な沈黙が降りた。


 正直、今亮と二人きりで取り残されるのは幾分か気まずかった。ついさっき、あれだけ感情剥き出しでストレートにあれこれ言われたのだ。最後の方は、亮から手打ちで終わっていたが、実際のところ亮が本当に許してくれたかは分からない。


 バレーを始める時に、笑顔だった原田からあのような反応をされたこともあって、少し臆病になっていて、俺から掛ける言葉が見つからない。


「あーあ」


 そうして身構えていたところに、亮は呑気な声を出しながらのんびりと両手を上げて伸びをした。


「昇、やっちまったな」


 そして、まるで悪戯っ子を窘めるかのようにニヤニヤ笑いながら俺の方を見た。


「…何がだよ?」


 軽い調子で来られたので、いまいちどんな反応を返せばいいか分からず、つっけんどんな声が出た。


「何がって、芹沢の怪我のことだよ。あんな鬼畜コース狙って、その態度はないだろ?」


 ついさっきの怒った口調とは正反対の、言葉は責めているが声の調子は全然責めていなかった。


「おい、何でそうなる」


 だから、俺も少しホッとして思わずいつものようにツッコミを入れた。


 すると、俺の反応に気を良くしたのか、更に亮はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「だって、それまでお前頑なに芹沢の方には打たなかっただろ?それが、あの場面で二連続芹沢狙いで打ち込んだんだから、なかなかひでぇだろ」

「……」


 すぐに反論してやろうかと思ったが、実際に芹沢は怪我を負ってしまったので何とも言えない。なので、思わず黙り込んでしまった。


 その俺の態度に、「ははは」と亮は声を上げて笑った。


「いやいや、冗談だって。流石に今回のは不可抗力だと思うし、別に昇が悪いってわけじゃないと思うぞ。油断していたのは、芹沢なわけだし」


 そう言いながら笑い続ける。笑っている亮に、少しムキになった自分が恥ずかしくなって、何も言わずにペンションに向けて歩き出した。それに、亮も笑いながらついて来た。


「まぁ、ずっと自分が狙われてなかったところに、急に自分狙いのボールが、よりにもよって昇から打ち込まれてきたら、流石に運動神経の良い芹沢でも対処できなかったってことだな」


 その口ぶりからすると、あのワンプレーで芹沢の動きがかなり乱れていたことを、亮はよく見ていたんだなと思った。


 そして同時に、それが分かるということは、俺も結構芹沢のことを目で追っていたのか、と改めて気付いた。


「いや、とは言ってもこれから帰るって中で、もしも本当に捻挫とかしてたら…」

「おっ、あの昇が久しぶりに芹沢の心配をしているな」


 おどけるような口調に思わず、ムッと振り返って亮の方を見た。しかし、亮も待ってましたとばかりにしたり顔でこちらを見ていた。


 しかし、その表情には負けじと努めて冷静に言った。


「おちょくるな。そりゃ、俺の打ったスパイクで結果的に怪我をしたんだから、それは心配もする」

「それは、良いことだ。多分、今朝までの昇だったら、芹沢のことをそんな風に心配してなかったと思うし、何より昇から芹沢に向けては一発もボールを打つことはなかったんじゃないか?」


 亮の返す言葉は、昨日から相変わらずストレートだ。でも、確かにそれは亮の言う通りで、今朝の俺だったらきっとあんなことをしてはいなかったし、今そんな言葉を思っていたとしても口に出すなんてことはしなかった。


 でも、そんな自分の心情をいとも簡単に当てられて、すぐに素直になれるわけもなく、良い反論も思い浮かばないので何も言わずに顔を正面に戻した。


「おいおい、昇さん。図星だからって、黙秘はずるいぞ?」


 だが、そんなことを当然のように許してくれるわけもなく、亮はすかさず追い詰めてくる。


「くそ、こういう時のお前は本当にしつこい。さっき突っ掛かってきたことはサラッと水に流してくれたくせに」

「ふふふ、俺はそんなことをいちいち引きずったりしないのだよ。お前もよく知っているだろ」

「まぁ、確かにそうだけど」

「俺は、色んなことをあれこれ引きずっている昇とは違うのだよ」


 亮は、いちいち言うことが一言余計だ。だが、それを言ったらまた何を言われるか分かったものではないから、その感想は心の中だけに留めておく。


「…本当、亮は周りのことをよく見てるよな」


 こんな会話を続けていると、どんどんこちらが不利になってくるので、会話の矛先を亮に変えた。


「うん?そうか?」


 それに対し、亮はあっけらかんと答えた。


「あぁ、元々そうだとは思っていたけど、この二日間で改めて確信したよ」

「別に、そんなこともねぇぞ。お前らとは付き合いも長いから、色んな所に気が付くだけで、他のやつに同じようにできてるかっていうと、そんなことはねぇよ」


 亮は、何でもないことのように言っているが、なかなか色んな事が上手くできない俺からすると、自然とそうしたことができる亮は、正直羨ましく思える。


「何で、亮ってそこまで色々考えてやってくれてるんだろうな」


 何気なくポロッと本音が漏れた。言ってから、本心を漏らし過ぎたかと焦った。これ以上亮を褒めると、より図に乗りそうだ。


 ところが、亮からは特に返答はなく、そのために不自然な間が降りた。何だろうと亮を見ると、亮は驚いた表情でこちらを見ていた。


 何でそんな表情を?と思った途端、その表情がすぐに和らいだ。


「…それは、お前、幼馴染だからな」


 そう言って、亮は笑った。


「まぁ、何はともあれ芹沢のことは実際心配だし、暑いんだから早くペンション戻ろうぜ。昇も、芹沢のこと心配してるみたいだし」


 そして、亮はニヤリと笑って、俺を追い越すように足を速めた。本当、ついさっきは喧嘩する勢いで突っ掛かってきたやつとは思えない、爽やかな笑顔だった。


 それが、何だかやけに格好良く見えた。


「さぁ、どうだろうな」


 だから、俺は悔し紛れに何の気ない返答をして、亮と同じように足を速めてペンションに向かった。

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